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子どもの頃の夏休み

こんばんは、ひろみです。
私のお盆休みが終わりました。昨日4日滞在した実家から帰ってきたので、久しぶりにひとりでパソコンに向かってnoteを書き始めました。
社会人になって8年目、これほどに孤独な夏は久しぶりに感じます。昨年まで地方勤務をしていた私は、今となってはどこにあるのかわからない謎のコミュ力を発揮して、その土地出身の友人や行きつけの居酒屋に恵まれ、一人で過ごすことから縁遠い人間になっていました。東京という大都会は、たくさんの人がいる一方で、人をひとりぼっちにすることも得意みたいです。
この話はまた今度するとして、今日は子どもの頃の夏休みをテーマにnoteを書いてみます。

子どもの頃の思い出の欠片たち

子どもの頃の夏休みって、1か月以上あったんですよね。
母や父の実家に遊びに行き、それ以外は友だちと遊び、ポケモンをして、宿題をする。1か月間の夏休みなんて、子どもにとってはあっという間だったんだろうな。
自由研究で植物に色水を吸わせた思い出や、友達家族と旅行にいったのに胃腸炎になってぶっ倒れていた思い出‥。振り返ってみると、全部断片的にだけど、たくさんの思い出が溢れてきます。
溢れてくる記憶の欠片の中から、特に心に残っている思い出を3つ綴ります。

お別れの夏休み

私は幼稚園~小学校にかけて、4回転校しました。小学校は4つ行っています。長期休みといえば、引っ越しの準備する親の背中を見て育っていた私は、他の人以上に別れというものに敏感だったように思います。
小学生になってはじめての転校は、とても暑い夏の日でした。小学校1年生。ピカピカのランドセルを背負って、やっとできた友達に別れを告げました。私は入学して4か月しか通っていない小学校から、新しい小学校へ転校したのです。まだ6歳のお別れの日、私は泣いたのかそれとも泣かなかったのかそれもわからないくらい記憶は曖昧です。ただ、みんなの前でお別れの挨拶をしている像は、目を閉じて思い返してみると、結構鮮やかに浮かんでくるものです。
自我が芽生えて初めて、お友達とのお別れを経験したあの夏のことは、ずっと覚えているんだろうな、きっと。

秘密基地で過ごしていた夏休み

自然に囲まれて育っていた時期は、秘密基地を作って、そこで過ごしていました。「秘密基地集合ね」と、不確かな口約束だけで集まって遊んでいたことを振り返ると、なんだかエモい。
私たちのそれは小さな山の側面にあって、小さな穴があった。その小さな穴に拾ってきた石を保管していたような気がします。理由はまったく覚えていないけど。
あの場所で、私たちは一体なにをしていたんだろうか。たぶん特別なことはなんにもしていなくて、そこに集まってシール交換やゲームをしたり。きっとどこでもできるようなことをしていたんだと思います。
理由なく集って、理由なく笑いあう。大人になってしまうと、これって難易度高くないですか?子どもの頃にしか経験のできない夏休みの過ごし方だったんだなと気がつきました。

部活を頑張っていた中学生の夏休み

私の兄は文武両道で、子どもながらに、すごく尊敬していました。その大好きな兄が野球をやっていた影響で、私はソフトボール部に入りました(本当は野球部が良かったんだけど、公式戦に出れないという理由で断念)。
部員数は9人でギリギリ。エリアで一番弱くて、1時間守備をしていたことさえあったチームでした。私はそこで、ショートやセンターを守ったり、時にはピッチャーを担いました。本当は、兄の友人の好きな人がセカンドを守っていたから、セカンドをやりたかったんだけど、そこだけはどうしても回ってきませんでした(すみません、完全に余談です)。
試合で成果の残せなかったチームでしたが、逆にちょこっと良いことがあると喜びあえる、そんなチームでした。夏休みもたくさん練習をして、笑いあって、真っ黒に日焼けして。本当に楽しかったな‥。

書いてみてわかったことがある

子どもの頃の夏休みを題材に文章を書いてみてわかったことがあります。

いや、全然覚えてない‥(汗)厳密には、いろんなことを断片的には覚えているのだけど、細かいところまでは全く覚えていない‥。思い出せな過ぎてとりとめのない文章になってしまいました。
なんだかちょっぴりさみしいけれど、この頃の2倍の年齢になっているし、こんなもんなんですかね。

では、また。