フリーターその後

オレは2024年9月8日で49歳になる。死の苦しみ、それが50−1歳、ということなのだろう。

オレは一応4年制大学を卒論などは書かずに、なんちゃってで形だけは卒業したんだが、今思えば、働かずに、一生遊んで暮らそう、なんの根拠もなくそう決めて、その方針というものが…。

なかなかに強固で、とりあえず大学を卒業してフリーターになった。オレがフリーターになった2000年頃は、フリーターとは夢追い人のことであり、最先端の人種であった。

フリーターになって、25年余りが経過した。未だに身も心もフリーターのままで、経験や知識は増えたのかもしれないが、時給は200円くらいアップしたようだ。もっともこれは最低賃金が25年かけて、時間をかけて上がってきただけであり、オレ自身の能力や努力が評価されてきたわけでは全くない。

-何の根拠もなく、自分には才能があると自負してきた。ベースは持てばすぐに弾けたし、なんとなく歌も歌えた。だが、それだけである。芸というほどの領域にはまったく達していない。

むしろ、そういう地道な努力をバカにする心性が、オレをフリーターにしたような気がするのだ。労働とか金を稼ぐということをナメて、もっとラクな道がある気がして、選んだのだ。

そうやって25年余りを生きていて、職業身分の重層的な階層構造における、ほぼほぼ底辺の仕事についていて、なおかつ職業とは見做されないような仕事であり、賃金であり、社会的評価なのであるが。

-何の権限もない、低い職業身分なのであるが、最近苦情で滅多打ちにされるだよ。遊びを頑張っていた時期には、余り気にならなかったのだが、身体を壊して遊ばなくなったら、そこが身に沁みて辛くなってきた。ここでもまた方針転換して、改めて社会の痛烈な洗礼を浴びてきている気がする。

まあいつまで経っても中途半端だ。中途半端だけは、筋が通っているから笑える。

-遊びもなあ…結局他人の褌で相撲を取っているうちは、ダメなのだろう。フラフラしてると…。

また、他人の意見には真摯に耳を傾けようと、坂本龍馬と相対した西郷隆盛のように、やってきたのだが、これもダメだな。アドバイスされるから。アドバイスいらない。アドバイスいらない。でもアドバイスしたい奴は多い、大体壮年男性なのがなんとも…。オレは他人にアドバイスは一切しないと心に決めた。相手が嫌がることをしてはいけない。

-まあ芸術まわりをウロウロしてはみたんだが、結局は自分はウロウロしているだけで、なんでもないんだよなあ。したり顔でvintage rockやmodern jazzを語りたいわけでもなし。

-要するに、頭打ちなんだよな。友人には八つ当たりしてしまうし、出ていけばフラフラしてると見做されアドバイスされるし、人間関係現金化のマルチ商法を思わせる手法はそこかしこにあるし、オンナの取り分はガッチリ握って放さないわけだから、別にオレはなんにもないけど、そんな連中に情報の一滴もやる必要はないし、だいいちそこで儲けようとは思ってないし。

-オレみたいのは、いいカモだから、そういう悪所に一番行ってはいけない人間なのだが、これがな、そういう悪所が好きでな、要するにその日抱く女をな、できるだけ経済的に、システム上ではなく、恋愛的にどうにかしたい、というオトコの都合のよい幻想でしかないのだが、歓楽街とはその男性的共同幻想の上にはじめて成り立つものなので、そういうロマンはバカでエロい壮年男性の頭にしかないのは、自明の理である。

-またその頃の薄い知り合いから年末にラインが何件か来たんだけど、二人からきて、二人とも金を貸してくれ、という話で、断ったけれども、いかにも貸しそうに思われていると思うと、なんとも言えないものがある。

-でまた、こういうこと書くと、不謹慎の権化、昭和エロリーマンライフスタイルのススメみたいな文脈でしか周囲に伝わらないのにはまったく絶望する。ススメてないし、これからも薦めない。不謹慎に周りを巻き込まないことにしたんで、こんな話まじめに聞く必要はまったくないのである。

オレは売買春には反対する。カネのかかる異性関係は結ばない。そうすると詰む。

最近身内がガンになった。幸い無事に済んだようだが、オレもいつ死ぬかわからないし、この余生、好きに生きたいと思う。時には不謹慎になりたいとは思うが、決して他人には薦めない。

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