休学の記録(2021/07月〜2022/07月)

今日は、この1年間の休学期間、何をしていたのか、まとめていきたいと思う。

2021年7月
マレーシアから急遽帰国することになった。コロナによるマレーシアでの規制によって生活に支障をきたす恐れがあったから。

2021年8月
帰国し、交換留学との兼ね合いもあり、1年間の休学を決断する。この休学期間のテーマは、「強い女性になること」だったかな。
この時の自分にとっての強い女性とは、自分の事業を持っている起業家だった。だから、「起業家」というタイトルに憧れて、8月の末にあった名古屋大学主催のTongaliプロジェクトのビジネスコンテストに参加した。そこでは、準優勝だった。

2021年9月
8月のビジネスコンテストで準優勝をとった勢いで、「よっしゃ!!起業するぞ!」と意気込み、経済産業省主催の始動ネクストイノベータープログラムに申し込み、倍率約3倍の選考をくぐり抜け、100人の選抜に入ることができた。そして、市内の公立中学校で学生スタッフとして、授業補助などのボランティアを始めた。

2021年10月
始動プログラムの講義が始まった。ほぼ毎週末の土日に講義があった。講義の内容はもちろん、他の受講者のレベルもとても高くて、こんな場所に自分がいてもいいのか常に不安になっていた。それでも、どんどん違う世界が広がっていくのが楽しかった。

2021年11月
この頃になると、自分で起業するよりもまえに、もっと経験や、知識をつけるべきだと感じるようになった。その時にちょうど、Facebookの広告で「ガチの有給インターン生募集」というワードに惹かれ、2022年1月から参加することになる、高校生みらいラボに応募した。応募理由は3つあって、まず有給のインターンをして働くということを体験したい。そして、コーチングを学びたい。最後が大好きな方の知り合いがやっていて信頼できるかつ、日本の教育に関するプロジェクトだったから。

2021年12月
このまま愛知県にいては、人と会えないし自分が思う起業家にはなれないと思い、東京に引っ越した。引っ越しした先は、新宿三丁目の起業家シェアハウス。
引っ越したはいいものの、すでに起業している人、起業家を目指している周りとの違いをすごく感じるようになった。それは、私には、このイスラム教徒向けの事業を一生やっていくという覚悟がないということだ。この覚悟がないから、仲間を集めること、メンタリングを受けることに積極的になれなかった。
この時期、人生で1番お酒を飲んでいたなと思う。毎週毎週飲み会に参加していた。(少し前まではカクテル一杯で酔っていた私だったけど、今では飲めるようになっちゃいました。)
この時期、精神的につらかった。高校生の時に感じていたような、次の日が来ないでほしいような気持ち、を再び感じていたな。

2022年1月
心も体も、ボロボロだったな。今思うと。
その中で、高校生みらいラボのメンターとしてのコーチング講座が始まった。

2022年2月
起業を諦め、(自分が起業したかったのは、「起業家」というタイトルが欲しいだけだったのだ)と気づいた。そして、コーチングを学び始め、自分自身に向き合っていた時期だったなと。夜涙が止まらなくて、寝れなくて、セッションに遅刻してしまったこともありました。

2022年3月
高校生みらいラボの箱根合宿に、メンターとして参加した。元々2泊3日の予定だったけれども、結局3泊4日泊まることになった。色々、ここでは書いてはいけないようなことがたくさん起きた。こんなにも、泣いたのは、久しぶりだった。しかも全く自分のこととは関係ないのに。だけど、好きな人たちが、苦しめられることに、私は耐えられなかったんだろうなと。

2022年4月
3月、4月と素敵な方々との出会いがたくさんあって、そんな人たちと一緒にいるために、自分自身をもっと高めないといけないと感じていた。だから、やりたいことを見つけるワークを真剣に受けて自分のやりたいこと、なりたい姿を言語化できた時期だった。
初めてオフィスというところで働いた。兄の会社にインターンをさせてもらった。お兄ちゃん、かっこいいな〜っと思う瞬間を見れたのはとっても良かったなと。あと、オフィスで働くこともいいな〜と思った。

2022年5月
人と長い時間を過ごすようになった。そこで気づいたこと。お互いに自立していないと、お互いに依存する。それでは、私が思い描く未来は描けない。
自分のなりたい自分になるためには、マレーシアに行く必要があると感じた。直感だった。すぐにマレーシア行きのチケットを取った。

2022年6月
5月にマレーシアに行ってYouTubeを撮るぞ!っと決断し、6月3日から6月29日までマレーシアに滞在した。この1ヶ月、本当に人生で1番あっという間だったのではないかと思うほど充実していた。楽しいことだけではなくて、あー!!!と思うこともあったけれども、なんだかすごく楽しかった。
マレーシアでは、自分がとても生き生きしているのを自分でも感じた。だから、日本では自分の中で足りない何かを埋めるものとして、人と付き合っていたのかもしれないと感じるようになった。だから、その方とはお別れをすることにした。もちろん、その方には本当に感謝している。ここまで自分のやりたいことに正直になれたのはその人のおかげ。だけど、私は私が得体未来のために、今彼という存在は必要がないんだと。強く思い、お別れをした。
6月17日から7月24日までYouTubeを毎日投稿した。
できるか、自信がなかった。でも気づいたら1ヶ月経って、一応毎日投稿はできていた。

2022年7月
日本に帰ってきた。この帰ってきた瞬間は、またすぐにマレーシアに戻れるものだと思っていた。
日本に帰ってきた瞬間は、本当に日本っていい国だと感じた。街が綺麗だし、バスも電車も時間通り。美味しいものが安い。
だけど、日が経つにつれて、マレーシアに行けないかもしれないとわかってくるとと、まじ日本くそだ!!!!と思うようになってきた。なんでかはもっと深掘りしていきたい。
そんな中で、ギャップイヤー協会で初のオフラインイベントを開催して、自分を省みたような人に出会った。そこで私は、言い訳をしたくない、自分の行動次第で日本の中にいても自分の行きたい空間に行けると思った。言い訳するな。

振り返ってみると、何もしていない1ヶ月間を過ごしてしまった。
さあ、あと、半年間の休学が決まり、何をしようか。

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