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いのちの血塩

マクロビオティック (macrobiotics) は従来の食養に、桜沢如一による陰陽論を交えた食事法ないし思想である。長寿法を意味する玄米、全粒粉を主食とし、主に豆類、野菜、海草類、塩から組み立てられた食事である。身土不二、陰陽調和、一物全体といった独自の哲学を持つ。
運動創始者の桜沢如一は、石塚左玄の玄米を主食とした食事法のための食養会に所属し会長も務めた後、思想を発展させ、また民間運動として世界に普及させた。他の呼称に玄米菜食、穀物菜食、自然食、食養、正食、マクロビ、マクロ、マクロバイオティックがある。

Wikipediaより


桜沢如一と岡田周三

岡田 周三(1905~1983)は、マクロビオティック普及団体である正食協会の二代目会長。マクロビオティック創始者である桜沢如一(正食協会初代会長)の熱心な門下生の一人として、大阪を拠点にマクロビオティック思想の啓発と研究、玄米食の推進、食生活を中心とした健康指導や、病気に苦しむ人たちの相談などの活動に打ち込んだ。

Wikipediaより

ムソーの母体発祥は1958年。マクロビオティックについて学んだ創始者の岡田周三が、「安心・安全な食品を世の中に広めたい」という想いで発祥母体となる正食協会(食養新生会)を立ち上げた。その11年後にムソー株式会社が設立され、大阪を拠点に自然食品の卸売事業をスタート。

Wikipediaより


ムソー株式会社


左 ムソー株式会社代表取締役社長 出口裕起 
右 大本教 出口王仁三郎


特定非営利活動法人 日本オーガニック&ナチュラルフーズ協会

JONA役員


理事長 高橋 勉
 JONA事務局
副理事 大山 利男
 立教大学経済学部経済政策学科 准教授
副理事 野田 克己
 IFOAMジャパン 
監事 理事 井村 辰二郎
 株式会社金沢大地 代表
理事 植松 勝久  
 株式会社ヤマヒサ 代表取締役社長
理事 岡田 征剛
 株式会社むそう商事代表取締役 
理事 澤浦 彰治  
 グリンリーフ株式会社代表取締役社長
理事 出口 裕起
 ムソー株式会社代表取締役社長
理事 西 一登
 有限会社西製茶工場取締役
理事 林 善博
 ひかり味噌株式会社代表取締役
理事 杢谷 正樹
 株式会社純正食品マルシマ代表取締役社長
理事 浅井 紀洋
 アルファ フードスタッフ㈱ 常務取締役
理事 高橋 芳道
 特定非営利活動法人
 環境保全米ネット ワーク 理事長
理事 髙橋 俊彰
 JONA 事務局長
理事 横山 奈央子  
 JONA ゼネラルマネージャー
監事 山口 真奈美
 株式会社FEM 代表取締役
監事 矢作 朋子  
 株式会社自然農法販売協同機構 取締役





岡田茂吉夫妻



吉田沙保里と岡田茂吉


吉田沙保里と出口王仁三郎


吉田沙保里&田村淳→有栖川宮威仁親王妃・前田慰子


吉田沙保里とロンブー淳は、王任三郎の父親の妻(有栖川宮威仁親王妃・前田慰子)と激似。

ロンブー淳は、高杉晋作の子孫→高杉晋作と王任三郎も親戚。

みんな繋がっているからこそ有名人になれるんです。子孫だからってだけで、この世では権力者。おかしいと思いませんか?!



【参考】RAPT×読者対談〈第87弾〉過剰な健康・環境ブームも悪魔崇拝から始まった詐欺目的のデタラメ話。

https://rapt-neo.com/?p=37295

岡田茂吉が作った世界救世教」の最高顧問に「堀川辰吉郎」。大本教の教祖「出口王仁三郎」と繋がっている。

RAPT×読者対談〈第93弾〉熊本地震は天皇家の起こした人工地震である。その証拠(2)

https://rapt-neo.com/?p=37773



坂本龍一といえば、マクロビ・ニューエイジ・LOHAS。。。ここに、桜沢如一との関係を記している。

桜沢如一の遺産〈上〉陰陽を解明した男(兎龍都著)
の序文に坂本龍一氏が
「桜沢さんは南方熊楠にも匹敵する巨人だ」と評する


【参考】RAPT×読者対談〈第84弾〉自己啓発もスピリチャル系も悪魔崇拝。

https://rapt-neo.com/?p=37092

「スピリチャル系」も「自己啓発」も、その源流は「ニューソート」思想にあり、その「ニューソート思想」を日本で広めたのが「生長の家」の谷口雅春
谷口雅春といえば「ルシファー=国常立尊」を神と崇める「大本教」の出口王仁三郎の弟子だった人。

全ての集合体が世界紅卍会。


桜沢如一は、海外ではジョージ・オーサワ(George/Georges Ohsawa)の名で知られている。マクロビオティックを日本、北米、中南米、欧州、インド、アフリカ、ベトナムに広めた。

1969年
自然食品センターの第一号である事業部がオーサワジャパン(株)となる。

オーサワジャパン(株)


ロゴは目玉。ホルスの目か?!月かも!!


トルクメニスタン
国旗(左)国章(右)

月はイスラエル教。馬。稲。8芒星。緑。

人類最古の農耕集落。
トルクメニスタンからウズベキスタン、カザフスタンを経由して中国に至る中央アジア・中国天然ガスパイプラインの建設。天然ガスの輸出先は約99.5%が中国であり、同国への依存がきわめて高い。ロシア国営企業ガスプロムは2019年にトルクメニスタン産天然ガスの輸入を再開する予定を表明、これには同国への影響力回復を目指すロシア政府の意図があると見られると報道。

2023年現在、自治領・海外領土含めて新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の罹患者が公式に確認されていない唯一の国である。



ホルスの目は隼の目


ハヤブサは瞳孔の周りも濃い茶色をしていて、タカより真っ黒に見える。DNA解析によって、鳥類のなかで最大のグループである「スズメ目」に近いとされている。


はやぶさの目は黒い
雀の目は黒い


雀は小鳥 よく鳴く →イタコ
雀紋 善通寺 空海(弘法大師)

空海を輩出した讃岐國の豪族「佐伯家」が使っていたとされる「雀紋」。

雀は、四国や和歌山地方では、イタクラともいう。これはイタコ(巫女)と同じように予言する小鳥(クラ)を意味する。よくさえずるところから来ている。それゆえ、佐伯氏などは「さえ」にかけて雀紋を家紋にしている。
讃岐では三羽雀紋の寺が多いが、弘法大師を輩出した讃岐の佐伯氏の三雀にあやかったもの。

きものと悉皆みなぎHPより


善通寺の三羽雀紋


(RAPTブログ参考)フリーメーソンのマークは1万年以上も前から存在した。「ホルスの目」に隠された悪魔の真相。

https://rapt-neo.com/?p=11809





食養だけではなくマクロビ生活全般に東洋医学の思想が深く根付いている。
そして、マクロビは伯方島にも深いつながりがある。伯方の塩の発足者の一人で日本自然塩普及会永世会長 故 菅本フジ子は、前述のマクロビの創始者桜沢如一の側近であり、生涯をマクロビオティックの普及に捧げた。
 昔ながらの塩田から法律改正によって工業製品としてのイオン交換膜製塩に変わることは、三大理念のどれからしても全く許しがたいものであったらしいが…

自然塩存続運動はやらせ??食養、宇宙の理、伯方島の塩との繋がりはなにか??

〓 ㈱三栄 創業者 松本 永光 〓

昭和6年(1931) 愛媛県松山市生まれ。
昭和28年(1953)松山商科大学(現・松山大学)経営学科卒業後、大阪の外車販売会社に就職。

昭和38年(1963) 松山市で三栄商会(現・㈱三栄)を創立。気泡浴装置製造販売・酵素入浴剤販売の他、自動車会社での経験から合鍵製作や車輌への貼文字工作等を生業とする。

酵素入浴剤を販売しながらも、何かもっと最適なものはないかと考えていたある日、新聞に『従来の塩田が廃止され、イオン交換膜透析法になった。
これはニガリのない塩で、海水中の酵素を捨てるからだめだ』という、香川県の西本 友康氏(自然塩の先覚者・明治13年1910~昭和55年1980)の小さな囲み記事を見つけ、興味を持つ。その後、西本氏に直接会って『塩が大変なことになっている。日本では昭和46年から大量生産の製塩方法としてイオン交換膜透析法に切り替え、これまでの塩田をなくして化学工業製塩にしてしまった。食塩というのは、こういう化学的なものよりも適度なニガリのある自然塩のほうが体にあっている。このままでは日本民族が危い。』など、いろいろな話を聞き共感。そのうちに、松山市の正食養生法指導者・菅本 フジ子さん(日本自然塩普及会 会長・大正8年1919~平成10年1998)を紹介された。
菅本さんを中心として有志らと供に当時の大蔵省・専売公社を相手に自然塩存続運動を提唱・発起、全国の人々に呼びかけて5万人の署名を集め陳情、昭和48年特殊用塩という名で許可が下おり、伯方塩業㈱設立。“伯方の塩”誕生。
取締役専務・代表取締役社長を歴任。
“伯方の塩”を普及すべく自らは全国を駆け巡めぐり、㈱三栄で販売補完業務を行う。

昭和62年1987頃 自然塩浴法について北海道の湯浅 寛医師(大正4年1915~平成21年2009)より教えを受け、実践・体験・研究を繰り返し、より多くの人々に塩浴の素晴らしさを伝えるべく、平成5年(1993)長年の見聞・吹聴を書籍『塩浴革命』に纏まとめた。


日本青年会議所JCに所属し、その人脈は国内外で幅広く、豊富な知識と経験から味覚の感性を磨き、1988年にはフランス・ブルゴーニュワインの騎士団よりCHEVALER DU TASTVANシュヴァリエ ドゥ タートヴァン(ワインの騎士)の称号を贈られた。



天然塩(自然塩・天日塩)
海水を天日や煮詰めなど昔ながらの方法でつくられた塩は、産地によって味も様々。自然の栄養素やミネラルが豊富なため、旨みやコク、甘みを感じられるまろやまな味わいの塩になる。
食品表示には、工程『天日』『平釜』『逆浸透膜』などと書かれている。

精製塩(食塩)
海水を電気分解(化学反応)して塩化ナトリウムを99%以上に精製した塩。大量生産ができ安価なため外食産業や加工食品に広く使われている。
食品表示には、工程『イオン膜』『イオン交換膜』『立釜』などとある。

〜使っている塩はどんな塩ですか?〜


ご存じでしたか?↓

伯方の塩パッケージデザイン


伯方島の「塩竈(しおがま)神社」を参拝した際、境内から見た雲ひとつなく晴れ渡った海の上を海鳥が飛び交う風景に感動し、デザインのヒントに。赤い「伯方の塩」という文字が太陽を表し、その下の青い線は波を、赤い線は波に太陽が映った様子を表現。(他にも、血潮をイメージして青は静脈、赤は動脈を表しています。)


「塩竈神社」と称する神社は、日本国内に117社ある。塩の神が大事なのになぜ塩田は禁止されたのだろう?!


伯方塩業株式会社


伯方の塩


伯方の塩は、輸入(メキシコとオーストラリア)天日塩田塩と日本の海水が原料です。
原料の天日塩田塩には、にがりがほとんど含まれていません。

また、屋外でつくられるため結晶の中にゴミ・泥などが入っています。そのため、天日塩田塩を瀬戸内海の海水で完全に溶かし、ろ過したきれいな濃い塩水を原料とすることで海水のにがりを含む塩を作っている。



日本の塩田


1905年に塩は国の専売品となり、以後、長きにわたり国が管理を担うことになった。塩は人間にとって必要不可欠なものである。これは愚民化であり、国の財政収入の確保である。



参考)Kawataのブログより
あなたの健康法、本当に大丈夫?「減塩」「糖質制限」は超危険!その意外な真実とは。

あなたの健康法、本当に大丈夫?「減塩」「糖質制限」は超危険!その意外な真実とは。 – Kawataのブログ



 国の管理の下、1971年までは瀬戸内海を中心に日本中の塩田で塩がつくられていた。こうした塩田でつくられた塩には、主成分である塩化ナトリウムに加え、マグネシウム、カルシウム、カリウムというミネラルの三大要素を含む“にがり”が含まれている。


十州塩田

 しかし、1971年、塩業近代化臨時措置法の成立により、塩の製造はイオン交換膜製塩法という近代的な製法に限定され、塩田での塩づくりは許可されず、結果、日本から塩田は消えてしまった。

高度成長期という時代は良いものを失った時代でもあった。

 一方、世界に先駆けて導入されたイオン交換膜製塩法は、海水をイオン交換膜がセットされたタンクにため、通電させることにより濃い塩水をつくり、煮詰める製法である。イオン交換膜を用いてつくる塩は圧倒的にコストが低いというメリットがあるが、塩化ナトリウム99%以上の均一な成分となり、従来の塩田を用いてつくられた塩とは全く異なっている。

 

日本の製塩の歴史は、“にがり”の有無


自然塩(塩田塩)存続運動

 こうした状況に対して、愛媛県在住の菅本フジ子氏をはじめとした5人の有志が、従来の塩田製法による塩を食する選択肢が必要だと立ち上がり、自然塩(塩田塩)存続運動を開始した。こうした運動は全国に広まり、各地の消費者・団体の協力によって短期間に5万人の署名を集めた結果、

今ならわかる
菅本フジ子はマッチポンプ役だったのだろう



1973年に“厳しい生産上の制約”のもと、国から生産販売委託の認可が下りた。

 同年、伯方塩業が愛媛県伯方島に設立され、塩田の塩を手本に、“にがり”をほどよく残した「伯方の塩」が誕生。名前の由来は、「伯方島の塩田を復活させたい」という多くの人の願いを象徴したもの。設立に際して、1口10万円の無担保、無保証、無期限の「塩による出世払い」で出資を募り、たちまち数百万円が寄せられた。

 1973年、イオン交換膜製塩法以外の製法による
生産上の制約

(1)国(専売公社)がメキシコやオーストラリアから輸入していた原塩(天日塩田塩)を利用すること。

(2)平釜(熱効率が悪い釜)を使うこと。

(3)専売塩(専売公社の塩)を誹謗してはならない。

(4)袋のデザインや文言の変更も専売公社の確認をとること。


現在、主力商品である「伯方の塩」に加え、新商品の開発にも精力的に取り組んでいる。例えば、創業の目的であった“自然塩(塩田塩)存続”を具現化するために、自社工場内に伝統的な塩田である“流下式枝条架併用塩田”を再現しており、ここでつくられた塩を「されど塩」という商品名で販売している。そのほか、大粒の「フルール・ド・セル」など、数多くの商品を展開している。

されど塩


わざわざ禁止してようやくできた塩。化学塩の何倍もする塩を国民は購入するだろうか?

愚民化による洗脳 約70年 壮大な計画である。

そして、食育、マクロビやLOHASでいい塩を取ろうと健康を掲げて宣伝する。茶番だ。





清めの塩というが、本当に塩で清められるのだろうか?


・相撲の取り行いの前にまく塩、

土俵際の塩

土俵入りする際に力士たちが塩をまくのは、取組中にケガをしないように神に祈るという意味合いがある。
盛り塩などの例もあるように、日本では古来から塩には邪気を祓い清める力があると考えられてきた。
この考え方は相撲でも同様で、塩をまくことで土俵にある邪気を祓って清めている。
そのため、土俵にまく塩は「清めの塩」や「力塩」とも呼ばれている。
また、もしも取組中に力士がケガをしてしまった場合でも、土俵にまかれた塩の殺菌効果で消毒できるからという理由。

塩まきのはじまりは、相撲はもともと、天下泰平・子孫繁栄・五穀豊穣・大漁等を占う神事のために行われていた風習があった。
この占いとしての相撲を行う土俵も神聖な場所は神聖な場所と考えられており、その邪気を祓い清めるために塩をまくようになったと言われている。塩によって土俵の邪気を祓い清めるという考え方は現在まで続いており、競技としての相撲を行う際にも土俵に塩をまいている。
ちなみに、占いとしての相撲は現在でも各地の神社で毎年行われているよう。

1日に使われる塩の消費量は、取組前に土俵を清めるために豪快にまかれる塩。
相撲でまかれる「清め塩」の消費量は1日あたり45㎏。一場所は15日間、一場所当たりの塩の消費量は675㎏の計算になる。
ちなみに、大相撲の本場所は1月・3月・5月・7月・9月・11月と1年間に6回あるので、本場所だけでも塩の消費量は4050㎏。
さらに、本場所のない偶数月は地方を巡業をしているので、1年間で考えると相当な量の塩を消費していると考えられる。

相撲で使用される塩の産地は、本場所が行われる場所によって変わる。
両国国技館で行われる1月場所(初場所)・5月場所(夏場所)・9月場所(秋場所)では愛媛県の「伯方の塩」が使用。
「伯方の塩」で作られている塩はメキシコまたはオーストラリアが原産それを伯方の海水でにがりを付け加えた人工塩。

また、大阪の3月場所(春場所)・名古屋の7月場所(名古屋場所)・九州の11月場所(九州場所)では、岡山県産の「瀬戸のほんじお」が使用されている。

相撲で土俵に塩をまく理由は?
塩の消費量や産地についても解説より


瀬戸のほんじお



味の素株式会社

↓味の素の本性を知っていただきたい↓

↓味の素とドライアイスの関係↓

ケムトレイルも天皇家一族のボロ儲けの種。この世の陰謀論は、天皇家一族の悪事を隠すための情報撹乱である。

https://rapt-neo.com/?p=41770


森矗昶(森コンツェルン)は、味の素の創始者鈴木三郎助(二代目)の起こした電力・化学会社に招かれた事から、戦前は味の素グループとも関わりを持ち、鈴木三郎助と連携して房総水産株式会社を設立、ヨード事業の拡張を計った。のち日本電気工業は味の素傘下の昭和肥料と合併、昭和電工となる。
「気象操作」に必要な「ドライアイス」と「ヨウ化銀」の両方を製造・販売。

ドライアイスの製造方法

製油所の精製過程、アンモニアの製造過程、ビール工場等の発酵過程などで出る、副産物としての気体の二酸化炭素(炭酸ガス)を用意し、水洗浄などによって精製する。

ここで、分かった事がある。
ドライアイスはご遺体の腐蝕を遅らすためにも使われるが、事後、何とも言えないアンモニア臭が家中に染み渡る。何日たっても消えない。某葬儀会社はドライアイスをそのまま布団の中に入れ込むという雑な扱いをしていた(わざとかもしれないが)。手足が浮腫み身体が筋肉痛のような痛みとなった。ふと思ったのだが、大手病院の匂いと同じだ。尿臭なんだろうと思っていたが、これはドライアイス臭だ。病院に行くと調子が悪いのもこのせいかもしれない。空調に混ぜて流しているのか?!
病院は金儲けのためにここまでするのか。。。





味の素の子会社 ナイカイ塩業株式会社

野﨑家は清和源氏を祖として、かつては多田姓・昆陽野姓を名乗り、16世紀後半に児島郡味野村に居住するようになったと伝えられる。
武左衛門は足袋の製造販売で得た資本を投下して、味野村・赤崎村の沖合に塩田を築造し、両村の名をとって野﨑姓を名乗るようになった。

シンボルマークに三つ巴。八幡神社。麻生太郎。藤原家。味の素は味野村が元かもしれない。


野崎 武吉郎

武左衛門の孫の武吉郎は、製塩法の技術革新や台湾での塩田開発、耕作地の集積をおこない家業を拡大させた。最盛期には塩田約330ヘクタール・田畑約600ヘクタールを所有していた。明治23年(1890)に岡山県選出の初代の貴族院議員に選出されると、県下の災害対策や塩専売制公布に尽くす。

現社長の野崎泰彦が成蹊学園で安倍晋三と同級生。

ナイカイ塩業は創業以来、180年もの間、瀬戸内の海水から日本の塩を作っている唯一の企業。長い歴史のなか、製造技術の改良、安全管理の厳密化、製品の高品質化に絶え間ない努力を重ね、現在では、食用の塩作りだけでなく、医薬用原料塩でも国内トップシェアを誇っています。ナイカイ塩業と味の素KKは確固たる協力関係を築き、「瀬戸のほんじお」を始めとする、安全で安心な日本の塩を数十年にわたり提供。 ホームページより




五穀豊穰(ほうじょう)の吉凶を神に占う農耕儀礼として相撲が広く行われていたことが明らかにされているが、このように相撲は、ただ単に力比べのスポーツや娯楽ではなく、本質的には、農業生産の吉凶を占い、神々の思召(おぼしめ)し(神意)を伺う神事として普及し発展してきた。相撲が史実として初めて記録されたのは、642年(皇極天皇1)古代朝鮮国の百済(くだら)の使者をもてなすために、宮廷の健児(こんでい)(衛士(えじ))に相撲をとらせたという記述で、『日本書紀』にみられる。
 726年(神亀3)、この年は雨が降らず日照りのため農民が凶作に苦しんだ。聖武天皇は伊勢大廟(いせたいびょう)のほか21社に勅使を派遣して神の加護を祈ったところ、その翌年は全国的に豊作をみたので、お礼として各社の神前で相撲をとらせて奉納したことが、公式の神事相撲の始まりと記されている。農村における秋祭の奉納相撲も、その名残の伝承である。
相撲節会
飛鳥時代に続き奈良時代の宮廷でも、相撲が行われたことは、『続日本紀』にみられる。すなわち、元正天皇の養老3年(719)の条に、初めて抜出司(ぬきでのつかさ)という、相撲人(力士)を選抜する官職が設置されたとある。
 ついで神亀(じんき)・天平(てんぴょう)年間(724~749)に、聖武天皇は諸国の郡司に、相撲人を差し出すように勅令を出し、この命令に違反するものには厳罰を与えた。そして宿禰、蹶速の相撲伝説が7月7日であるところから、七夕(たなばた)祭の余興に相撲を観覧することが恒例となった。天皇が相撲をご覧(天覧)になった記述は、734年(天平6)7月7日が初めであるが(続日本紀)、それ以前から催す風習が伝承していたことは、相撲に関するいろいろの記述から推察される。
 奈良末期から催された余興相撲が端緒になって、平安時代に入ると天覧相撲はますます盛大になり、弘仁(こうにん)年間(810~824)には、宮中儀式の相撲節会(すまいのせちえ)という独立した催しに発展する。これは、中国の唐朝の儀式をまねたなかに、日本の農業生産に伴う相撲が取り上げられたものであるが、905年(延喜5)に至り、相撲節会は宮中の重要な儀式である三度節(さんどせち)(射礼(じゃらい)・騎射(うまゆみ)・相撲)の一つに定められて、その催しは、豪華絢爛(けんらん)たる王朝絵巻を繰り広げて、その壮麗さは『江家次第(ごうけしだい)』などに詳しい。こうして、太古のころから各地の農民の間で年中行事化していた神占いの神事相撲が、宮廷において国々から相撲人を召し集め、相撲をとらせる相撲節会という大規模な国家的年占いに発展した。
 相撲節会は、天皇が宮廷において相撲をご覧になり、相撲に付随した舞楽を演技させ、貴族と上級臣下と宴を開く相撲大会の儀式で、「召合(めしあわせ)」といった。現在の相撲と違って、土俵と行司役がなく、すべて官吏によって運営された。

日本大百科全書より

相撲は天皇皇族達の占いの祭神。相撲に関わる人たちは全て天皇関係者なのかもしれない。

塩業も?! 
伯方という字には、佐伯のがある。。。


そして、今では国民に金を払わせ金儲けの相撲となった。和歌山県、愛媛県今治市大三島の大山祇神社の一人角力の神事を行っている神社では稲の霊と相撲し霊が勝つと豊作となるため常に負けるものなどもある。(伯方の塩工場も大三島)
このことから、稲の霊?!大嘗祭を思い出す。
そして、相撲協会の八百長問題も納得。全ては茶番なのだ。


RAPTブログ 参考)天皇が行う「大嘗祭」はまさに悪魔崇拝そのものです。

https://rapt-neo.com/?p=25690




・葬儀の後の清めの塩、

・店舗前の盛り塩、(日本では清めの塩だが、中国では人寄せの為の縁起担ぎとしての盛り塩)

・除霊やスピリチュアルの祭事の塩(悪霊を吸い寄せる言わばゴギブリホイホイ的なもの)


『古事記』『日本書紀』に、黄泉の国から戻った伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が自らの体に付いた黄泉の国の穢を祓う為に、海水(潮)で禊祓を行なった事が記されており、それが民間に於いては「潮垢離(しおごり)」として海水を浴びて身を清めたり、海水を沸した「塩湯」が、病気治療や無病息災に用いられる風習になった。(アトピー治療はこれにあたる。もしかしてこれをさせるためにアトピーという病気を流行らせたのかもしれない)

日本書紀も後付けで辻褄合わせの書なのだろう。




人の死は穢れなのだろうか?
神社仏閣の葬儀により、悪魔にささげられた霊は塩を好むのか?!金儲けの塩利権か?!


(TALK RADIO 参考)

RAPT×読者対談〈第101弾〉日本は昔も今も悪魔教の国。

https://rapt-neo.com/?p=38862


先日、他界した母の葬儀は火葬式。坊主もお経もなし。苦痛な時間もなくゆっくり見送った。
自然と塩のことも忘れていて、いらないと確信した。今までのこびりついた洗脳は正しい事をすれば案外すぐ外れるのかもしれない。
 嘘コロナで火葬式のプランが出来ていてスムーズに内容決定ができた。今後はこれが主流になってくるのではないかと思う。何の意味もない無駄なお金を使う必要はない。

(RAPTブログ 参考)

仏教の「お経」や「真言」が悪魔を召喚するための呪文であり、仏教が悪魔教であるという確たる証拠。

https://rapt-neo.com/?p=26306




「塩」そのものには殺菌力等はない。

「塩」が水に溶ける事に依って、
・浸透圧による水分低下(食品から水分が除かれることで、微生物に必要な水分が不足し、同時に微生物自体も細胞内から水分が抜けていき、生育が出来なくなる)
・水分活性の低下(食品への食塩添加で、食品に含まれる水分の内の自由水の一部が塩と結合して結合水となり、微生物の活動に必要な自由水の割合が減る)
・溶存酸素減少(環境中の酸素が減り好気性細菌の生育が押さえられる)


∴(塩を水に溶かした際の)塩素イオンcl ‾に防腐作用がある



どんなに、有害な物も神様の愛には敵わない。
どんなに、健康な物も信仰のない者には意味がない。

悪魔たちはあなたを悪に引き込もうと必死に誘導してきます。ぬるま湯の言葉に騙されないでください。目を覚ましてください。

この悪の世の中を生きて行く道標はラプトブログだけです。神様はお一人だけです。

本当の神様を愛する信仰を持つことで、あなたの健康も人生さえも光と希望の中で輝ける。神様の愛は裏切らない信じること。

私は残りの人生、そう生きたいと決心した。

あなたにも地の塩、世の光となって生命ある人生を生きてほしい。

ここにその近道がある↓


地の塩、世の光
  

 あなたがたは、地の塩である。だか、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはやなんの役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置くものはいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。人々があなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。  
           マタイによる福音書5-13




全人類の救いと、悪人の滅びをお祈りします。


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