「思い出のアルバム」(28/100)
※タイトルの(28/100)は、100日チャレンジの28日目という意味です。
どこかで読んだ「どんなことも、100日続けると世界が変わって見える」を体感したくてスタートしました♪
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ちょっと無理めな目標をかかげたとき、自分の中からネガティブな思いが出てくる。これは脳科学的に、脳の仕組みとして、みんなおなじ仕組みを持っているらしい。
「叶うのかな」「自分にできるわけがない」「こんな目標をもつことはバカげている」
そんな声が聞こえ始める。
人に「無理だよ」と言われるより、自分の中から「無理だよ」て言われる方がこたえる。
大好きなゆうセンセがこんな配信をしてくれた。
ゆうセンセは本当にいろんな経験をされてきた方。その中から自分で「こうじゃないかな」と思った気づきや、実践してきて確信したことを、惜しみなく配信で教えてくれている。わかりやすいし、ゆうセンセを見ているだけで元気になれる☺
そして今朝。
そういったネガティブなことが出てきたとき、私の場合はノートに気が済むまで書くようにしているのだけど…
書いてるうちに、話題があちこちに行き、「一体どこに連れていかれるんだろう?」と思いながらもペンを走らせ続けていたら、途中で「なるほど、そういうことだったのかぁ!」という気づきがきて、それでもペンが止まらないから思いのまま書いていたら、最後はこうだった。
「心からの満足というのは、目に見える形での満足ではない。
何かを得たり、身につけたり、何かをしたから得るものではなく、ただ私の心が、何かを得なくても、何かを身につけられなくても、何かをしなくても、深いところで満たされる、その”感覚”なのだ。」
「この”感覚”これがgift。人生で最大にして唯一といってよいgiftなのだ。感覚を研ぎ澄ませよ。」
ここまで書いて、頭の中が「無」になった。まったくなにも思い浮かばなくなり、ただクリアで透明な「無」の空間となった。
そしてしばらくして
「昔から、スカイダイビングをしてみたいという願望があるけど、私、それをしたときの感覚は既に持っているのかもしれない。だからこそ体験したいと思うのかもしれない。じゃぁ、もう既に感覚を持っているならば、肉体でそれを体験したいのかどうか?肉体でいろんなことを体験したい、というのは、ほんとにこの世に生まれた理由なのか?それは誰かが言ってたことだ。よく目にすることだ。誰かの願いだ。自分は?自分は何をしに来たの?」
そしたらこの曲が流れてきた。
聴いてたら、なぜか、泣けて泣けて仕方なかった。
日本の春・夏・秋・冬。その風情。
ちっちゃいころお友達と遊んだ記憶。
あのころ、何かを得ようとも、身につけようとも、していなかった。ただただ生きてきただけ。
だけどこんなにあったかい思い出として残ってて、思い出すだけで感極まったりジーンとしたり。名前も思い出せないけれど、そのとき一緒に遊んだお友達や先生がいる。たくさんの人が関わってくれて、今がある。
幼稚園に連れて行ってくれた両親がいる。毎日私が元気でいるようにと、ご飯を作ったりお風呂に入れたりしてくれて育ててくれた。
人は一人では生きていけないというけれど。なんか言葉だけで「そうだよな」ってわかった気になってたけど、もしかしたら初めて腑に落ちたかも☺
☆最後までお読みくださり、ありがとうございます☺☆彡
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