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クロムハーツ帝国~MEMO乱打M5 in LIVE A FOCUS@ひ録:わらの手

-お断り-

この「クロムハーツ帝国」という記事の内容は、
以前管理人が別のドメインでアップロードしたものです。

以前、クロムハーツのメガネ調べている時、
デザインもオーナーも魅力的だったので、
調べてまとめた内容です。

うかつにもハッキングされたのに、しばらく気が付きませんでした。
今回、若書きの部分も含めて加筆修正し、noteに転載します。

1.CONCEPT(基調)

Radical & Chic

見るがいい。
クロムハーツのアイテムを、1度でも眼にするといい。
チェーンでもペンダントでも、リングでもピアスでもいい。
大きさは関係ない。

見れば、圧倒的な迫力で立ちあがる存在感が分かるはずだ。
持てば、想像を超えた重量感に、もしかしたら立ちつくすかも知れない。

クロムハーツのコンセプトは“Radical & Chic”。(ラジカル &シック)

ラジカルは「過激」と訳される。語源はラテン語の radicis、radixだ。
植物などの「根(根っこ)」を表すが、転じて「根こそぎ」を意味する。
だから日本語では「過激」と翻訳される。

クロムハーツのアイテムを見た時に感じる存在感は、
まるで魂を根こそぎ持っていかれるような恐怖と、
その恐怖に同居する恍惚がもたらすものだ。

シックはフランス語だが、英語ならスマート。
スマートと言うのは、体型のことではない。
“垢抜けている”と言う意味だ。日本語なら「粋」だ。
要するに泥臭くない。センスが良いと言う事だ。

クロムハーツのアイテムを持った時に感じる重量感は、
まるで命を差し出せと迫られているような脅迫に
耐えている自立した人間の矜持の重さだ。

書けば陳腐だが、この事はクロムハーツのモチーフに
「セメタリー(Cemetery)」を発見した時、直観した。

現代ホラーの旗手、スティーブン・キングの小説に
「ペット・セマタリー(Pet Sematary:ペット霊園)」
と言うのがある。
(Semataryと言う誤字のタイトルは原作中の
子供らしいスペルミスから採用されている)

そう、セメタリーとは「霊園」「墓地」を意味する。

自分の作品に「セメタリー」を主題として採用し、
そうネーミングするデザイナ・・・
リチャード・エリック・スターク(Richard Eric Stark) 。
以下リチャード・スターク。

もしかしたら、それは青少年時代を森と墓地に囲まれた生家で
暮らしたリチャード・スタークにとっての原点なのかも知れない。

クロムハーツ帝国の全貌探査。 俄然、面白くなってきた。

2.PROFILE(横顔)

リチャード・スターク(Richard Stark)

クロムハーツのオーナー兼デザイナー、
リチャード・スターク。
彼は1960年5月19日(木)、ニューヨーク州ユーティカ(Utica)で
生まれた。牡牛座だ。

ユーティカはニューヨーク州の中央に位置している。
19世紀はじめ、ある旅行者がこう語っている。
とても美しい場所……(そしてユーティカのステート通りは)
いかなる点においてもニューヨーク(のブロードウェイ)に劣らない。

最近のある日本人旅行者のブログによると、
ユーティカの美しさは今も変わらなようだ。

リチャード・スタークが生まれた頃も同じように美しかったと思える。
しかし、経済・産業においては相当な紆余曲折があった、
と言う記録が残っている。

罪の街ユーティカ

20世紀初頭、ユーティカは織物産業の街として隆盛を極めた。
しかし、市場の変化から織物産業は衰退期を迎え、
工場は次々と閉鎖に追い込まれた。

追い打ちをかけるように市政も汚職等で腐敗し、
ユーティカは“罪の街”とまで呼ばれた。

神に忘れられた街ユーティカ

1950年代に入り、GE(ゼネラル・エレクトリック)が
ラジオの生産拠点を置くと、ユーティカは「世界のラジオの首都」
「ラジオの街」とまで言われるまでに復興した。

しかし、1960年代中盤、GEはラジオの生産拠点を中東に移した。
結果、市経済の逼迫と腐敗が再び始まった。

産業は衰退する。
人々は仕事のある郊外に逃げ出す。
財政は悪化する。
公共サービスも低下する。

ユーティカは“神に忘れられた街”とまで呼ばれた。
リチャード・スタークは“神に忘れられた街”と呼ばれた街に生まれた。

3.ADOLESCENCE(思春期)

フラワーチルドレン

クロムハーツのオーナー兼デザイナー、リチャード・スターク。

彼は1960年に生まれた。
若い頃のリチャード・スタークのポートレイトを見ると、
腰まであるような長髪でまるでヒッピー、フーテン、
フラワーチルドレンのように見える。

ヒッピー、フーテン、フラワーチルドレン。
(そんな言葉、そんな風俗、そんな時代を
知っている人は……もう少ないだろう)

今年(2023年)、リチャード・スタークは63歳を迎えた。
つい最近までリチャード・スタークは長髪のままだったらしい。

しかし、直近のスナップショットを見ると
髪をスティーブ・ジョブスのように
ショートにしている。若々しく、シャープに見える。

人生に一番影響を与えるのが思春期だとすれば、
リチャード・スタークのティーンエイジ(13歳~19歳)を
振り返るのは……彼のバックボーンを知る事は、意味のある事だと思う。

そう、リチャード・スタークの思春期は、
伝説と熱狂の70年代アメリカ……。

しかし、70年代のアメリカを描写するのは、
今ではとても困難な事だと思う。

当時の映画、音楽、ファッション、流行を追ったら、
それだけでもうひとつサイトが必要だろう。

それに、当時を知る人にはキーワードひとつ、
ポンと出すだけで通じる事も、知らない人には
ふ~んで終わってしまう危険性がある。

そこでザクっとリチャード・スタークの思春期、
70年代のアメリカの世相を紹介しよう。

一言でいえば、70年代はアメリカの自信が揺らぎに揺らいだ10年間だった。

1973年、アメリカは泥沼のベトナム戦争から撤退した。
昔、日本とアメリカが戦争した事を知らない若い人が増えたように、
ベトナムとアメリカの戦争も、もう歴史だろう。

ベトナム戦争の長期化で、国内外に反戦、反米の機運が高まり、
世の中は不安定極まりなかった。

ベトナム戦争が終わっても経済的にも失業率は高かったし、
インフレも急速に進行していた。

今の日本はインフレではなく未だにデフレ・スパイラルの真っ只中だが、
生活が困窮しているという意味では当時のアメリカに似ているかも
知れない。

リチャード・スタークの13歳は、そんな世界で始まったのだ。

今のリチャード・スタークは、もはや伝説の人だし、
クロムハーツ帝国の王として、成り上がったセレブだ。

しかし、その少年時代は決して恵まれたものではなかった、
とは十分想像できる。

4.CHANCE MEETING(邂逅)

革との出逢い

リチャード・スタークがユーティカに住んでいたのは、
ハイスクール卒業までだった。
卒業後は同じニューヨーク州内の田舎(未詳)へ転居した。

ところが、ある資料によるとリチャード・スタークは、
1978年には西海岸カルフォルニア州で塗装業をしながら、
建築関係の専門学校へ通いはじめた。そう記されている。

大学へ行かなかったのは家庭の困窮が想像できる。
プアホワイトの一員だったと憶測する。

しかし1960年生まれだから、1978年には18歳。
高校を卒業し田舎に引っ越し。
その同じ年に東海岸から一気に西海岸の専門学校入学では
少し整合性に欠ける。
どこかに情報の混乱か遺漏があるのだと思う。

塗装業をしながら専門学校通学。
やはりお金に不自由する苦学生のイメージが湧いてくる。

その後、リチャード・スタークはある木工職人に弟子入りする。
そして、その木工職人の父親が経営する皮革輸入会社でも働き始める。

リチャード・スタークはやがて、世界各国の革なめし工場の窓口となり、
国内のメーカーに革を販売するようになっていく。

要するに、バイリンガルならぬバイワーク、
掛け持ちで仕事をしていたのだ。

現時点で集めた資料には、両親とか兄弟に関する内容はない。
それでも、浮かび上がってくるのは、ひとりで必死に這い上がろうと
努力しているベビーブーマー(アメリカの団塊世代)の輪郭だ。

リチャード・スタークのクロムハーツ造形の原点にあるものが何なのか?
思春期を追っただけではそれは、まだ分からない。

しかし、革と出逢う事で、リチャード・スタークは、
いよいよ成功への階段を登り始める。

5.HISTORY(沿革)

皮革製品のセールスマンへ

リチャード・スタークは大工を辞め、
皮革製品のセールスマンになった。(大工より実入りが良かったのだろう)

広大なアメリカ大陸を横断・縦走するのには、
愛車ハーレーダビットソン(Harley‐Davidson)を駆使した。

このセールスの旅の中で、リチャード・スタークは
ビルウォールレザー(Bill Wall Leather)に出逢う。

ビルウォールレザーとは、ウィリアム・クレイグ・ウォール
(William Craig Wall)が1985年に作った、バイカー御用達、
今では老舗のシルバーアクセサリーブランドの事だ。
(この事をキッチリ書いてある資料は、案外少ない)

ハリウッドに移転したクロムハーツと違い、ビルウォールレザーは、
今でも会社はカリフォルニアのマリブにある。
今では絶対的な王者に育ったクロムハーツの先駆者とも言えるブランドだ。

このビルウォールレザーのシルバーアクセサリーに触れる事で、
リチャード・スタークは、銀の知識を、経験を、自分のものに
していったと言われている。

シルバーとレザーに関して、幅広い知識を持つ
リチャード・スタークの事は、やがて同業者仲間の中で
噂となって広がっていった。

ジョン・バウマン(John baumann)も、噂を聞いたひとりだ。
ジョンは興味を持ち、リチャードにコンタクトした。
そして、リチャードとジョンは意気投合した。

結果、二人は共同でバイカー用のレザーウェアを扱うようになった。
ビジネスは順調に成長していった。

忙しく全米を走り回るある日、リチャードは、ふと思った。

このウェア、いい感じなんだけ、もう少しここを
いじればもっと良くなる。自分でも着たくなる。

カスタムしたそのウェアは自分でも気に入った。
ジョンもホメテくれた。でもリチャードは何か足りないと思った。

6.CHROMEHEARTS RISING(創業)

足りないもの

リチャードは、ハーレーダビッドソン好きのバイカーの眼で、
様々なウェアやグッズのアイデアを出した。

リチャードは、良質な皮革の仕入れ元を知っていたし、
バイカーが本当に欲しいものが何なのか分かっていた。

ジョンは、リチャードのアイデアを上手く実現できる
だけの情報も場所も十分過ぎるほどに知っていた。

ふたりの二人三脚は完璧だった。何か足りないものが
あるとすれば、それはシルバーアクセサリーだった。
従来のシルバーではどうしても物足りなかった。

どうしても優秀な彫銀師が必要だった。
シルバーの優れた装飾品がなければ、
リチャードのデザインは完成品にならない。
そこまでリチャードとジョンは思いつめた。

やがてふたりは天才を発見した。その男の名は、
レナード・カムホート(Leonard Kamhout)。

後年、1994年には同名のブランドを立ち上げ、
2000年には「ロンワンズ(LONE ONES)」
と改名したブランドのデザイナーだ。

ふたりはレナード・カムホートを仲間に加えた。
後年「レザーとシルバーの融合」と呼ばれる革命が
この時、始まった。

クロムハーツ ライジング

レナード・カムホートの加入で、リチャードの創造する
ウェア、アイテムのデザイン性は飛躍的に向上した。

1988年10月、カリフォルニアのマリブで、
三人はCHROME HEARTSの名で会社を興した。

※ このネーミングに関しては、諸説あるが本人はこう言っている。
 「特に意味はない。響きがクールでかっこいいから付けたんだ」

この時、リチャード・スタークは28歳。
ハイスクール卒業から10年。
起業できるくらい出世したのだ。

この年、リチャードはマリブのサーファーだった、
ローリー・リン・スターク(Laurie Lynn Stark)と出逢い
結婚している。

公私に亘って充実しはじめた人生を、
リチャードはどんな思いで受け止めたのだろう。

7.TURNING POINT(転機)

「チョッパー・チップス・イン・ゾンビー・タウン(Chopper Chips In Zombie Town)」

創業の翌年。1989年には、リチャードの友人が監督をした
映画の衣装を担当している。

映画のタイトルは「チョッパー・チップス・イン・ゾンビー・タウン」

この映画。アマゾンで検索したがヒットしない。
日本では公開しなかったし、DVDにもなっていないのだろう。

※ 最初に、この原稿を書いてから何年経過しただろう。
 今回調べ直したら、何とポスターを掲載しているサイト
「GXOMENS」を発見。お借りしました。

Chopper Chips In Zombie Town

どう贔屓見しても、しなくても、ライダーがゾンビに襲われる、
と言う趣向のB級テイストのホラー映画としか思えない。

しかし、ロジャー・コーマン監督(アメリカの有名な低予算、
B級テイスト映画の監督であり製作者)のように、結構、
この分野からは、有名人が輩出されるのだ。

ちなみに、ロジャー・コーマン監督の下で働いた、
いわゆる門下生を並べると……。

監督では
マーティン・スコセッシ、F・F・コッポラ、
ジョナサン・デミ、ジェイムズ・キャメロン等々。

俳優では
ロバート・デ・ニーロ、ジャック・ニコルソン、
デニス・ホッパー、ピーター・フォンダ等々。

以上のメンバーが受賞したアカデミー賞を数えると、
50個を超えるそうだ。

「チョッパー・チップス・イン・ゾンビー・タウン」も、
リチャード・スタークにとって、クロムハーツにとって例外ではなかった。
登竜門になった。

※ 何と!あまりの人気に、この映画はご覧の通り
 「Chrome Hearts」と改題されたと言うのだ。

Chrome Hearts

マスコミでのCMやPRは全く行わなかったが、
高品位なそのデザイン性やレベルの高さから、
クロムハーツはクチコミだけで、その評判を
圧倒的なスピードで全米に広げていった。

最初はバイカー連中の間の評判だけだった。
ところが「チョッパー・チップス・イン・ゾンビー・タウン」の
衣装担当は、思いも寄らない波及効果を発揮した。

ハリウッドセレブには妙にスノッブ(俗物的)なところがあって、
この手の映画を好んで見る傾向も実はあるのだ。

バイカーウェアに興味はないが、ひときわ眼に付いた
シルバーアクセサリーには無性に魅せられた。

こうしてクロムハーツは、バイカーウェアに付いている
シルバーアクセサリーから、ハリウッドセレブの注目を
浴びた結果、単品の装身具として独立した。

1992年。設立してわずか4年後。
クロムハーツはCFDA賞を受賞する。

*CFDA(Council of Fashion Designers of America=
 アメリカファッション協議会)

*受賞対象は10数項目あるが、クロムハーツが 受賞したのは
 Accessories Designer of the Year。

*CFDA賞は、ファッション業界のアカデミー賞
と言われるくらい、権威が高く評価が高い。

この受賞で、クロムハーツの知名度は、
一部のセレブから一般の消費者へと拡大し、
その後の快進撃はもはや周知となっている。

8.EYEWEAR(眼鏡)

EYEWEAR業界への進出

2002年。クロムハーツはアイウェア業界にも進出をはじめた。

アイウェア業界でも、クロムハーツは発展の一番の
要因となった「レザーとシルバーの融合」を追求した。

ハイソでラグジュアリーなモデルを次々と発表。
ここでも最初に眼を付けたのはハリウッドセレブだった。

何しろ、テンプル(メガネのツル、ウデの事)の外側に燦然と、
または大胆に自己主張するシルバーアクセ付きのアイウェアコレクション
なのだ。

プロフィール(横顔)を個性的に魅せるアイテムとして、
つまり、自分を他の誰よりも目立たせるグッズとして、
ハリウッドセレブは好んで着用した。

こうして、クロムハーツのアイウェア はアッと言う間に
市場に出回り、アイウェアブランドとしての一等地を難なく確保した。

CHROME HEARTSのネームバリューに相応しい
価値を提供するメガネフレームにするために、
最大限の手間と時間が費やされた。

選ばれたのはどこよりも高い品質のレザー。
誰もメガネに使った事がないような高級木材。
今までのメガネの常識を覆すシルバージュエリー。
技術は最高品質のスタッフが集められた。

CHROME HEARTSは、高価なコレクションと言われる。
その理由は、しかし、珍しい素材を使っているというより、
ひとつひとつの製品を、時間を手間を掛けて作成しているからだ。

モチーフは、Closs Dagger(クロス・ダガー:短剣)、
FLEUR(フレアー:紋章)等を模している。
しかも、純銀0.925カラットが使われている。

熟練の銀細工職人が集められ、細かい細工が必要な
それぞれのモチーフ独自の装飾様式に対応させている。

各部のパーツは鋳造の段階から手で磨かれ、
最終的にはアンティーク加工が施される。

英語で「丹精を込める」を“give one’s whole mind to”と言うが、
文字通りクロムハーツは作る者が全身(心)全霊を与える覚悟で
作られている。

9.PROCESS(工程)

EYEWEARの製造工程

クロムハーツのメガネ、サングラスには本革製もある。
その本革は、全てイタリアからの輸入品が使われている。

本革製のテンプルは手縫いで仕上げてある。
ひとつひとつ、縫製の機械は使わず丹念に
丁寧に作り上げられている

完成した革で作られたテンプルのメガネやサングラスは
とても掛けやすい。

しかも、年月が経てば経つほど肌に馴染み、
もう手放せないほどのフィット感を持つようになる。

使用される木材は、肌理(きめ)が細かく超硬、耐朽性があり
磨耗耐久性の強いマッカサル黒壇。そして、ブラジル・マホガニーのみだ。

*現在では、ワシントン条約でブラジル・マホガニーの輸出入は
 禁止されている。

7枚または9枚のとても薄い木の層を重ね合わせると言う、
とても面倒で特別な手法で木製テンプルは作られている。

結果、この木製テンプルは非常に強く、変形が少なくなる。
最終段階になると、表面には非アレルギー性のラッカーが塗られ、
人の手で6回も磨かれる。

そう言った工程を終えてはじめて、テンプルの表面に施す
デリケートな彫刻用に超高感度レーザが使用される。

10.LOVERS(信者)

EYEWEAR 海外の信者

クロムハーツを愛用しているセレブは結局、
アイウェアだけじゃなく他のアイテムも愛好しているのだが、
取りあえずアイウェアで眼に付いた人をピックアップ。

クロムハーツのアイウェアを掛けているセレブのキャラが
立っているのはもちろんとして、フレームのモデル名も
それらしくて面白い。

【パリス・ヒルトン:Paris Hilton・・・Queenie】
ご存知、お騒がせ女のパリスが掛けているのは"Queenie"。
"Queenie"の意味は「女神」「女王」なのだが「ホモ」と言う
意味もある。どっちなんだ?

【エルトン・ジョン:Elton John・・・Drilled】
エルトン・ジョンが掛けているのは" Drilled "。
"Drilled"の意味は「穴を開けられた」。
エルトン・ジョンが、分かっていて掛けているのなら、
洒落がキツイ。

【ユマ・サーマン:Uma Thurman・・・Elixer】
ユマ・サーマンが掛けているのは"Elixer"。

※ 実際の発音は“ユマ”よりも “ウマ”に近いらしい。
  日本では語感が悪いからか、ユマと表記され発音される。
 (そう言えば、スカーレット・ヨハンソンも本当はジョハンソンらしい)

しかし、エリキサーて何の意味だろう?
ELIXと言うのは純水製造装置の名前らしいが、
調べても詳しくは分からなかった。

【カール・ラガーフェルド:Karl Lagerfeld ・・・Hung】
カール・ラガーフェルドが掛けているのは“Hung”。
アメリカの俗語で、確か「男の大きなあそこ」の意味だが・・・。

※ ああ、カール・ラガーフェルドも、
 エルトン・ジョンと同じ世界の人だった。

カール・ラガーフェルドと言えば、メガネに限らず
全身クロムハーツのような人。
クロムハーツのファンを公言していた。

指輪、ブレスレット、ゴツいバックル。
自分でアイウェアブランド作らないのが不思議なくらい。

しかし、クロエ、フェンディ、シャネル、カール・ラガーフェルド、
と4つのメゾンのデザイナーを兼務していた。
どういう才能だったのか?

11.MOTIF(主題)

クロムハーツには様々なモチーフが取り上げられている。

リチャード・スタークはもとより、
レナード・カムフォートなどのデザイナーが
多種多様なモチーフを生み出してきた。

最近では、リチャードの娘でミュージシャンでもある
ジェシー・ジョー・スタークが、トップデザイナーとして
クロムハーツを盛り上げている。

ミュージシャンだからだろうか、彼女の生み出すデザインは
"PUNK(パンク)"シリーズと呼ばれている。

クロムハーツの有名なモチーフの中から何点か紹介。

【ハート:Heart】

【ハート:Heart】

柔らかなハートの甘やかなイメージを具現しながら、
硬質な印象を与えるのは、巻きついているのが茨(いばら)?だからか。

クロムハーツのモチーフには両極を表現したものが多いような気がする。
宗教色のようなものも。

※ スターク自身は、自分はクリスチャンではないと明言している。
 (これはこれで、西欧世界では爆弾発言だと思うのだが)

【ケルティック:Celtic】

【ケルティック:Celtic】

今なおアイルランドに残るケルト神話が題材。
メインのモチーフは「ケルティック・ドッグ」と
呼ばれる伝説の守護犬。

犬ではなく龍に見えるのは伝説の動物ゆえか?

【フローラル:Floral】

【フローラル:Floral】

意味は“花のような”。
蔦が絡みつくようなデザインの反復が、
綺麗な花模様を描いている。

シンプルでマイルドなイメージからか、
ボールチェーンやピアスにも好まれて使われている。

他のモチーフ、例えばハートやダガーなどと競演する事も
多くある。


【BSフレアー:BS Fleur】

【BSフレアー:BS Fleur】

BS はBoy Scoutの略。
ヨーロッパの紋章、特にフランス王家と因縁が深いのが
fleur-de-lis(フルールドゥリス)の紋章。

直訳すれば「ユリの花」だが、一般的な「ユリ」
(ユリ目ユリ科ユリ属)ではなく、本当は「アヤメ」
(ユリ目アヤメ科アヤメ属)の事らしい。

モチーフがフランス王家の紋章のせいか、
クロムハーツ本来の硬質なモチーフ群の中では
とても柔らかく上品な印象を与える。

ドッグタグのBSフレアーとも印象が異なる。

【ダガー:Dagger】

【ダガー:Dagger】

基本になっているのは、ヨーロッパ中世、暗黒時代の短剣。

硬質なイメージのデザインの中に、近代を切り開いていく
パワフルさも併せ持つ。

12.EMPIRE(クロムハーツ帝国)

CFDA賞を受賞してから30年以上が過ぎた現在。
クロムハーツは一種の巨大なコングロマリットになっている。

現在扱っているのはボタン・ファスナーだけでない。
ペンダントや指輪はもとより、ブレスレット、ネックレス。
Tシャツ、ジャケットや手帖やマナイタ(?)、
子供用製品、幼児用品など多種多様な商品を
扱い販売している。

まるで一時期のサンローランのような様相を
呈しているが、人気の衰える気配はない。

創業からのポリシーである手作りを堅持しているので、
商品数が少なく需要があっても供給が追い付かない。

人気があっても入手しにくい状況になっている。
いわゆる飢餓市場を維持している。

ワイドな商品構成。ナローな商品数。
そのため、クロムハーツブランドは、
コアでタイトなポジションをキープしている。

その様相を「クロムハーツ帝国」と呼ぶ事に、
誰が抵抗できようか。

以上「クロムハーツ帝国」


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