Thursday Afternoon

2000年にSFCを卒業したわたしは、希望の大手マスコミは全滅で、かろうじて、大学の先輩がやっていたベンチャー企業に拾ってもらうのが精一杯だった。その会社は、IT系のニュースメディアを運営していて、わたしは新米記者として、毎日赤坂の会社から近くのホテルで行われるプレス発表会に足を運び、記事を書くという日々を過ごしていた。

小さい会社ながらも、記者という希望の職につけたわたしは、毎日プレス発表会に通う日々を心から楽しんでいた。

大学卒業とともに伊藤くんと別れたわたしは、伊藤くんがお世話になっていた有名編集者のYさんと出会い、初対面ですぐに意気投合した。彼の幅広い知識とおもちゃ箱をひっくり返したようなガジェットだらけの部屋に興味を惹かれ、わたしは西大島の家から目黒にある彼の事務所に足しげく通うようになった。

そんなある日、彼の事務所でブライアン・イーノの「Thursday Afternoon」のビデオを見せてもらった。84年に発表された、アンビエントミュージックの代表的なアルバムの一つで、そのアルバムに映像をつけたビデオは、当時入手困難と言われていた。

裸の女の人がゆっくり溶けていくようなアーティスティックな映像がたまらなく好きで、ビデオを見ながら、昼間なのか夜中なのかわからないまま、まどろむのが、わたしの日曜の午後の過ごし方になっていた。

忙しいYさんから呼び出されるのはいつも夜中だった。タクシーに飛びのって、タクシーの窓から流れる東京の風景を見ながら、わたしは心の中で、なぜだか、いつもおじいちゃんに謝っていた。

そんなYさんとの逢瀬を重ねはじめた頃、同時にわたしは、大好きなミュージシャンのKさんとメールでやりとりするようになっていた。






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