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夢がないことを、そろそろ誤魔化せないから。



10年前に吉祥寺に住んでいたことがあって、自分の将来なんてどうでもいいと思っていたから、付き合う相手のことも大切にはしていませんでした。

いつ別れても良かったし、別れたら別れたで、また新しい彼女をつくればいいと考えていたし、現に、さまざまな女の子と過ごしました。

引っ越しの当日、家具のなくなった空っぽの部屋を見て、何人の女の子がここにきたんだろうと考えてみたけれど、正確には思い出せなかった。カッコつけようとしているわけではなくて、なるべく事実を正直に話そうとしています。

僕がいま苦しいのは、過去を成仏させていないからかもしれない、と思ったからです。正解がなにかはわからないけれど、書こうと思ったのなら、素直に書き始めてみようと思います。

誰のためでもない、自分のために書きます。

10年もあれば、街は変わります。よく行っていた焼肉屋はコンビニになり、ファミレスはなくなり、カフェは次々と入れ替わったし、駐車場になったり、駐車場にビルが建ったり。

ずっと変わらないお店を見つけると安心しますね。地元にきっと愛されているんだろうなと思います。

この文章も、そんな昔からあるお店で書いています。週末はどこも混む街ですが、古い店は一見さんには入りにくいんでしょうね。とても空いてて、僕のお気に入りです。とても静かです。

みんなは笑うかもしれませんが、僕は昔も、そしておそらく今も、人がなにを思って生きているのかよくわからないのです。

なにを願って、なにになりたくて、なにを成したくて生きてるのでしょうか。そんなことは考えてなくて、人よりもいい暮らしを、昨日よりもいい暮らしを、もっとお金を稼ぐことを、考えているのでしょうか。

それともあまり深くは考えずに、日々美味しいものを食べて、素敵なものを身につけて、娯楽を楽しんで、それで歳をとっていくことに満足しているのでしょうか。

僕は死ぬことはおそらく怖くないのですが、歳をとっていくことが、年老いていくことが怖いです。

たぶん、30歳を過ぎたあたりから、怖くなり始めました。街が、周りの人たちが、少しずつ老いていくのを感じたからです。

新しい建物も古くなり、馴染みの店員さんも白髪が増え、若くして病気で亡くなった方がいて、時間の流れを感じて、なんだかみんなが滝壺に向かって流されているような怖さを感じたのです。

僕は自分はずっと30歳でいるつもりだったんでしょうね。

性欲が強いうちはまだ良かった。女の子を口説くことに情熱を燃やせたから。現実の目の前にある恐怖を考えずに、生きることができたから。

もうたぶん、ちゃんと見ないといけないんでしようね。夢、みたいなものを持たないと、目印がないと、どこに向かったらいいのかわからなくて、途方にくれます。

みんなが幸せに生きられますように、というのは、嘘ではない想いです。

そのためになにをしているかといえば、仕事を休まないように努めたり、街を汚さないようにゴミはゴミ箱に捨てたりとか、人にぶつからないように歩くとか、そんな些細なことですね。

もっとこの世界を楽しんで、遊んで、面白がって、生きればいいんだろうな。滝壺なんか見ずに。

なにもなさずに、生きていくことにも、怖さを感じます。

長く付き合っていた女の子は、当時、いつも言っていました。生きる意味がない、生きる価値がない、って。僕はまだ楽しいことが沢山あったので、この子はどうしてこんな暗いことを考えているんだろうと、聞き流していました。

意味や価値を考えだすと、めんどくさくなって、お腹が空くからご飯を食べて、いつのまにか眠っています。

そうやって10年が過ぎました。

この先に進むには、灯台みたいな目印が、夢が、必要なんだろうなと思っています。

10年前の自分に会ったら、なんて言うかな、と考えます。

定職につけとか、彼女を大切にしろとか、色んな子としても同じだよとか、あたりまえの助言は浮かぶけれども、それらは今の自分の言葉なので、当時の自分には届かないでしょうね。

「言いたいことは素直に言ったほうがいいよ」

昔から言葉を飲み込む癖があるので。この文章も、それを思って消さずに載せます。

みんなで押し合いへし合いしながら、気がついたら滝壺にいた、が幸せなのかもしれない。




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