きれいなものと、きたないもの。どちらがきれい?
映画のなかだと、悪役は悪役だし、ヒーローはヒーローだ。
悪役はなんの迷いもなく悪いし、ヒーローは誰がみても正しい。
ゲームのなかも同じで、ドラクエは最後に悪のラスボスがいる。ほんとに悪いやつで、たいていの場合、人間を根絶やしにしようと企てている。
最初に遭遇する敵はスライムで、ぼくは躊躇なくスライムを倒す。敵だから。敵と味方が明確じゃないとゲームにならない。敵がわかりやすい世界は、とてもシンプルで、生きやすい。
でも、現実世界はとても、やっかいだ。
敵だと思っても味方だったり、味方の側についたと思ったら、実は巨大な敵に属していたり。
自分が善だと思ったら悪だった、なんてこともいろいろありそうだ。どちらの側に立つか?で世界の見方が、がらりと変わる。
ぼくは正義でもあるし悪でもあるし、味方でもあるし敵でもある。ぼくはそんな考えをもってるらしい。めんどくさい考えだな。でも、そういう考えの物語も、どうやら好きらしい。
悪役が実はヒーローだったり、ヒーローが悪いやつだったり、神様か悪魔かよくわからなかったり、イチゴが酸っぱかったり(これはよくある)、東京タワーだと思ったらスカイツリーだったり(外国人がたまに間違えるらしい)、男が女だったり、絶望が希望だったり。でも希望は希望のままがいいねえ。生きてるかぎりは希望なのかも。
現実世界は白黒はっきりとつけられないからこそ、断定口調で話すとカッコいい。
でも、ぼくはひとりになると、いつもあいまいな世界にいる。そしてこのあいまいな世界を、ただあるがままに受けとめようとしている。
結局なにが言いたいのかと申しますと、夕焼けがきれいなのに表現できる言葉がないのでぼくはそのまま眺めて味わってご満悦なのです。
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