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22歳で子供を出産。無力感でいっぱいだったスタート

目次
1、内定決定後に妊娠
2、社会から取り残される不安
3、母親は夢を見ることでさえ怒られる
4、予想以上の難産

内定決定後に妊娠

大学4年の卒業前に妊娠しました。就職活動は氷河期と呼ばれていた時代、無事に内定を頂き単位も取得、後は卒業という時期での妊娠。父親に末期癌が見つかり、孫を見せたいという思いがありましたが”現実は厳しいもの”でした。

心からコミットメントをして内定を頂いた会社でしたので臨月まで働いてすぐに復帰すれば良いだろうと考えていたのです。激務のコンサルティング会社で時間がある学生時代に出産することは合理的だとも考えていました。

人事部の上司に伝えると、”異例”だと実質内定取り消し宣告を受けました。法人営業部という花形部署からバックオフィスでのアルバイト契約。通達に抗うだけのキャリアも実績も何もない自分の無力さをただ受け入れるしかありませんでした。


社会から取り残される不安

妊娠期間中はアルバイトに加え、公認会計士の試験勉強もスタートしました。財務計算なんて向いていない分野でしたが、0からマイナスになった部分を何かで補うような、埋めなくてはいけない、という焦燥感からとにかく動かないといけない気がしていたのです。

社会からのはみ出し者になる不安から人とは違う選択をした自分への自信はすっかり失っていました。きっと多くの人が思ったと思います「人生終わったな」と。特に私の周りは意識が高い学生が多かったので、同情されることもありました。

そうか、私が生きる社会は子供を授かっただけで外に弾かれるような社会なんだなと大きな雷雲が目の前に立ち塞がっているような気持ちでした。


母親は夢を見ることでさえ怒られる

リーマンショックで世界大恐慌の真っ只中。夫の仕事も不況の煽りを受け、貯金もままならない状態でしたので公認会計士試験の予備校に通う余裕はありませんでした。

オークションで過去問と専門学校のテキストを落札し、ノートに書き写して大事に反復練習を繰り返しました。それでも最新の傾向等を把握する必要があると思い、卒業した大学の公認会計士試験支援センターに登録をしました。年間2万円くらいの登録料だったと思います。

大きくなってきたお腹を抱え、日差しも暑くなってきていましたがバスでセンターに足を運んでいました。そこには同じように公認会計士を目指している人たちがちらほらいました。

中には子供を育てながら挑戦することに好意的な方もいましたが、大半が「試験を馬鹿にしている」「お上り受験者」と言った見方でした。一人の女性大生がつかつかと私の方に歩いてきて言いました”公認会計士試験を馬鹿にし過ぎです!不愉快です!皆全てを犠牲にして挑戦しているのに、、妊娠されながら受験なんて無理です”と。慎ましく家で編み物でもしていれば良いのでしょうか。夢や目標を持つことでさえ、怒られてしまう現実に悔しさが込み上げてきました。そこからは1日10時間以上勉強にあてました。


予想以上の難産

長女の母子手帳には”陣痛時間55時間”と記されています。ピンとこないかもしれません。丸3日間飲まず食わず痛みと戦う羽目になるとは思いません。子宮口が開かず、でも赤ちゃんは元気なので帝王切開とはならずひたすら陣痛に耐えるしかなかったのです。

産まれた時は安堵と早く勉強の遅れを取り戻さなければ!という不思議な達成感を感じていました。

混沌とした社会情勢の中、この小さな命を私が守らないといけない。無力さを嘆いてばかりではいけないと無償の愛情が大きなエールをくれました。



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