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日本弁護士連合会提出書面:4. 被告発人多田敏明の関与と役割/096_甲第六五号証 平成04年04月11日付 供述調書 被告発人多田敏明

(1).         096_甲第六五号証 平成04年04月11日付 供述調書 被告発人多田敏明 金沢西警察署 司法警察員巡査 村元康夫 24頁_1-24


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- 096_甲第六五号証 平成04年04月11日付 供述調書 被告発人多田敏明 金沢西警察署 司法警察員巡査 村元康夫 24頁_1-24|再審請求と刑事告発の証拠方法公開サイト\金沢地方検察庁御中 https://note.com/hirono2020kk/n/nc28809912cff


 Noteの検索で目的の記事がすぐに見つかりました。前の被告発人安田繁克の供述調書よりは、まだ手書きの文字が読みやすく感じたのですが、同じ警察官ではないかと思いながら確認したところ被告発人安田繁克の供述調書は、「司法警察員巡査 川原照夫」とあり、被告発人多田敏明の供述調書は、「司法警察員警部補 村元康夫」とあります。


 まず、項目「三」で、告発人廣野秀樹の入社が自分より遅く昨年4月頃に入ってきたはず、とあります。被告発人多田敏明は、市場急配センターの事務所が出来て移転する前に金沢市場輸送で見かけていた運転手ではないので、あるいは金沢市場輸送と市場急配センターの関係もよく理解が出てていなかったのかもしれません。


 昨年というのは平成3年で、4月頃としているのは単純な記憶違いかもしれないですが、6月かあるいは5月のことで22日から市場急配センターでの仕事を始めたはずです。この理由は前の引用掲載の部分に説明があったと思います。


 それまでも多少会話はあったのですが、親しく会話をするようになったのは11月中のことで、被告発人東渡好信が山三青果の作業中、ベルトコンベアに指を挟みケガをしたと言い出し、一週間ぐらいか仕事を休んで、仕事に復帰したときがきっかけで、その場所も被告発人東渡好信の大型トラックに同乗してきた茨城県古河市の青果市場でした。山三青果の仕事です。


 被害者安藤文さんを「あやちゃん」と呼ぶ運転手が多かったことは確かですが、被告発人多田敏明は妙なこだわりがある様子で、「事務員」と呼び、あわせて「興味がない」とも言っていました。


 項目「四」では、事件の原因等について、同僚等の話の間から交際を被害者安藤文さんに迫っていたものの、よい返事をしないことに腹を立てて殴ったりしたように聞いています、等と供述しています。


 原因等、同僚等とどちらも等がついていることが多少気になるところですが、聞き取りをしながら供述調書を作成した警察官の主観が入り込んでいるのかもしれません。


 被告発人多田敏明に被害者安藤文さんのことで話をしたのは12月の中頃だったと思います。被告発人大網健二も同じ頃だったと思いますが、どちらが先かは記憶にありません。被告発人安田敏に踏み込んだ被害者安藤文さんとの関係の話をしたのも同じ頃で、いずれも11月25日の電話から伊吹パーキングエリアの電話の後に自宅の電話に出なくなったことを話し、たぶんですが裏駐車場の不可解な行動が始まったこともセットで話していたように思います。


 今考えると無駄に余計なことを話したようにも思えるのですが、当時は被害者安藤文さんの言動がどうにも理解できず、藁にもすがる思いがあり、少しでも被害者安藤文さんについて情報を得たいという思いもありました。


 金石街道沿いにある「しげちゃん」というような店名の飲み屋のようなお好み焼き店から戻った後だったように思いますが、市場急配センターの事務所横に駐車した3068号の車内で最初に被告発人多田敏明に話していたような記憶です。


 同じ頃、同じ「しげちゃん」という店からの戻りで、河野さんともほぼ同じ場所と大型トラックの車内という似たような状況で話をした記憶もあるのですが、そのときの会話の内容はあまり憶えておらず、その場で被害者安藤文さんの話をすることはなかったはずです。


 一見記憶違いのようにも見えますが、告発人廣野秀樹が被害者安藤文さんのことで相談を持ちかけるようになったのは今年に入ってから会うたびにと供述しています。12月の仕事納めの近くに西口君に会ったことは、本書でさきほど記述をしましたが、その日の行動は夕方の外がすっかり暗くなった時間に、金沢市場輸送の給油機の前辺りで、被告発人多田敏明と西口君の二人が、これから被告発人浜口卓也のアパートに行こうと言い出したことがきっかけで、諸江の人気焼き肉店に行った後、1階の運転手の部屋に戻り、座敷で雑魚寝を始めたところ、しばらくして被告発人多田敏明と西口君が示し合わせて外に出て行くような不審な状況がありました。


 小声でこれからサウナに行くような話を耳にしたような記憶も残っているのですが、私は目がさえて眠れず、そのまま座敷で寝たような記憶はないのですが、そのあとどうしたのか、被告発人多田敏明と西口君の二人が戻ってきたのか、戻ってこなかったのかを含め、すっぱりと現在の記憶は途切れています。


 だいたいそうだと思いますが、年末と正月休み明けでは、状況がずいぶんと変わって感じられていました。被告発人多田敏明の記憶違いを完全に否定することは出来ないですが、平成4年の今年に入ってからとしている点は、被告発人多田敏明の供述調書の他に気になる点にも共通するのですが、意図的な事実経過の操作を感じます。これは被告発人安田繁克の供述調書でも感じていました。台本通りの筋書きに合わせると言い換えてもいいぐらいです。


 被告発人多田敏明との会話は、そのほとんどを書面にしていた記憶があります。それだけ強く警戒心をもって被告発人多田敏明の言動を観察していたことになるのですが、12月中はまだ被害者安藤文さんに対する観察の参考資料にしているようなつもりでした。


 いよいよおかしいと感じたのは、1月21日の夜に、被告発人浜口卓也のアパートで被告発人安田繁克と被害者安藤文さんに男女関係の交際があったという話を聞かされてからのことで、被告発人多田敏明がおくびにもその気配を感じさせていなかったことが、ずいぶんと不自然に思えたのです。


 この被告発人多田敏明の供述調書を全体的に眺めても感情の起伏のようなものがあり、当時19歳だった被告発人多田敏明が、他の被告発人らに利用されていた節もうかがえるのですが、その被告発人らは被害者安藤文さんの言動自体も利用していたと考えられ、被告発人多田敏明はそれほど深い事情をしらないまま利用されていたように思える節がある一方、2つ年上の被告発人安田繁克との関係性をみてもより上位の立場で計画に関わっていた疑いがあります。それだけ悪知恵に長けて、したたかだった可能性になります。


 程度はわかりませんが、被告発人多田敏明は、西南部中学校の出身と聞いた被告発人松平日出男の息子と親交があったようで、家族ぐるみの付き合いがあったという可能性もあり得るように思います。


 市場急配センターで被告発人松平日出男の息子と、たぶん前後した別の日に妻の姿を見たというのもだいたい8月の終わり頃だったように思うのですが、どちらも一度きりで、その後は話題を聞くようなこともありませんでした。被告発人多田敏明に被告発人松平日出男の息子との関係性を聞いたのは、被告発人松平日出男の息子の姿を見た直後だったような記憶です。


 家族を見せることで安心感と油断を狙ったとも考えられるのですが、その日だけのことで、後には話題になるようなこともなかったと思います。妻のことはもともと他人のはずですが、息子は被告発人松平日出男と顔立ちや体格がよく似ていると感じました。被告発人多田敏明とは同級生と聞きましたので、当時19歳になるかと思いますが、はにかみをみせながら、真面目で素直そうな少年でした。


 12月中に被告発人多田敏明から聞いた被害者安藤文さんの話はあまり記憶にないですが、事務員には興味や関心がなく、自分から話すタイプではないので、よくわからないなどと言っていたようには思います。


 被害者安藤文さんの煮え切らない態度が告発人廣野秀樹の口振りからはっきりわかったとも被告発人多田敏明は供述しています。


 被告発人多田敏明の正確や態度より、節目に告発人廣野秀樹に接触をしていたことが、まるで情報収集を目的にした工作員に映るのですが、傷害・準強姦被告事件の平成4年4月1日も、当日の事件がなければ、翌日に被告発人多田敏明を同乗させて東京行きの引越の荷物を積むと会社からは運行の指示を受けていました。


 この4月1日は、午後に1階の運転手の部屋で被告発人東渡好信の姿も見かけている記憶ですが、かなり数日ぶりにみかけた被告発人東渡好信の姿で、そのだいぶん前から精神病者を装うような不可解な言動がありました。


 12月19日ぐらいに2階事務所でクリスマスイブの日の運行を指示したときは、すっかり正気で、2月1日の夜も異常はなく健康状態は良さそうでした。こまかい経過は思い出せないのですが、無断のようなかたちで会社を休みがちになり、何日も姿を見せないことがありました。


 実際に頭の病気でおかしくなっていたという可能性も完全に否定は出来ないのですが、金沢市場輸送に入社してからの非常識な振る舞いの経過を見ていると、やはり計画的な演技だった可能性がすこぶる高く、画策と演技をこよなく愛しているようにも見えました。


 被告発人多田敏明の供述調書の項目「七」には、「一方的に、文ちゃんは俺のことが好きだと思い込んでいたものと思うのです。たとえば 俺のトラックを停める場所の隣りに文ちゃんが自分の車を停めていた。俺の気を引こうとしている と言ったりするのです。」とあります。


 裏駐車場での大型トラックの駐車場所は、事務所の方から見て左側、金沢中央卸売市場の側と決まっていましたが、駐車場所というのは決まっていませんでした。枠線がないので決めること自体が不可能に近いです。


 その大型車3068号の隣りに被害者安藤文さんが自分の車を一時的に駐車することも2回ぐらいあったような記憶ですが、気を引こうとしていると言ったような記憶はなく、1月の中頃には3回、あるいは4回、その場で直接被害者安藤文さんに声を掛けるなどして、3068号の助手席に乗ってもらい話をしています。


 被告発人多田敏明との関係でも12月の下旬以降は、二人で直接話をした機会が記憶になく、1月18日の夕方の遅い時間には二人で市川タイヤの向かいの焼き肉店で食事をしていますが、その場で被告発人多田敏明に被害者安藤文さんのことを話した記憶がなく、被害者安藤文さんとの関係も次回に会って話す約束をしていて、思いの外、前向きに順調に進んでいると考えていた時期でした。


 それが急転直下したのは、1月21日の夕方ですが、前回の約束を反故にして今日は会えないと被害者安藤文さんが直前になって言い出したのがきっかけで、この被害者安藤文さんの態度の急激な変化は4月1日の傷害・準強姦被告事件の当日と状況が似ていました。4月1日の場合、その原因は被告発人池田宏美と被告発人梅野博之の供述調書に如実な事実の記載がありました。


 被告発人多田敏明の供述調書は続けて、「そのような事は廣野さんだけでは無く 過去に私も同様のことがあったので あんただけではない と言ってこともあったのです。」という記載があります。


 被告発人多田敏明を連れた新潟の運行から戻ったときのことと思いますが、被告発人多田敏明の口からそれらしい話があり、被告発人東渡好信と浜上さんの二人が、被害者安藤文さんに「トッチ(被告発人多田敏明の呼び名)と付き合えば良い」などと声を掛け、被害者安藤文さんが「だって多田君、彼女おるんやろ」とまんざらでなさそうな対応をしたということでした。


 免停中だったのか被告発人松平日出男の指示で、被害者安藤文さんを市内配達に同乗させたことがあるような話もしていました。免停中だと被害者安藤文さんがトラックの運転をしていたことになりそうですが、被害者安藤文さんがトラックを運転したという話は聞いたことがなく、軽四の車の運転自体、得意ではないのではと思えるような場面もありました。市場急配センターの事務所前でぶつけそうになったときですが、私の方を見ていて周囲を見ないまま車を動かしたような場面で、運転技術とは違った話かもしれません。


 被告発人東渡好信と浜上の二人が意図的に被告発人多田敏明をけしかけたように思える話でしたが、性格のこともあり、事実の見極めは難しいと考える一方、私との関係で他の男性に誤解を与えかねないような素振りをとっさにとったことは、車の運転の危ない場面を見たのと同じ頃にもありました。


 他の男性社員というか運転手を刺激し誤解を与えないためにも、市場急配センターの会社内での被害者安藤文さんとの接触を極力避けた時期もあるのですが、裏駐車場の行動から被害者安藤文さんの会社内での行動はさらにエスカレーターしていきました。


 被告発人多田敏明の供述調書は、問いと答えから被告発人安田繁克のことが出てきます。被告発人安田繁克が2月1日に告発人廣野秀樹にとったのと同じような交際を否定しがちでありながら特別な関係を印象づける態度になっているかと思います。


 「廣野さんは 直接安田君に逢って 文ちゃんとの事を聞いて いるはずです。いつ頃だったか忘れてしまいましたが、安田君に逢って 文ちゃんと付き合って いたことがあったかどうか 聞いてみた と私に話していたことがありました。」とも被告発人多田敏明は供述をしていますが、これは2月1日の夜以外には考えられないことで、その場にいて、被告発人安田繁克が探していると口実にしていた被告発人多田敏明本人が、その場にいた事実を否定していることになります。


 続けて、「このように 廣野さんは 文ちゃんに対し 異常とも思える程の熱意で 交際を迫っていたことは 確かな事実です。 普通なら あきらめるところを 何度となく しつこく交際を迫り 正直言って 廣野さんのことを 何と変わった人だ と私は思っていたのです。」と被告発人多田敏明は供述しています。


 これも台本通りの筋書きを取調べの供述調書の作成でやったように思えるのですが、初めの方と終わりでは、ずいぶんな違いが感じられて、断定的な締めくくりとなっています。


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