【店主の個人的な話①】うちの次女は遺伝病を受け継いで生まれてきました。


私は次女に対して病気だからどうのこうの思ったことがなくて、病気だろうがなかろうが次女は次女なので次女の病気のこととかを積極的にSNSで発信したりはしてきませんでした。
ただ、"病気で通院する"それは我が家の日常なのでそういったことは日常として発信してきました。
なので「お宅の次女ちゃんちょいちょい病院行ってるけど一体何の病気なん?」って思ってる人は少なからずいるかも。

今回どうしても発信したいことがあるので珍しく次女の病気のことについて話たいと思います。
今回一番伝えたいことを文章の最後に書きたいと思いますので最後までお読みいただけますと幸いです。(長いです。すみません。)


現在うちの次女は
●色素失調症
●ビタミンD欠乏性くる病
●アレルギー
●構音障害
この4つで病院に通院しております。

この内、色素失調症は染色体に問題のある遺伝病なので治ることはありません。

次女が生まれて3日目辺りから足のふくらはぎ全体を中心として体のあちこちに沢山の水膨れのような発疹ができ、その時の私は理由がわからず、「中毒疹かもしれないから1ヶ月検診まで様子をみて」の医師の一言で里帰り出産していた実家で様子をみていました。
その頃から実母の様子がおかしくなります。「絶対中毒疹ではない。でも...でも...」と何か言いたそうだけど言い出せない言い出すのが怖い。そんな様子が何日も実母から見受けられ、ただでさえこっちは不安で情緒不安定なのに実母のその姿に余計に苛立ちを覚えました。何日かすると意を決したように実母が話出します。「実は今まで言ってなかったけどひろみちゃん(←私)が生まれた時も同じような湿疹が出ていて、病院に行ったら色素失調症って病気だってことがわかったの。これは遺伝病で...だからあおいちゃん(←次女)も色素失調症だと思う。今まで黙っててごめん。遺伝病ってのは知ってたけどひろみちゃんが長女を産んだ時長女に色素失調症の症状はなく大丈夫だったから次女も大丈夫だろうって勝手に思っちゃってて...」

そういえば私は小学校中学年頃まで電車に乗せられ定期的に県内で一番大きな病院に連れていかれてました。「右目の毛細血管が最後まで通ってないから何かのきっかけで目に異常をきたすかもしれない。それの定期検診。」とだけ聞かされて。肌もまだらに白い所がありますが今まで誰1人からも指摘されたことはなく、こんなものだろうと思ってました。
それが遺伝病が原因だったことをこの時初めて知らされたのです。

母から打ち明けられた時に思ったのは
「え?私病気だったの?しかも遺伝病?なんで今まで言わんかったん?笑」
です。
笑←から察する通り、私自身そんなに深刻に受け止めませんでした。だって私病気で苦労したことが何一つないから。今まで自分が病気だってことに気付かなかったのが何よりその証拠です。
だったらこの子(次女)も大丈夫っしょ。と。

そんな時急に生後間もない次女が母乳もミルクもどちらも飲まなくなります。
その日は産んだ病院はたまたま休みだったので別の近くの病院の医師にみてもらうと口の中に出来物ができていたようで、それが原因で飲まなくなったよう。
ふくらはぎを中心として無数にできてる湿疹を見た医師は「口の中の出来物と因果関係があるかも、これは中毒疹じゃないよ。すぐに大きい病院に行きなさい」と紹介状を書いてくださいました。この時まだ1ヶ月検診の日もまだなぐらいだったので生後2~3週間目ぐらいかな?

その足ですぐに紹介状を書いてくださった先の大きな病院に行き、即入院。結局口の中の出来物とふくらはぎの湿疹の因果関係は認められなかったけど、入院中にいろいろ検査してくれたりで次女の色素失調症が断定。

ミルクや母乳が飲めるようになるまでずっと入院してたんですが、その間私は次女とずっと一緒に病室で過ごし、夫は仕事があるので長女(当時1歳)は朝昼は私の実家で過ごし、夜は夫の実家で過ごすという生活をしていました。

そんな中、夫や義実家へは複雑な思いでした。
だって遺伝病を隠して結婚したと思われても仕方ありません。隠したもなにも私は知らされてなかったので私からするとこれ義実家にどう説明するの?と不安な気持ちでいっぱいでした。
実母が「私が言ってなかったのが悪いから私が説明する。謝る。」と。
私はその頃次女と一緒に既に病室生活だったので実母が1人で義父母へ説明してくれ、「言ってなくてごめんなさい。」と頭を下げてくれ、、何言われるんだろうとドキドキしてると「病気はしょうがないよ。ひろみちゃんにも気にしないでと伝えて。」と優しく言ってくださったそうで、夫には私から伝えたけど夫も「気にしなくていい」と。
優しすぎて...夫や義父母には今でも受け入れてくれたこととても感謝しています。

ところで次女が入院したのはクリスマス数日前。
勿論実家で家族みんなで次女生まれて初めてのクリスマスを過ごす為ケーキの予約は済み、チキンの予約も済みな状態でした。

迎えた次女はじめてのクリスマス。
私は次女と二人っきりで病室で過ごし、長女はクリスマスケーキとチキンを私の実母と2人っきりで食べたそうです。(実父は朝昼は仕事なので2人っきりだったそう。)
実家の家族みんなで食べるはずだった大きな大きなクリスマスケーキをたった2人っきりで。
「あの時ほど複雑な思いで食べたケーキはない」と後に実母は語ります。

そんなこんなで無事退院。
色素失調症は症状に個人差があり、時と場合によっては、脳に障害、失明などがあります。
私はそれらがなかっただけで次女がどうかはまだわからないという現実が突きつけられます。
今のところ障害や失明の兆候はないものの、大きくなるまでは油断できません。
なので定期通院しているのですが、次女が入院してから今も尚ずっとお世話になっているのが「四国こどもとおとなの医療センター」さん。
現状中学卒業まで医療費は無料なのでいつも無料で診察していただき、ありがたいやら申し訳ないやらの気持ちでずっといっぱいでした。
マヂで看護師さんやお医者さんや事務員さんで感じの悪い人を1人もみたことないめちゃめちゃ良い病院!!

クラファンの詳細はURLから見ていただきたいんですがこのクラファンを支援することにより少しでも病院に恩返しできたらとの一心で支援させていただきました!

https://silkhat.yoshimoto.co.jp/projects/2268/patron

どうかどうかこのクラファンが沢山の方の目に届きますように。

いつも本当に本当にありがとうございます。