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むちゃくちゃ勇気が出た言葉(86/100)

※(86/100)=【どんなことも100日続けると世界が変わって見える】のための100日チャレンジ86日目☺

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かなりすらすらと、書きたいことをこうして表現できるようにはなってきたものの、「あの表現はあれでよかったかな」「どんなふうに思われるのだろう」と、気持ちがざわざわすることがまだある。

でも、だからといって、記事自体を削除したりはしない。
”その時伝えたいと思ったこと”は、”その時伝えたいと思ったこと”だから。


私の使命は
【自分の中にある気持ちやイメージを、創造性を活かして表現する自分の姿を見せることで、それができないと思っている人にできると思えるよう着火し、「どんな表現をしてもいいんだ!」と自分の創造性を思い切り発揮する人を増やす】


これは、3つある使命のうちの1つ👆

使命はあってもなくてもいい。
だけど、それがあることで、物事を決断するときに迷わなかったり、立ち止まりそうになった時にもう一度力強く歩き始めるエネルギーをくれたりするもの。そういうことに、利用してこそ意味のあるもの。

これが使命だと言える光の体験(喜びの体験)は、大学時代に創作ダンス部で、大好きなエンヤの曲で”母性””生命の誕生とその喜びのエネルギー”をテーマに作品作りをしたこと。
「この作品イメージならこのメンバーで」と思う人に出演を依頼し、振り付けをし、衣装を創り(シルエットを決め、生地を選び、裁縫した)、小道具に風船を使うことを決め、シーンごとの照明をどうするか決めた。全て、私の頭の中にあったもの・・・「無」だったところから、「有」へ。みんなにそのイメージを共有し、一緒に形にしていく楽しさ・喜びを味わった経験💞今でもその曲のイントロを聴いただけで、一瞬にしてあの感動が蘇る☺

そして逆に、闇の体験(ネガティブな感情を持った体験)は、中学時代の美術の授業。自分の頭の中に浮かんだ、木の絵を描いていた私。先生に「こんな、同じ高さから左右に枝が出ている木はないから、描きなおしなさい。」と言われ、ショックを受け、でもイメージはかなりしっかりあったから譲りたくなくて、でも先生に逆らうのは怖くて、どうしていいかわからず泣いていたら教室の外に連れ出され・・・泣きながらボソボソと抵抗をする自分の記憶。描きなおしたかどうか、そこは記憶に残っていないのだけど・・・あれから、公園の木を見ては「先生、あるよ、私の中のイメージにあった木、現実にほら!」と未だに心の中であのときの先生を説得しようとしている未練たらたらの私。
でもその闇の体験のおかげで、私は「自分の中にあるイメージを信じる力。それを表現する勇気。」を培うことができた。だからその後も、手話劇を創ったり、卒園生を送る会でみんなが主役になる替え歌や全員を巻き込む劇を創ったりしてこれた。


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家族や友達との会話の中で。会議の中で。受けてる講座の中で。グループコンサルを受ける中で。ブログの中で。ライブ配信の中で。
自分の想いを話す機会が多い今。

発言前にも、「これ喋って大丈夫だろうか」
発言後にも、「あれ喋ってよかったんだろうか」
常に、自分自身の監視の目が厳しくチェックする習慣は、かなりマシになってきたけどまだ抜け切れていない。

これでは、喋ること自体、嫌になっていく。当たり障りのない内容で済ませるようになっていく。私の言いたいことは・・・思い浮かんだ言葉は・・・自分の中にギューギューに押し込められていく。

そしてまたさらには、そんな「言いたいことが言えないちっちゃい自分」を責める声までしてくる。


ちょっとずつ技を覚えて、そういう自己否定の声は深呼吸してのがすとか、「あなたから生まれた想いや感情は全て正解」という内容の動画を何度も見て自分にしみ込ませるとか、しているところ。

今朝出会った動画にもまた勇気をもらったので、文字起こししてシェア💞

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表現することを怖がらないでください

表現するというのは、自分の考えを話したり、感性を伝えたり、感情を出したりすることです。

あなたは、あなたの個性を表現するために、テラ(地球)に生まれてきたのです。

素直に、あなたの個性を表現できるとき、あなたは満足感・喜びを感じることができるのです。心がふるふると震えるような高揚感を感じることができるのです。それを幸せな状態と呼ぶことができるのです。

表現する、それは、あなたの個性を輝かせるということです。

でも、あなたたちはそれを怖がります。なぜでしょうか?

違う意見を言われることが怖いと思うからです。

自分を表現すると、ほかの人から、何か批判を受けたり、否定されたりすると思ってしまうから、なるべく表現せず小さくなっている方が安全だと思ってしまうからです。

でも、小さくなって、何も表現せずにいたら、あなたの心はどんどん辛くなっていきます。心のバランスを崩してしまいます。安全に見えますが、それは安全なことではないのです。

表現することは怖いことではありません。
思考の角度を変えてみてください。

100人いたら、100通りの考え方があります。
それぞれの個性によって、考え方・価値観・表現の仕方は違います。
あなたが表現したことに、違うと思う人も出てきます。
それは、その人の問題であって、あなたが気にすることはないのです。

あなたの表現が、自分と違うと言っているだけにすぎないのです。
だから、あなたが、あなたの素直な表現に対して、罪悪感をもつ必要はないのです。

何を言われたとしても、その意見は、あなたには関係のないものなのです。たとえあなたが表現したこと・話をしたことに対して、怒りを感じる人がいたとしても、それはあなたの責任ではありません。あなたの言葉に、その人が持っていた怒りのタネが刺激されただけだということです。同じ話をしても、タネがない人は怒りません。その人が持っていた、タネの問題だということです。だから、あなたが気にする必要はないのです。

もちろん、その人が怒ることを知っていて、悪意を持ってその話をする場合は違います。そして、「あなたの表現はダメです、私の意見を取り入れなさい。」という場合は、自由への介入になります。それはコントロールになるのです。どんな表現をしても、その人の自由なのです。誰も、自分以外の人の表現を批判したり、表現を変えさせようとすることは、自由への介入になってしまうのです。

あなたが、あなたの個性を表現するのは自由なのです。だから怖がる必要はありません。どんどんあなたは素直にあなたの個性を表現して下さい。そうすれば楽しくなります。ワクワクします。生きることが、素直に喜びになります。自分の表現を押し殺してしまうから、生きることが楽しくなくなるのです。辛いとさえ思ってしまうのです。毎日が同じことの繰り返しで、つまらないと思ってしまうのです。

あなたの個性を、率直に表現して下さい。誰の目も口も世間も気にすることはありません。そして、素直に楽しく表現していれば、反対に誰も何も言わなくなります。あなたの表現を楽しんでくれるようになるのです。

怖がったり、萎縮したり、素直ではない表現をするから、いろいろな意見を言われてしまうということもあるのです。
素直に、あなたの個性を表現してください。
あなたの中からエネルギーがどんどん出てきて、あなたの個性がキラキラと輝きます。
周りの人達も、そのエネルギーと共振して楽しくなるのです。
気持ちよく素敵な関係を築くことができるのです。

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こういう言葉に勇気をもらいながら、ちょっとずつ自分の意識を変えていく。

のもいいけれど、今日気づいたことは・・・

「私は、自分の発言に対して批判してくる人のことを否定しているのかもしれない。」ということ(*'▽') 自分の発言に対して、批判するもしないも相手の自由なのに、それを拒否して起こさせないようにしているのではないか?と。

と同時に、それはなぜかというと、自分自身がまさに、人のことを悪く言ったり批判することを、してはいけないことだと、自分に許可していないから。口に出すことはおろか、自分の中に人を批判する言葉が浮かんでもすぐ「こんなこと思っちゃいけない」と打ち消していたから。


そのことに気づいたのです。

人は、自分が自分に「それやっていいよ」と許可出せていないものを、人がやることに、嫌悪感を抱く。なぜなら自分はできないのに人がそれをやるのが許せないから。「なんで、やっちゃいけないこと、やるのよ!」て思うから。


だから、自分が自分に「人のことを批判してもいいよ」と許せば自分のことを批判してくる人のことも許せるようになる。そうすると、「批判を避けようとして無難なことしか言わない自分」や「正しいことを言えているかいちいち自分の発言をモニターする自分」になる必要もなく、言いたいこと・伝えたいことを発信できるようになるのです。

それは別に、「じゃぁこれからは口に出して批判しよう👍イェーイ💪」ということではもちろんなくってよ🤣✋


そっかそっか・・・
だから「誤解されたくない」「間違ったことを言っちゃいけない」といろんな縛りで自分を縛っていたんだな(*'▽')


自分で自分を縛ったのだから、それを解くことができるのもまた自分💞


さぁ、またこれで自由度をあげていきますか~✨

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