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生きるということ

私は人生の半分ぐらいはきたかな
私は人の何倍の人生を生きた自信がある
私の人生は3年をベースに人が一生に一度
の決断をすることを何回も繰り返し決断し
もがきながら生きてきた
しかし私は自分の過去の経歴を重要視
しないし人にも言う必要はない
何故かといえばそれで判断されると
面白くないからだ
私はいつもOからやりたいのだ
必要な時は経歴は出すし話すが
あまり不必要と思っている

これからは死ぬ前までたくさんの若い方を
救い目覚めさせ夢や希望を持たせていくように
したいし私のような世代は次の世代を生かす
生き方をしてほしい
お金は天国には持っていけないし
ただの紙切れ
魂が学んでなければなんの価値もない

人間にはエゴはつきものだ
エゴがある体でいかにエゴとかけ離れた人生
を生きられるか精神力試されているのだ
人間はだから物質社会に投げ込まれる
私もそこはかなり気を付けているがやはり
人間である以上100%のエゴの排除は無理だ

人間が生きるという事はエゴとの戦い
であり人との競争ではない
時代はもっともっと急速度が増し
今とは全く時代になることは既に決まっている
それに適応した生き方 暮らし方 思想 哲学
が必要となる
今の時代に生きている人は時代に合わせて
自分の変容を受け入れていかなければならない
私は逆にそれを面白がっている
楽しくやるのだ 苦しく頑固にやりすぎない
優雅に越えて適応していくつもりだ

成功のコツは
自分のエゴで世界を回すのではなく
時代が求める成功のかたちに自分が合わせ
ていけるかが今後の人生の二極化の対象
となるだろう 私は後者をとる
何故ならば私達は生かされているのだからだ
自分で生きているわけではない
生かされる哲学を取る方がよい

Hiromisan 2020 3 16