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「好きだった女の子はみんな元気」 #ひとり呑みながら書きました


アイコンをかえた。もちろん自画像ではなくて、ネットで拾った。人間のほうが、親しみがわく。親しみをわきたたせたかった。

いままで東京タワーだったけれど、深い意味はなくて、自分の撮った写真のなかで、アイコンになりそうなオブジェが、たまたま東京タワーだっただけだ。

東京タワーじたいには、5回ぐらい上ったことがある。恋人が変わるたびに、上った気がする。あのへんな、男性器のようなキャラが、いつからか出迎えてくれるようになった。いまでもいるのかな。ソーセージは、ひとり呑みのおつまみに最適。いまも食べた。

東京タワーがスカイツリーよりもいいのは、理由の1つは、丘の上にある、ってことだ。坂を上って、たどり着ける。坂の下から、上を見上げて、顔をあげて、よし、いまから向かうぞ、と意気込むのがいい。息を切らせて上がると、裾を広げた赤い塔がある。富士山みたいだ。だから心地よいのかもしれない。

noteはじめて1年が過ぎた。なぜ自分は書くのだろうかと、考える。書かなくても、おそらくは支障はない。フィクションを書いていたけど、現実がフィクションみたいになったから、特別になにかを書きたい気もおきない。

好きだった女の子たちは元気かな、と考えるけれど、大丈夫。きっとみんな元気だ。それぞれに弱っても、それぞれにきっと元気だ。

彼女たちに出逢えたことは、僕は感謝している。それぞれにいろいろあったけれど、憎しみは今はないし、それぞれにいい想い出だった気もする。

人生を戻ることがあっても、僕は彼女たちに出逢って、同じように恋をして、同じように別れるだろう。なんで出逢ったのか、なんて意味を考えても意味はない。すぐに意味を求めようとしないほうがいい。

意味なんてないわけじゃなくて、いまの自分からは、それらの意味がある範囲のなかでしか考えられないから、正解ではない。意味は変わるし、それはきっと死ぬ間際までわからないんだ。



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