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Hugの効能。

私は日本人にしてはhugをするほうだと思う。嬉しいことがあった時、友達や家族と抱き合って喜ぶと幸せが倍増する。誰かが落ち込んでいる時、悲しい時、そっとhugをする。私は100㌔の巨漢なので、安心感を与えるBig hugとして喜んでいただける。

この習慣は以前アメリカ人と暮らしていたことの影響ではある。ただし私はアメリカ人の前夫とはあまりうまくスキンシップを取ることができなかった。街中で突然hugされたりキスされたりするのは、
日本人の私としては気恥ずかしかったし、そもそも育ってきた中にそんな習慣がなかったので面食らう一方である。
私が拒絶するたびに彼は「僕を愛してないの?」「Show me affection(愛情を示して)」と悲しんだ。申し訳ないと思いつつも、ぎこちなく背中をさするぐらいしかできなかった。私の愛情は内面には潤沢にあったはずなのだが、なぜだがうまく表現することができなかった。言葉も行き違う一方で、最期までボタンはうまくかからなかった。

そういった後悔を経て、私は愛情表現をケチらない人間になろうと思った。子供たちには耳が腐るほど「愛してるよ」と伝えた。シングルマザーになって疲れ果てていたある日、一才になる長男をカートに乗せて買い物していると、突然長男がカタコトで「アイシテルヨ」と言ってくれた。嬉しかった。愛の言葉が循環し、私を励ましてくれる。こんなに素晴らしい輪廻があるだろうか。

ところが、現在の夫には私はなかなかぞんざいなのである。日本人のおじさんとおばさんなのでイチャコラしても見苦しかろうし、お互いに照れというか、私が泥酔した時に手を繋ぐぐらいで、それもラブラブというよりは介護感が強い。

ところが愚かなもので、分別盛りの二人な筈なのにまだまだくだらないことで喧嘩をする。一時これはもう離婚もやむなしという危機もあったのだが、なぜかその時からふとhugをするようになった。よくわからないが夫が急に向かってきたので何だ何だと慌てたのだが、そういえば「ホンマでっかTV」でhugをすると精神が安定して何やら脳からいい物質がでて健康に良い、と言っていたのを思い出した。なので「よし来い!」とがっぷり四つに組んだ。ナゾ物質が目的のビジネスhugであるが、それでも何か心地よい感じがした。

以来、普通のおじさんとおばさんは寝る前にhugをしている。子供たちには内緒である。いい感じの物質がでているのかどうか、最近は穏やかな生活だ。人間というのは、単純なものだなと思う。

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