反対動機という概念

 反対動機という概念がある。何かをするという正方向の動機に対して、それをしないという負の方向の動機をさすらしい。らしい、というのはこの概念は自分は法律家から聞いたのみで、他に勉強したり検討したりしたこともないから留保をつけておく。

  1.  根本的疑問:衝動的に刃器等を用いて相手を傷つけた場合、果たしてヒトが犯行時に反対動機を頭に浮かべるかどうかを論議することは意味があるのだろうか。

    1.  殺人事件において、相手を殺傷しようとする際に、計画的犯行であれば犯行中に逡巡する考えが起こる場合はあるだろう。しかし、計画性があったとしても、何かの契機に犯行に及んだ場合、衝動性が関与してくるとすると、計画的だったとしても犯行時に逡巡する場面はない可能性も考えられる。

    2.  普通の人でも怨恨等から衝動的に刃器を用いて相手を傷つけることはあるだろう。全てが計画的犯行なのではない。衝動的行為であるとすると、あれこれ逡巡する時間は無いと思うので、犯行時に犯行動機のあるなしを問題にすることはナンセンスなのではないか。普通の人でそうであるならば、精神障害を有する人においておや。

    3.  普通の人に反対動機という概念が成り立つとすれば、精神障害を有する人についても成り立つということでないといけない。そうであるとすると、反対動機を有したか否か、ではなく、反対動機を考えようとすれば考えることが出来る能力を持っていた、ということが大事だということになろう。実際に反対動機があったか否かではなく、その”能力”があったか否か。その能力を有していたかどうか、即ち、その際の本人の状態像が問題となると考えられる。

(途中)