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淡々、粛々、あなたのままで自分に集中 天秤座下弦の月 火星山羊座入り

天秤座下弦の月。
そして射手座に滞在していた火星が山羊座へ入ります。

良くも悪くもエネルギー過剰だったものが、落ち着きを見せます。


いつもは気が重い仕事ややるべきことに、救われることもあるかもしれません。

何かに集中していると、その時間、気が紛れるのですね。
それは決して「大切なことから目を逸らしている」のではありません。

そうやって心を守るのも大切なこと。


人は「やりたいことだけ」で生きていけません。

それは「やりたいことだけで生きられない、やりたくないことも我慢してやらないといけない」ということではありません。

一見、やるべきことのような「自分に与えられた何か」が心を支えてくれる側面があるのです。

「自分に与えられた何か」とは、やりたいとかやりたくないとかそういう次元ではなく、目の前に差し出された役割のようなもの。

私たちの意志に関係なく、そこにあるもの。

それが「日常」です。

当たり前のように巡り巡るこの日常は「自分に与えられた何か」
最もたる役割です。

それをなおざりにしていれば
ここではないどこかへ何を探しに行っても、どれだけ高みにいこうとしても、勇気を出して挑戦行動をやってみても、そこには何もありません。


私たちは心の支えを強く求めることがありますが
心の支えとは「大地を踏みしめるように日常を生きること」でしか
感じることが出来ません。

今のような時ほど、淡々、粛々、自分に集中。
深呼吸して、呼吸に集中。大地を踏み締めて、自分に戻る。

日常に意識を戻す。


今、多くの人の心にある痛みは「愛」です。
人が人を想う心、愛。

痛みは愛。
愛があるから心痛みます。

人を救うこと、誰かの役に立つことで
その痛みの置き場所を見つけようとすることもありますが
痛みを持ったまま「機会を待つこと」も愛です。


今回に限らずですが、人生で苦しい時期、多くの人は「いつまでこれが続くのだろう」「また繰り返さないだろうか」などと思うもの。

そんな時、誰かの経験や話し、考え、価値観に触れることで
「この苦しみはいつか終わる」「いつかここから抜けられる」「もう同じことは起きない」と希望が持てることもあります。

ですから過度な自粛は誰かの「救われる機会」を奪うことになります。

考えなしの陽気さや表現は考えものですが、淡々、粛々、ありのままで自分に集中しての行いは、知らぬまに誰かの心を癒していたりします。


役割である日常を大切に、丁寧に、大地を踏みしめるように生きてください。

それが誰かの希望となります。

淡々、粛々、コツコツと。
自分に集中して、今、やれることをやれるだけやる。

その感覚は来る冥王星水瓶座入りに大切なスタンスにもなります。




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