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結果を出さないと愛されない(56/100)
※タイトルの(56/100)は、100日チャレンジの56日目という意味です。
どこかで読んだ「どんなことも、100日続けると世界が変わって見える」を体感したくてやっています♪
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昨日この投稿を読んで、「私にも、感じたくない感情あるのかなぁ?」と思い巡らせていた。その”感じたくない感情”を感じないようにするために、誰かにイライラしたり、何かにもやもやしたりして、フェイクの感情で覆い隠しているもの・・・
なぜこの投稿が気になったのか。
それは、昨日の記事をあげた時点では「書きたいこと書けた、満足🎵」と思っていたのに、後から「なんか同じようなことばかり書いてるような気がする。前にも同じようなこと書いてなかったかなぁ。ぐるぐるしてる感じがする。潜在意識の書き換え方、みたいな方法のことばかり伝えてるけど、自分にはもっと別の伝えたいことがある気がする・・・」と、またもや、もやついていたから。
そしたらなんかふっと出てきた感情があった。降りてきた、みたいな感覚。
「私は頑張らないと、成果(結果)を出さないと、愛されない。」
切羽詰まったような、悲しいけど悲しみ切れなかったような、そんな感情。そしたら知らぬ間にどんどん涙が溢れて止まらなくなった。
いつその感情を抱いたのか、
これって合ってるかどうかは関係なくて、たぶんふっと頭をよぎったもの・自分でしっくりくるものが正解。
私の場合は、妹が生まれた時だろな。2人姉妹で、私は妹が生まれるまでは、長女としてたくさん可愛がられてたんだろう。だから「取られちゃう」って思ったのかも。よくある話っちゃー、よくある話だ。母が赤ちゃんの妹を大事そうに抱っこして微笑んでいる姿が出てきて、また泣けた。
ショック受けたんだろな。
だけど、「妹のこと可愛がってるの、やだー!」「私のことも見てよー!」みたいに言えなくて(言ったらますます母が離れちゃうって思ったのか、イジけたのか。)、自分から離れる選択をした。
「私は大丈夫だから、お母さんは赤ちゃんの妹のお世話をしてあげてね。」て、いい子にして手がかからない自分になって。ほんとは抱きつきたいところを堪えて、ちょっと離れたところで見てる、みたいな。
いいとこ見せようとしたような、おぼろげな記憶も蘇る。
そして、母から褒められたこと2つ、よく覚えているものは、小6のとき愛鳥週間で描いた鳥の絵。構図や色使いまで鮮明に覚えてる。賞をとって廊下に張り出されて、そこを通るたびに誇らしげにチラ見してた(笑)それと、同じく小6の卒業文集の文章。「このそびえたつ校舎のように立派な人間になりたい。」なんて書いて、(今振り返ると照れくさい)、でも母はすごいねと褒めてくれた。
たくさんたくさん、思い出あるだろうに、その中でも特にここを鮮明に覚えてるってことは、「結果を出せば、母に認めてもらえるんだ、見てもらえるんだ。」て思ったからだろう。
でもよーく考えたら、母はとても愛情深い人。だからきっと、私のことも可愛がってくれてたんだと思う。だけど私は、とにかく自分がショック受けて以来、母からちょっと距離を取って自分が傷つかないように守り続けてきて、ちゃんと甘えてこなかったから、母からの愛情を全然受け取ってなかったんだろね。
でもね、うーん、ここの記憶はこれまでも何回か扱ったことがあったんだよね。
例えば私は、「ちゃんとしなくちゃ」というプレッシャーがかかった時、どうにもいたたまれなくなるのはなんでだろう?て自分の内側を見た時も、ここの記憶にたどりついた(それまでは単にプレッシャーに弱い人間なんだと思ってた)。だから、昇華した感情だと思っていたのに、また戻ってきて、なんでだろう?て。
そしたら、その先にまだ隠してあった感情があったんだよね・・・
「妹が憎たらしい!」てやつ。
それが出てきた時、ここのところ続いていたいろんなことがパパパーって繋がっていった。
来月誕生日を迎える妹と、再来月誕生日を迎える娘に対して、母からグループLINEに「それぞれ、欲しいものあったら言ってね」と連絡くれたんだけど、いつも母のうっとうしいくらいの愛情をめんどくさがって距離をとってる妹は、母からの連絡をスルーしたり返信したとしても遅かったり、物欲ないから「欲しいものありません」とつっけんどんな返信したりするんだけど、今回は2分後くらいにさっさと返信してて、「ちょっと高いんだけどこれ欲しいです。」と家電製品の販売サイトのリンクまでつけて返信してて・・・
そこで私の中のなにかがバチっと切れて、触発されて、むちゃむちゃ腹が立ったのです。
「なんでいつも、母からの好意を受け取るばかりなの!?物欲ないって言ってたのに、ちゃっかりオーダーしてさ!あんたは母の誕生日も母の日も長年スルーしてるのに、ずるい!(私は毎年、好みが難しい母へのプレゼントを一生懸命考えて贈ってるのに!!)ほんっと最低!」と。
自分でも全然わかんなかった、なんでこんなにキレるのか。
だけど、今回、ずっと封印してきた「妹が憎たらしい!」の感情が出てきたとき、「そっか、だからか。」とすごく腑に落ちた。
で、なんでこの感情がなかなか出てこなかったか。
それはたぶん、いつも出てきていた「私は頑張らないと、成果(結果)を出さないと、愛されない。」の方は、被害者でいられるから、「ひろみん、辛い思いしてきたんだね。」と共感してもらえるって、どっかでわかってたから(意識はしてなかったけど)、スっと出てきたんだと思う。
だけど、「妹が憎たらしい!」の方は、実は私は赤ちゃんの妹を抱っこして落としたことがあるらしく(母から聞いた。私が意図的にやったのかどうかはわからない)、加害者でなんだか悪い子になっちゃう。だから、出したくなかったんだと思った。
「なんにもしないくせに、愛されて、ずるい。」
妹は、母が過保護になんでもやってあげてしまうせいか、母と一緒だとほぼいろいろ母に任せきりでなにもやらない。でもこれって、赤ちゃんのころの妹に抱いていた感情だよね。(赤ちゃんの妹=なんにもしない・できない)。その感情をずっと隠し持ってるから、妹が大人になった今も、そういう現実を見させられてたのかも・・・
「ここに押し込められてる感情があるよ~」って気づかせるために、そういう現実を繰り返していたのかも。
前にも、妹に関する記事を書いた。その中でも、まぁまぁ妹にイライラしていた。そして一見、問題は解決したように記事は終わってるけど、終わってなかったという(*'▽')
「私は頑張らないと、成果(結果)を出さないと、愛されない。」
「妹はなんにもしないくせに、愛されて、ずるい。」
↓
私だって、なんにもしなくても(できなくても)愛されたい。大事にされたい。見てもらいたい。
この気持ちに光を当てることができたから、あとは記憶を書き換えたらいい。
ショックを受けたときの自分が本当はどうしたかったのかをイメージして、「ほんとはそうしたかったんだね」って自分を労ってあげたらいい🍀
たぶんね・・、受け止めきれなくて、なかったことにした感情って、その上にいくつもフタをして隠してきちゃうから、そのフタが多ければ多いほど、剥いでいくことに気が遠くなる。だけどこうして、必要なタイミングで、それは訪れるんだなって思った。
ここに来るまでにも布石がいろいろあって・・・それがパパパーって繋がって、「人生ってやっぱり面白いなぁ!」と最後は感嘆にいたる☺
ずっと避けてきた瞑想をやるようになったことも、どうやら大きかったのだとわかったのは、この記事を目にしたから。
一部抜粋~
あなたの身体は、ただ単に肉体的なものではない。あなたの身体の中に、あなたの筋肉の中に、あなたの身体組織の中に、抑圧を通して多くの他のものが入り込んでしまっている。もしあなたが怒りを抑圧したら、その毒は身体の中に入る。筋肉の中に入り、血液の中に入る。もしあなたが何かを抑圧したら、それは単に精神的なものではなく、それは身体的なものにもなる―
~引用終わり
↓
そうかもな、そういう押さえ込まれた感情、肉体に残っているかもな。
瞑想をしてもしても、なんだか体のだるさが抜けなくて、「なんでかなぁ、でも必要だからだもんね。」という感じで過ごしていたのだけど、ふと、「ずっと力んで生きてきた、その力みが溶けていっているんだもん、そりゃー時間かかるよねぇ。何十年か分の力み・・・(気が遠くなる)」とは思っていた。さらに今回、抑圧されたものも溶かしているんだとわかったら、時間かかることにさらに納得だ。
昨日ふと見つけたメッセージ
ー
あなたの中の、沈黙が語りはじめるまで、待ちなさい。
あなたの中の、静寂が歌い出すまで、待ちなさい。
あなたの中の、静が動へと変わっていくまで、待ちなさい。
それは、忍耐ではありません。受容です。
それは、辛抱ではありません。歓びです。
ー
ですね☺
☆皆さま、今日もよき一日を☆彡
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