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作成時期の疑問/被告発人木梨松嗣弁護士の平成4年12月21日付・控訴趣意補充書

 この被告発人木梨松嗣弁護士作成の控訴趣意補充書は日付が平成4年12月21日になっています。これは前から疑問があったのですが、確認のつもりで第二回公判調書を見ると「公判をした年月日」は、その翌日の22日になっていました。

 クリスマスイブの数日前に公判があったというのは、ほぼ記憶通りでしたが、被告発人木梨松嗣弁護士から郵送で控訴趣意補充書の差し入れがあったのは、公判の4,5日ほど前という記憶です。

 今考えると、下書きのようなものを送ってきた可能性があり、自分が読んだものとは違いがあるのかもしれません。

 公判に出廷した日に、ついでに控訴趣意補充書を提出した可能性を考えていたのですが、実際は公判の前日ということになります。

 12月22日になっている第二回公判の前、11月中に打ち合わせのようなかたちで被告発人木梨松嗣弁護士から郵送された書面があり、それが控訴趣意補充書という長い間の勘違いもあったようです。

 確認したところ被告人尋問があったのは、翌年平成5年1月19日の第三回公判でした。公判の期日として記憶になかった日付ですが、1月19日は母親の誕生日になります。

 どうも12月22日の第二回公判から1月19日の第三回公判の間に、被告発人木梨松嗣弁護士から控訴趣意補充書の差し入れがあったようです。年末に受け取った記憶はないので、年明け以降になりそうです。

 1月19日の公判の数日前に被告発人木梨松嗣弁護士の接見があり、その接見のあとに控訴趣意補充書が入ったように思います。内容はほとんど思い出せないですが、公判の打ち合わせ的な書面を差し入れようなことを接見のときに被告発人木梨松嗣弁護士は話していたと思います。

 作成時期の疑問から記述を始めましたが、被告人尋問の公判が1月19日ということで、記憶との整合はとれてきたと思います。

 ただ、別のところで書きますが、被告発人池田宏美や被告発人梅野博之の供述調書の具体的内容については、控訴審の段階で見ていた記憶がなく、まさかとは思いますが、名古屋高裁金沢支部に提出したのとは違うものを拘置所に差し入れて来たのかもしれません。

 また、被告発人木梨松嗣弁護士から差し入れのあった控訴趣意補充書の現物も家では見つかっていません。その前の控訴趣意書も同じです。

 時間ができたら家の中にある裁判記録の書面を総点検したいとは考えています。

 なお、「007_甲号証(四) 平成04年12月21日付 控訴趣意補充書 被告発人木梨松嗣弁護士作成 名古屋高裁金沢支部御中 9頁+1」は、平成6年11月に金沢地方裁判所民事部A係経由で、被告発人長谷川紘之弁護士から郵送された書面で、ほぼ同時期に被告発人木梨松嗣弁護士から母親経由で郵送の差し入れがあった一件記録とは違い、「甲号証」の赤い判子があります。


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