コミュニケーションは言葉だけが大事なわけじゃないから。
コミュニケーション、意識しなくても日常にあるようなものだし、社会で生きるためには避けられないもの。
小さな頃からやっているけれど、やっぱりここは永遠のテーマなのだと思う。
今、娘が福祉施設でボランティアをさせてもらっている。
そこは病気や障がいなどで言葉が話せない、話しにくくなった高齢者・障がい者の言語療法などの施設。
だからコミュニケーションは言葉じゃなく、他のツールを使う。
ここで娘がお世話になったことで、『コミュニケーションって、何だろう』という疑問がわいてきた。
コミュニケーションに言葉を使うのが当たり前の世界で生きてきた私は、言葉がないコミュニケーションと聞いた時に、ものすごく深く考えさせられたのだ。
同時に今までの自分のコミュニケーションの多くが『ただの言葉のやり取りだった』ということにも気づいた。
言葉がないと何があるか。言葉がないコミュニケーションには何が大切なのか。
それは『心』なのだと思う。
相手を理解しようと思う気持ちがないと、本当に相手のことが分からない。
言葉があれば相手にそれほど強く興味を持っていなくても、だいたいのことは読めて来るし、相手から色々と発信してくれるから表面的なやり取りでもそこそこ関わりはいける。
でも言葉がないと、自分から興味を持ってその人の1つ1つを理解したいと思っていないと友好的にはならないし、人には『思い込み』があるから、自分の眼鏡でその人を勝手に判断してしまう。
人間の『きっとこうだろう』は自分がクリアな状態ならばあてになるけれど、自分がエゴエゴしい時には全くあてにならない。
ただの妄想でしかない。
妄想全開でいけば相手を傷つけることもある。
言葉は嘘をつく。嘘をつける。
でも言葉がないと嘘がつきにくい。
言葉を出さずに、言葉をもらわずにお互いを理解しようとすると、言葉で関わっていた時よりももっと相手のことが見えて来る気がする。
人は言葉を求めてしまう。
言葉があってこそ安心を得られたりもするし、そこに強い確証があればそれだけで人生が満たされた気持ちになることもある。
でもその言葉はもしかしたら嘘かもしれない。うわべかもしれない。
言葉を操った偽りなのかもしれない。
目に見えた安心を求め過ぎると、本質を見失う。
コミュニケーションはそもそも相手を理解しようとするもの。
そして自分のことも知ってもらって、1つ1つお互いを知っていく中で『信頼』を築いていくもの。
この前提を忘れたり、分かったうえで関わっていないと
ただ自分の考えを押し付けたり、一方的な関わりになってしまうこともある。
言葉を使わない施設にご縁をもらえたことで、自分のコミュニケーションを見直すきっかけにもなった。
相手を正当に知る事が出来れば、自分のことも分かってくる。
自分を正当に知る事が出来れば、相手のことも分かってくる。
でも、それも思い込みかもしれないから、常に『理解』の姿勢は忘れちゃならないな、と思った。
日常は私も言葉を使っている。
でも、言葉だけが大事なんじゃない。
コミュニケーションはそもそも相手を理解しようとするもの。
そして自分のことも知ってもらって、1つ1つお互いを知っていく中で『信頼』を築いていくもの。
そのツールが言葉なのか、それ以外なのか。それだけなんだ。
まだこれらは私自身、腑に落ちていない部分もあって、これから人生の旅の中で色々と気づきを得ていくと思う。
でもそのきっかけをくれたこのご縁にはかなり感謝している。
コミュニケーションの前提をたくさんの人が考え直していくことで、誹謗中傷は少しくらいは減るかもしれないし、人間関係での悩みが少し減る気がする。
前提ですべては変わるものだから。
ソーシャルディスタンスで人と離れて、人と関わる本質をもう一度見直してみてねって言われてる気がしてる。
いつもサポートや温かいメッセージをありがとうございます✨