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保護犬すずの記事がコンテストで受賞しました

2022年秋に応募した「#うちの保護いぬ保護ねこ」の記事が、審査員特別賞を受賞しました。


受賞作品はKindle出版され、その売り上げは全額保護団体に寄付されます。ずっと、犬についての絵本を描きたい、文章を書きたいと思っていました。このような形で夢が叶い、驚いています。私は事実を記録しただけであり、代々私に愛を注いでくれた犬や猫、そして保護してお世話をしてくれている家族の受賞と思っています。すずにはお礼に、新しいハーネスと好きなお肉をプレゼントしようかな。

動物愛護とは

このような記事を書いて、しかも恐れ多くも受賞したりして、嬉しいと同時に少し後ろめたい気持ちもあります。

それはなぜか。私は事実を記録しているだけだし、すずとは暮らしていません。実際に暮らしているのは母です。私は帰省したときだけかわいがる、言わばいいとこどりです。母には頭があがりません。私のしていることは、動物愛護とも言えません。

苦い思い出

子どもの頃から、お祭りで売られているひよこ、野良猫が生んだ子猫など、「かわいい!」と飛びついては親がしぶしぶ飼わせてくれていました。でも結局お世話をするのは親でした。

大学生のとき、バイト先の子の家で猫が生まれたので、飼うつもりもなく見に行きました。見てしまったらおしまいですよね、そのかわいさに、連れて帰ってしまいました。

私のところに来たのは、茶トラの男の子。人懐こくて愛嬌のある子でした。だいちゃんと名付けました。カリカリより缶詰が好きで、お留守番してもらうときは猫缶をあげていました。

大学の同級生3人で、それぞれ1匹ずつ引き取ったので、お互いが留守にする間は猫を預かりあっていました。実家が遠方の同級生が帰省するときには、私が3匹を実家に連れて帰りました。

実家に飾ってあった「キジ」のはく製を本物だと思ったのか、だいちゃんは胸にかじりついてしまいました。水道の蛇口下げたまま、水が出っぱなしになることもありました。ピアノに爪で傷をつけたこともありました。

家族も困り果てた、猫3匹と一緒の帰省でした。

3年後

それから3年後。みんな就職で実家や新天地に行くことになり、猫をどうするか、ということになりました。目先のかわいさだけで飼うことを決めたので、その後10数年猫と一緒の暮らしを想像していなかったのです。

当時、実家には初代犬がいたため、うちで猫を飼うことはできませんでしたし、私はアパートで猫を飼っていることを内緒にしていました。預かっているだけ、とうそをついていたのです。だから、実家に一緒に帰るわけにもいきませんでした。

しかし私は幸運にも、猫が好きでだいちゃんをときどき預かってくれていた他の同級生が、飼うことを申し出てくれたため、だいちゃんを路頭に迷わさずに済みました。

捨てたことがある

次の里親を見つけたと言えば聞こえはいいですが、結局のところ私はだいちゃんを「捨てた」のです。

子猫のときと、数年かわいがっただけで、終身飼育しなかった。このことがいつまでも、私の後ろめたさとして残っていますし、忘れてはいけないと思っています。

飼わないと決めている

私はそういう経験から、自分では動物を飼わないと決めています。責任を持って飼うことができないから。受賞記事にも書いたように、「飼わないと決めること」も、飼うことと同じくらい大切だと思っています。

だから、償いにもならないけど、こうして記事にして、どなたかの目に留まればいいな、1匹でも多く、犬猫たちが暖かい家で過ごして、かわいがってもらえたらいいな、と思っています。

フィンランド情報のリサーチと執筆への活力に、記事でまたお返ししていきたいと思います。また、犬猫の保護活動団体に寄付することもあります。