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被告発人小川賢司裁判官(現・水戸地裁総括判事)の平成11年12月21日付判決謄本と告発状関連記載部分

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 久しぶりに読み返したのですが、「犯情甚だ悪質というほかない」とありました。事実関係で関連する部分を令和5年7月7日付告発状から次に引用します。

1.         平成11年8月8日の安藤健次郎さんに対する傷害事件に移ります。安藤健次郎さんの告発人廣野秀樹に対する態度に変化があったのは、平成11年2月25日付となっていることを確認した石山容示裁判長による再審請求の棄却決定があってからのことになります。その年の4月には集中的に金沢市山科の現場に通っていました。二ヶ月まではなかったと思いますが、その現場に行かなくなったあと、2,3週間ほど毎日のように行ったのが、山科の現場と同じ松任市の堀田建設の仕事で山中温泉の現場した。6月に入っていたような記憶ですが、その山中温泉の現場に通っている頃に、安藤健次郎さんからPHSの携帯電話の番号を教えられました。

2.         平成9年1月18日に福井刑務所を満期出所した後、同年7月の1日か2日には金沢の北安江の借家に引っ越し、金沢で生活をするようになりますが、5月か6月中に被害者安藤文さんの自宅に電話を掛け、電話に出た母親と思われる女性に泣きながら電話番号を教えられ、そちらに掛けるように言われました。

3.         その電話番号というのが、当時の松任市の旭工業団地にある西鐵工所でした。その最初の電話で決めたのか記憶にないですが、9月に金沢で会うことに決まったように思います。最初に掛けた電話の内容も記憶にないですが、9月20日頃に金沢の香林坊大和前で待ち合わせをして、すぐ近くの中央公園で話をするまでの間、電話をすることがあったのかどうかも記憶にありません。

4.         一度、中央公園で会って、直接話をした後だったようにも思えるのですが、安藤健次郎さんの方から西鐵工所の方に18時以降、月に1回は電話を掛けてよいと言われました。自宅には絶対に電話をするなとも言われていたように思います。月に1,2回で電話をしていましたが、平成9年10月から平成11年8月と数えてもけっこう長い期間と階数になります。その割に記憶していることは少ないのですが、安藤健次郎さんが余り話をしてくれなかったからと思います。

5.         「そのうちわしらの気持ちが変わるようなこともあるかもしれんな」と言われたことがありましたが、10年か20年先を指しているような話しぶりとして記憶にあります。「再審になったらそのときは話を聞く」と力強い声で言われたこともありましたが、前後の会話の流れは記憶になく、この二つは平成9年の秋だったような気がします。

6.         平成11年の11月の20日頃になるのか、市場急配センターの事務所で被告発人松平日出男と会って話をすることが決まりました。1998年のカレンダーを確認すると11月22日の日曜日の可能性が高そうです。

7.         前日になるのか、このときだけは18時より早い時間だったように思えるのですが、金沢市間明のマルエーというスーパーの前にある電話ボックスから西鐵工所の安藤健次郎さんに電話を掛けた記憶があります。午後1時半だったように思いますが、その時間に被告発人松平日出男と会って話をすることが決まったので、よければその時間に市場急配センターに来てほしいと伝えました。

8.         安藤健次郎さんはすぐに行かないようなことを穏やかな話し方で言ったような記憶ですが、それに続けて、穏やかな口調のまま声の大きさを変えることもなく、「あんな会社つぶれてもかまわん」と言ったのが印象的でした。この前にも何か一言があったような気もするのですが、思い出せなくなっています。

9.         7月6日17時08分になっています。明日7月7日の午後には、この告発状を書き上げ、印刷をして能都郵便局から郵送する予定です。この告発状の作成を始めたのは昨日7月5日の16時を過ぎた頃だったように思います。

10.        平成11ね8月8日の安藤健次郎さんに対する傷害事件ですが、一審の国選弁護人となった被告発人野田政仁弁護士、控訴審の国選弁護人となった被告発人小堀秀幸弁護士の両名は、安藤健次郎さんと告発人廣野秀樹の関係について一切話を聞くことをせず、再犯になるので実刑で刑務所に行くことは確実とだけ法律の説明をしていました。

11.        懲役4年の有罪判決が確定した平成4年の傷害・準強姦被告事件を法律上の絶対的根拠として、その余を一切の事情や事実を切り捨て除外したのは、一審で懲役1年8月の実刑判決を出した被告発人小川賢司裁判官も同じです。

12.        /Users/a66/Dropbox/Mac/Documents/kk2023part2/kk2023jpg/077_平成11年12月21日宣告 判決 検察官下平豪出席の上審理 弁護人(国選)野田政仁 求刑懲役2年 金沢地方裁判所裁判官 小川賢司 7頁/077_平成11年12月21日宣告 判決 検察官下平豪出席の上審理 弁護人(国選)野田政仁 求刑懲役2年 金沢地方裁判所裁判官 小川賢司 7頁-1.jpg

13.        平成11年12月21日付となっている被告発人小川賢司裁判官の判決書を確認しました。未決勾留の算入が60日になっていることが真っ先に目に飛び込みましたが、これまで気にすることがなかったように思います。金沢刑務所の拘置所に移送されたのが9月の20日頃という記憶ですから極端に短いことはないような気もしますが、単純に2ヶ月前田と10月21日になります。金沢中警察署に逮捕されたのが8月12日なので、警察署にいるあいだの勾留は一切算入の対象にならないのかもしれません。

14.        判決書で確認したかったのは、安藤健次郎さんの怪我の程度ですが、通院加療約10日間を要する、などの記載となっていました。下平豪検察官による求刑が懲役2年となっているので、それに影響された可能性はありそうですが、10日間の怪我となっている傷害事件で、懲役1年8月というのは、相当に重い量刑になると思います。

15.        下平豪検察官の真意ははかりかねますが、弁護士の対応にこそ戦慄し、社会的な危機感を感じ、驚愕していたのかもしれません。

16.         Wordのページ内検索でわかりづらさがあるのですが、「人生」をキーワードにした検索結果は今のところなさそうです。ここで勘違いに気がつきました、検索すべきキーワードは「一生」でした。

17.        「一生」でも該当する検索結果の該当はなさそうです。まだ記載をしていないらしいことを確認出来ました。

18.        「刑事は終わった。お前が刑務所行って。今度は民事や。いくら金使こうてもかまわん。お前を一生苦しめてやる。」「犯罪者から連絡してくること自体がまちがっとるんや」、正確にそのままの言葉を記憶している自信はないですが、平成11年8月8日の夜、ニュー三久富樫店の駐車場で安藤健次郎さんに言われた言葉です。この直後に、告発人廣野秀樹は懲役1年8月となった安藤健次郎さんに対する傷害を起こすことになりました。

19.        安藤健次郎さんとは傷害事件を起こす前に、直接会って話をすることになっていましたが、告発人廣野秀樹に同伴者を付けることを条件にしていました。暗に求めたと思える人物は、被告発人大網健二か関係者KYNのいずれかです。逮捕後に聞いた話かもしれませんが、安藤健次郎さんは、その話し合いの場に、金沢中警察署の捜査官を同席させるように考えていたようです。

20.        告発人廣野秀樹は、被告発人大網健二を刺激することに強い危機感を感じ、ストレートに安藤健次郎さんの自宅が放火される可能性を考えました。実際に、被告発人大網健二兄弟の父親の美川2少年殺害事件では、父親が被害者の自宅の縁の下にもぐって放火未遂をしたような新聞報道がありました。

21.        この美川2少年殺害事件と近い時期には、すでに被害者安藤文さんの訴訟代人になっていたと思われる被告発人長谷川紘之弁護士の仮住まいのマンションで、妻が白昼に強盗の被害に遭ったという新聞報道がありましたが、逮捕されて福井刑務所に服役した被疑者が、新入教育の第一工場で、被告発人長谷川紘之弁護士の妻を強姦したと話しているということを他の受刑者に聞きました。

22.        平成13年になるかと思いますが、安藤健次郎さんに対する傷害事件で金沢刑務所に服役中には、被告発人古川龍一裁判官の妻がストーカー事件を起こし、被告発人古川龍一裁判官がパソコンのハードディスクを破壊するなどして隠蔽を行ったというニュースがあり、金沢刑務所で閲覧していた読売新聞では、司法史上最大の不祥事などという見出しも踊っていたと記憶にあります。

23.        告発人廣野秀樹に、再審請求をやめることを強く求め、西金沢駅近くの「一水」という被告発人大網健二の馴染みの小料理屋で、カウンターから座敷席に戻るとき、「いうこときかんやつは殺してしまえ、殺してしまえばいい」と不気味な呪文のような言葉を唱えたのも被告発人大網健二の兄である関係者OSNであり、被告発人浜口卓也とは能都中学校の同級生で、義兄弟ともいわれていた親しい関係性があります。

24.        今考えると金沢中警察署の警察官を話し合いの場に同席させるのであれば、被告発人大網健二や関係者KYNを交えて話をするのも大きな危険性はなく、その反応をみることが被告発人大網健二兄弟の父親の美川2少年殺害事件の真相を探るという石川県警察の合理的な目的があったとも考えられますが、やはり安藤健次郎さんが警察官を同席させるという話は、傷害事件を起こす前の告発人廣野秀樹には考えの及ばなかったことになるのではと、あくまで現在の記憶の範囲でありますが、そのように思われます。

令和5年7月7日付告発状(金沢地方検察庁御中)

 Wordのファイルでは番号付の箇条書きで185から始まっています。




 下記の有料エリアには、

2023-07-07_告発状.pdf

のダウンロードがあります。


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