本当に大切に思える人を大切にする生き方。

昨年の今頃は、ずっと家にいたなぁ、と思い出しました。

家にいるのが苦痛ではない私も、社会が少しでも動いている今の方が気は楽です。

完全に止まっている、って結構歯がゆいですもんね。


昨年を通して感じた事は、人は最低限のことで十分生きてはいけるということ。

娯楽がなくとも、式典がなくとも、人との関わりがなくとも、それなりに生きてはいける。

でもそれは少し味気ない。人生に彩りがないのですよね。

やっぱりある程度のお楽しみは必要ですよね。


ただ、すごく無駄も多かったんだな、と感じました。

そして基本的生活の基盤に脆さもあったんだなと。

娯楽やしがらみで、自分の基本的生活がいい加減になってしまっているところもあった事に気付きましたから。

卒業式と入学式も、うちは昨年出ましたが、短縮されてちょうど良かったです。式の後の写真撮影やお別れを伝えあう時間の方がすごく想い出に残っていますから。


人生に無駄はないと思いますから、無駄というと聞こえは良くないですが、現在はしがらみ系がカットされて、やりたい事に集中出来て、過ごしやすくも感じています。


元には戻らなくていいと思います。元に戻るということは退化しているのと同じことだから。

進化するためには新しい様式を取り入れていくことですよね。


しがらみなどの無駄を削いで、本当に大切なものだけを残し、心が満たされる生き方がしたいです。

時間は限られているから。


少し辛辣な言い方にはなりますが、他人の心の寂しさの穴埋めに付き合っている暇はないと思うんです。

人への奉仕はとても素敵なことですし、力になることや支え合いは大事だと思います。ソーシャルディスタンスしながらでも、他者・社会との繋がりはとても大切だと思うから。


ただ知らず知らずに、嫌々一緒にいる、仕方なく無駄だと思うことに付き合っている、誰かの寂しさや退屈を埋めるために使われている、利用されている、大切にされていない、というような状態に自分がいる時もあって、そこにいる時、意外と自分で気が付いていなかったりします。

自分が本当に、相手に大切にされているのかをしっかり確認することは大事ですね。

それは、愛なの?と。

自分を大切にしてくれる人、自分が本当に大切にしたいと思う人を大切にしたいと思います(*^-^*)

某ウイルスは、困った側面もあったのかもしれませんが、そういう生き方を促してくれているような気がします。


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