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爆誕!!闘うダディー!!

投資を始めて2年が経過し、AIinside事件により大損失を被り、傷心していたころから少しずつ立ち直ってきた時に息子が産まれました。

しかし、息子は産まれながらに、先天性心疾患と先天性食道閉鎖症を患っていることが判明。当時は頭の中真っ白になり、絶望感しかなかったですが、覚悟を決めて、息子の強運と生命力を信じることとしました。

だから、息子の成長を少しでも感じれるように、一緒に成長できるように文章に纏めていこうと思います。同じような境遇の親御さん達は多くいるかなと思います。「なぜうちの子が」と絶望し、目の前は真っ暗になった自分もいました。先天性の疾患があり心臓は手術しましたが、長期入院、通院、今後も心疾患とは長い付き合いになると思います。

ただ、息子の生命力を信じて生きていく姿を描いて、少しでも同じ境遇である親御さんのお力添え、勇気つけて、参考にしていただければ幸いです。世の中のダディーもまだまだ負けてられない!闘うダディーとして、発信して行きたいと思います。

写真は心臓手術の術後の姿です。この手術に成功したった勇姿、勝ち誇った顔は一生忘れません。笑 完全に親バカです。

まずは怒涛の出産前後を時系列でまとめてみました。今までの短い人生の中でほんとうに1番苦しかった1日、1週間だと思います。

6月23日水曜日12:30頃 破水

スヤスヤ寝ているところを「破水した」と起こされ、タクシーを呼び病院に。予定日より2週間早く少し心配ではあったが、体重も平均並みでいつ産まれても良い状況だったと思います。そこから自分の親や嫁のお母さんに連絡を入れて一旦は帰宅しました。

6月24日木曜日09:30頃 おつかい

もう仕事は手につかず、休みをもらい色々仕事の引き継ぎをしている時に嫁から入電があり、急遽病院に栄養補給ができる物資を病院に届けました。こんなに苦しそうな嫁の声は聞いたことがなく、陣痛が凄いものだと痛感。嫁は分娩の立ち合いもして欲しかったみたいですけど、今はコロナ禍で分娩の立ち合いもできない為、良かったと思います。(分娩の立会いしてたら多分倒れてたと思います。笑)

6月24日木曜日15:00 頃 爆誕

立会いがコロナ禍により出来なかった為、出産後に嫁より産まれた連絡があり、急ぎ病院に向かう。その中で、赤ちゃんがちょっと羊水を飲んで苦しそうという話がありNICUにいってると知りました。

6月24日木曜日17:00頃 嫁との面会

PCR検査で陰性という証明をだしておれば、20分程度は面会出来ることで、出産後の初の嫁との面会。その場の状況を聞いて元気に産まれたけど、少し産後の検査でNICUに運ばれたと聞いいてました。少し不安はありましたが、嫁も無事に出産できたということもあり、一安心した時に、NICUの先生から状況の説明がありました。

6月24日木曜日17:30頃 説明を受ける

NICUの先生が分娩室に来て、状況を説明。産まれた直後に助産師さんが湊大が苦しそうだと言うこともあり、NICUで精密検査をしたところ、食道と心臓に疾患があることが判明しました。精密検査後の結果からいうと、総肺静脈還流異常症、上肺静脈遺留、右心房欠損症、食道閉鎖症C型という疾患でした。

正直、話を聞いた時に、状況を飲み込めず、頭の中が真っ白になりました。「なぜ?うちの子が?」なんで心臓に病気が、、、全く話が入って来ずに、放心状態だった気がします。

運良く系列の病院のNICUに空きがあり、小児の循環器の外科の先生や消化器の先生があり、精密検査や手術ができるとお話しがあり、病院の転院の準備に取り掛かりました。

6月24日木曜日19:00頃 転院

転院前に嫁と僕の3人で湊大に面会することができ、家族全員ではじめて会うことができました。ほんまに小さかった。しかも自分で息をして、鼓動もしっかりしていました。見た目からは全く心臓とか食道に疾患がないように見えて、こんなに元気にいてるのに。と。現実を受け入れれず、もうパニック状態が続いていたと思います。

6月24日木曜日21:00頃 転院先の病院で検査・説明

検査中は別室で一人で待機していましたが、自然と涙が溢れて、絶望的な状況でした。もう頭の中がパニックでどうしたらいいのか分からずに悶えてました。精密検査後には、それぞれの担当の先生から説明があり症状や手術の予定など色々話を聞いてました。治るのか?治らないのか?原因は?いつ治るのか?もう分からずパニックになっていました。

しかも心疾患については、カンファレンスが長引いており、もう深夜0時を回っていました。

やっと先生から説明を受けました。運良く、緊急な状態ではなかった為、しっかり準備、人を調整してから手術をする旨を聞きました。場合によっては、還流異常の中で、血管が詰まり心不全を引き起こすケースがある為、緊急手術が必要な場合もありますが、容態が安定していた為、準備できる時間ができるとのことです。そして翌日先生から手術の詳細の話を受ける為、翌日に病院に行くこととなりました。

本当にこの時間が苦痛でした。誰も状況を教えてくれない。また一人で静かな部屋にいるため、最悪なケースがぐるぐると駆け巡っていたと思います。不安と恐怖が襲いかかってきて押し潰れそうな状況だったと思います。

6月25日金曜日1:00頃 帰宅

一人、タクシーで帰路につきましたが、もう色々な考えや思いが巡ってしまい精神は全く安定していなかったと思います。


皆さん。ここまで読んで頂きありがとうございます。この長い一日を纏めようと思いましたが、無理です。笑 当時は、現実を受け入れれず、パニック状態になっていたと思います。

自分では何もすることができず、本当に苦しい状況でした。でも、息子の生命力を信じて、強運を信じてやる、あとは息子の生きたいという力をやることが、僕に出来ることのただ一つのことだと思います。

スタートしたばっかりの人生ですが、先天性心疾患、先天性食道閉鎖症をしっかり受け入れて、息子と共に成長して行きたいと思います。




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