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私は私の何を知る

10月になった。気づけば今年も残りわずかである。私はというと、2月と3月の締切に向けてちみちみと公募用の作品をコトコト煮詰めている最中だ。

例年に比べれば、私の精神状況は比較的落ち着いている。しかしそれは、結局の所かなり低い位置で落ち着いているということに過ぎない。調子の悪い日は動けなくなるし、どうしようもなく消えてしまいたい夜もある。

私は結局の所、私の何を知っているのだろう。

あと数年すれば不惑の年が来る。惑いまくりの今、不惑なんてことが出来るのか不安だ。たぶん無理。私はとても優柔不断だ。出来ないことも多い。今更ながらに自分の至らなさを実感し、そして打ちのめされている。

さて、ネガティブなことを言っていても仕方が無いので、未来の話をしようと思う。

私自身が私のことをどれだけ理解しているかなんて、正直知りたくない。自分のことなんて、自分の機嫌をとれるくらいに知っていれば十分だとさえ思う。完全な理解をしていたらきっと、私は今この世界にはいないだろう。それくらいに、自己理解を深めるのは私にとっては危険なことだ。

小説家になりたい。作家になりたい。願望を目標に変えるためにこの一年は小説家になる。作家になる。そう言い切ってきた。もちろん自分の中で努力もした。これまでより格段に創作ペースを上げたし、クオリティだって今までよりは高いと自分では思う。

次は自分が書ける物を増やしながらクオリティを上げる。全体の底上げをしていきたい。ミステリは自分には書けないと決めつけていないか、恋愛物は自分には書けないと決めつけていないか、青春物は書けないと決めつけていないか。

体験したことしか書けないのなら、今まで書いてきた物は自分の実体験から生み出された物か? 否。私は体験したことがないことでも書けるのだ。書けないのは、書けないと思い込んでいるからだ。

残り少ない年内にもう1作は最低上げたい。出来れば2作が望ましい。書き始めたものもある。プロットを練っている物もある。コンスタントに作品を生み出しながら、私は成長する。

夏は決算作業に追われて書けないのがネックではあるけれど、そこもどうにかしていきたい。とにかく、私は必ずなる。今回掲げているのは夢じゃない。達成する目標だ。絶対になる。

私は上杉鷹山が好きだ。
為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり
この言葉が好きなのだ。

あとは、羽生善治さんがNHKのプロフェッショナル仕事の流儀で言っていた
才能とは努力を継続する力というのも好きだ。

結局の所、頑張っても報われる保証はないけれど、頑張らなければなにもならない保証はありますということである。努力の積み重ねを出来ない人間は結局の所何にもなれない。私はそんな風になりたくない。

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