『困ったときの神頼み』では手遅れ。困る前から神頼み!
世の中には『困ったときの神頼み』という言葉がある。
しかし、別に困ってなくても、普段から神頼みはしまくってるほうがいい。
なぜなら? 普段から『心の内側に神様がいる』という状態のほうが、いざというときに助けを受けられるからだ。
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人は、人生の中で何か困りごとがあって、切実な状態の時ほど、神様に救いを求めたくなる。
だが、普段は心の中に神様がいない人が、都合のいい時だけ思い出したところで、なかなかうまくはいかない。
苦し紛れに、普段は信じていない神様、寄りつきもしない神社に、まさに『困った時の神頼み』状態で駆け込んでも、大抵はうまくいかない。
なぜうまくいかないのか? それは、切実な状態になった後に神頼みしてるから。
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例えば、身体が痛くて初期状態では我慢してたけど、とうとう救急車を呼ぶレベルになって、病院に運び込まれたら、医者から「なんでこんなになるまで放っておいたんですか! もっと早く来てください」と怒られる。
そんな感じのことを、実は人生でもやってしまっている。
だから、平穏な時から、神様とのお付き合いは大事。
「今は困ってないから、自分は神社に行く必要はない」ではなく、おだやかで平穏な時から、どれだけ自分の心の内側に神様がいるか?
それが人生をうまく運ぶためのポイント!!
今現在、切羽詰まった状況にある
そうは言っても、今現在、切羽詰まった状況にある。
自力でどうにかなるのなら、すでにどうにかしてるわけで、自力ではどうにもならないから、助けを求めてる。
だから、普段は信じていない神様にすがるしかない。
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実は、やり方によっては、このようなケースでも、神様は助けてくれることもあります。
ただし、難易度はかなり高いですよ。
今から説明するので、よく心に留めておいてください! いいですか?
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大事なことは「自我を捨てる」ということ。
何かを強く追いかけると、かえって遠のいてしまう。
逃げるんですよ!! 追いかけると。
だから、じっと我慢!! 追いかけるのではなく、おびき寄せる。
大切なのは 「自我を捨てる」 ということ
自分が「正しい」と信じてることの逆 が正解!!
丸めた雪の玉を強く握ろうとすると、力が強ければ強いほど、雪の形は破壊されてこぼれていく。同じように、何かを強く追いかければ追いかけるほど、それは、念の力で破壊されるのです。
大切なのは「自我を捨てる」こと。
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『ピンチの時ほどチャンス!』という言葉がある通り、ピンチになっても動じない。
たとえ心はドキドキ! 心臓バクバクの状態であっても、顔だけは平静にポーカーフェイスを保つのと同じで、
9回裏2アウト満塁! 一打逆転のチャンス!!
チームの勝敗が自分に重くのしかかる! というシチュエーションで打席に向かう時
それはピンチなのか、チャンスなのか??
どちらともとれるわけです。
最後の打者として、『戦犯』のレッテルを貼られる危険性もあれば、『大激戦』のヒーローになる、またとないチャンス!! でもある。
こんなシチュエーション、プロでも滅多に味わえない。
そのとき、今までやってきた練習を信じて無心になれるか?
来た球を打つ! それだけ!
余計なことを考えずに、打席に立てるか??
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このような時こそ「手放す」心が必要で、何かに賭けようとするのではなく、すべてを受け入れ、どんな結果でもいい という心境になることが大切。
仮に、自分の思い通りにならない結果であっても、受け入れる覚悟。
結果に執着するのではなく、「今の自分にできること」のみに集中し、それで相手の方が格上だったら仕方ない。
執着を捨てよ
仏教ではよく聞く言葉だが、実は『引き寄せの法則』でも聞く言葉。
『引き寄せの法則』でも、願いを意識しすぎてはいけない と実は注意されている。
願った事実すら忘れてるくらいのほうが、理想的と。
心配しまくると、かえって遠ざかるよと。
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私から見ても最初の頃は、この考え方は謎だった。
何を言ってるのだ? と。
困ってるんだから、もっと願い事は積極プッシュしたほうがいいのでは?
叶えてくれ! 叶えてくれ! と呼び鈴を100連打するくらいの勢いでピンポンピンポン、一日中迷惑行為をし続ける方が、かえっていいのではないか? と。
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しかし、自分自身もまた、『アファメーション』の達人、『引き寄せの法則』の達人になっていく過程で、いろいろな気づきがあり、
先人の言ってる事はその通りだった!
と考えを改めた。
珍しく、先人の意見と一致した。ただ……
その理由を、正しく説明できてる人って、いるかな?
自分の知ってる範囲では、『答え』は載っていたけど、その過程の説明は、どこも逃げていた。
数学で言うなら、先生から『お前、解答欄カンニングしただろ? 途中の計算式も全部書いてみろよ!』と言われてしまう、アレの状態。
世の中の本やHPは、答えだけバーンと出して、なぜそうなのか? をおそらく解説できていないと思う。
オリジナルの提唱者以外、その秘密や仕組みを知らないため、他人の知識をまとめるだけの著者では、調べても、ドコにも書いてないことは、書きようがない。だから、誰も触れてない。
しかし私の場合は、神様に問い合わせをかけながら学習することができるので、オリジナルの提唱者ではないが、この真の理由がわかってしまった。
ドコにも書いてないものを言える人 なのだ。
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なぜ自我がダメなのかというと、コップの中に満杯まで水が入っている状態と、コップの中が半分以下の状態。
観念が強い、満杯まで埋まってる状態は、神様が入れるスペースがそもそもない。
しかし、空っぽの状態で、コップに『ここに水を入れてください』とだけ書いてあって、本人は外に遊びに出かけてる場合は、「じゃあ、こっそり足しておいてあげよう」となるわけです。
だから、
こういうのも、できるだけ抑える。
待ちきれずに自分で水を注ぎ始めると、「ちょっとくらいなら」が何度も続くうちに、やがてそのスペースは自分で埋めた後になる。
かなり気をつけないと、自分で埋めてしまうのだ。
信じる信じないは自由
ただ、やり方と理由は、これで分かったはず!
困ってるときに「自我」を捨てられるか? これが神様の援護のポイント。
追いかければ逃げていく。ほしかったら誘惑しておびき寄せる。
我欲を捨てて心を空っぽに…
それが、カタカムナにはこう書いてあるわけです、
カタカムナが、神様が直接降ろしている証拠です。
【HP📲】 ◤https://hironomichi.jp◢ 【note】『カタカムナでお金を手に入れる方法』 3/27 にアップしました。