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「てんびんの詩 第一部(原点編)」詳解~百年顧客 in LIVE A FOCUS@ひ録:わらの手


はじめに

映画「てんびんの詩 第一部(原点編)」の詳細な解説をしています。
そのため、まだこの映画を未見の方は、ここの文章以外は
お読みにならない方が良いと思います。 
(俗に言う、ネタバレ、ネタバラシだらけです)

逆に言えば、一度でも「てんびんの詩 第一部(原点編)」を
ご覧になった方には、有益な内容になれば、と願っています。

この映画は、学校教育や企業の社員教育にも
よく使われているようです。

実際に、このサイトの管理人そのものが社員教育で使っていました。
ただ、観てもらって終わりにする会社、担当者もあるようです。
(途中入社の新人からの情報です。これで三回目と言う人も・・・。
「こんなに詳しい解説は初めてだ」と言う人も・・・)

場面場面にどのような意味があるのか? それを考えて解説を
繰り返して行く内に、結構な分量になりました。

「てんびんの詩 第一部(原点編)」は、1988年公開の映画ですから、
もう35年も経過しています。(2023年時点)

※ 「てんびんの詩」がDVD化(2004年)された時のブックレットが
  出てきました。それによると「1984年8月、『てんびんの詩』
  第一部の試写会が京都のホテルで行われた」とありました。

 つまり、一般公開までには4年の月日を要した事になります。
 実際には、制作されてから40年近く経っているのです。
 今、観ても古びていないと感じるのは、
 サイトの管理人だけでしょうか?

全三部作で、第一部がこの「原点編」で、
主人公の少年時代のなべぶた売りの苦労を描いています。
第二部が「自立編」で、高校時代の韓国での行商を描いています。
第三部は「激動編」で、戦中の悲嘆と戦後の家業再建話です。

このサイトは「第一部(原点編)」をメインテキストにしています。

企画・制作者の一人は鍵山秀三郎(かぎやま ひでさぶろう)と言う人物で、
イエローハット(旧ロイヤル)の社長、相談役を務めた人物です。
※ 鍵山 秀三郎(1933年8月18日~ )
 以降、生年没年はWikipedia他より。

今回、調べ直して分かった事があります。

昭和47(1972)年、びわ湖放送で近江商人が取り上げられました。
その時、元毎日新聞、当時びわ湖放送常務の徳永眞一郎氏の紹介で
日本映像企画の竹本幸之祐(たけもと こうのすけ)氏が、
近江商人研究家の江頭恒治(えがしら つねはる)、滋賀大学名誉教授に
出会いました。
※ 竹本幸之祐(1928年~1989年)
※ 江頭 恒治(1900年~1978年10月5日)

江頭氏のお話を竹本氏が聞いて「てんびんの詩」の構想が
生まれたそうです。
実に着想から完成まで12年を要している事が分かったのです。

管理人は、研修生がこの映画を観てから
感想文を書いてもらっていました。

※ 翌日の解説の時間が円滑になるよう、事前に以下の内容を話しました。
 この映画は、小学校を卒業した主人公が、父親から
 跡取りにする条件としてなべぶた売りの行商を指示されます。
 最初はなかなか売れません。売れない理由を考えながら観て下さい。

 最後に、あるオバさんが買ってくれますが、
 何故オバさんが買ってくれたか? それも考えて下さい。

 そして翌日、スクリーンショットのスライドを用いたり、
 必要に応じて当該場面を再生しながら解説していきました。

注) 「てんびんの詩 第一部(原点編)」の各シーンから、
  スクリーンショットを引用しようとしましが、
  管理人の力不足で現著作権者様から了解を得られませんでした。
  著作権侵害はしたくないので、代替コメントならぬ、
  代替シーン説明を提示します。
  鑑賞経験のある方なら、それがどのような場面か分かると思います。

 なお、このテキストは約19,000字です。
 400字詰め原稿用紙にして50枚近く。代替シーン説明画は約20枚。
 渾身の解説資料です。それでは、お付き合い下さい。

 


なべぶたを売れ

映画は、物語の舞台となる滋賀県湖東地方の風景を、
紹介するところから始まります。

功成り名を遂げ国際的な名士となった主人公(下元 勉:しももと つとむ)が、インタビューを受ける場面から物語は始まります。
※ 下元 勉(1917年10月2日 ~ 2000年11月29日)

このインタビュアーが企画・脚本の竹本幸之祐氏です。
今までに一番糧になった事は?と言うインタビュアーの質問に対し、
年老いた主人公は答えます。

「そりゃあ、若い頃のなべぶた行商でしたね」
「ただのなべぶた売りですよ」

最初は固辞していた主人公も、
少しでもお役に立てるならと話しはじめ、
タイトル「てんびん詩」が出て、ストーリーは動き始めます。

年老いた主人公を演じる下元勉が、平素の柄(好々爺)にあった
品の良い芝居をします。出てくる場面は、この冒頭だけですが、
全編の回顧を通して場面場面のモノローグを担当し、
主人公の行動を読み解く、良き案内人になっています。

※ 研修では、参加者に主人公のフルネームを尋ねます。
 大抵の参加者は答えられません。
 映画の中では、大ちゃんとか大作とか呼ばれるだけだからです。
 
 「近藤大作」とフルネームで答えられる参加者がたまにいます。
 インタビュー開始前のカチンコに、フルネームが書かれているのです。
  これは、解説研修への集中力を高めるために採用した質問です。

※ さらには、近藤商店の何代目になる予定かも、重ねて訊きます。
  三代目と答える参加者が多い。
  これは土間?に天秤棒が三本架かっているからだと思います。
  実際には、最初の父親との場面で十代目と分かります。
  (十代ですから、ざっと300年の旧家です)

これも質問を重ねる事で、より研修に集中して欲しいからです。
また、他の研修生の回答を聞く事で、映画の見方を深めて欲しい、
そういう目的もあります。


小学校の卒業式が終わり、友達はその足で大阪の奉公先に向かいます。
その子の母親が言います。「少しでも早く(奉公先)に着いた者が先輩だ」
こんなところからも、当時の奉公人事情が分かります。
(早く着いた者ほど、熱意が認められるのでしょうか?
 それとも単なる先着順?)

肝心の主人公はと言えば、帰宅すると父親から呼ばれます。

そして宣告されます。
「なべぶた売ってこい」
「売れれば(近藤商店の)十代目の跡取りにするが、
 売れなければ土地をやるから百姓をやれ」

理由を訊く大作に、取り付く島もなく一言。
「売れたらわかる」

父親役の栗塚 旭(くりづか あさひ)が「新撰組血風録」「燃えよ剣」の
土方歳三とはまた違った、気骨のある硬派な商人(あきんど)像を
演じています。
※ 栗塚 旭(1937年5月9日~)

さらには、息子のこれからを予告もしています。
「男の13と言えば多少の事ではへこたれない体力もあるし、
考える知恵もある」

その後、大作は父親の予告通りの行動を取ります。
このように「てんびんの詩 原点編」には、
伏線と予告が散りばめられています。

その夜、明日からなべぶた行商に行かなければならない前夜。
どうしたら良いか悶々としている大作に弟が入れ知恵します。

挨拶

Q:これは、どう言う場面?
A:下を向くなと言われる。
Q:なぜ下を向いていたらいけないんでしょうか?
A:知ってる人に会っても挨拶ができない

そうですね。翌朝、てんびん棒の両端になべぶたの入った風呂敷を吊るし、
渋々出かけようとする大作を、母親(長内美那子:おさない みなこ)が
いつになく大きな声で叱りつけます。
※長内美那子 (1939年2月17日~)

「下を向いて歩いたらあきまへん。下を向いて
歩いていたら知り合いに出おうても挨拶でけへん」

挨拶ができるためには、相手を見つけなければなりません、
向こうから先に挨拶されて初めて気付いて顔を上げるようでは
一人前の商人にはなれません。挨拶は商人の基本です。
だからお母さんはいつになく大きな声なんです。

この映画の脚本は良くできていると思います。
縦軸はなべぶたが売れるまで。
横軸は登場するそれぞれの人物が、
大作に商いに必要な事を助言するようになっています。
その様子が不自然なく描かれています。

この場面もそうです。きちんと前を向いて歩き、
知り合い、お客様を認めたら、ちゃんと挨拶しなさい、
と言っているのです。

ちなみに「挨」「拶」と言う漢字は、変な言い方ですが
「挨拶」と言う言葉以外には使われていません。

禅問答で出題者は「作麼生(そもさん)」と言い、
解答者は「説破(せっぱ)」と返します。

意訳すれば「解いてみよ」「解いてみせよう」でしょうか?
これを「一挨一拶(いちあいいっさつ」と言い
「挨拶」の語源となっています。

「挨」は心を開く、と言う意味だそうです。
「拶」は迫る、と言う意味だそうです。

「挨拶」を意訳すれば「心を開いて相手に迫る」でしょうか?
禅問答のはじまりにおける真剣な応酬への気合いを感じます。

(弟の入れ知恵通り)目星を付けていた最初のお宅に来ました。

Q:ここではどんな売り方をしましたか?
A:日頃の恩を嵩に懸けて。

そうですね。近藤商店に出入りしている、
お世話になっている人の家です。

Q:そういう売り方を何という?
A:押し売り。

でも、オバさんは近藤商店にお世話になっていても、買ってくれません。
Q:オバさんは、どんな風に大作をたしなめていますか?
A:お寺の割り当てじゃあるまいし、やくざもんの商いやあるまいし。

そうですね。
「二枚買ってもらうつもりで来たから二枚買えなんて、
そんな商売あるもんか」
と言っています。

そして売り方についてもアドバイスしていますね。
「挨拶もしていない、第一、肝心の品物も見せてない」

挨拶の件は、お母さんに言われたばかりなのに。
人間は言われただけではできないのですね。
悲しいかな、痛い目に遭わなければ、できないのです。

当てが外れた上にお説教まで食らい、
腹が立って腹が立ってアッカンベーしてます。

ところで、出入りのオバさんのお説教(アドバイス)を、
真意を、大作はキチンと受け止めているでしょうか?

受け止めているんですね。
その証拠に、次の場面で大作は風呂敷の中から、
数枚のなべぶたを出して、すぐ見せられるようにしています。

なべぶたを売り歩く者

次の場面では、お百姓さんに売ろうとします。
「昨日、買ったから要らんわ」

短い場面ですが、このお百姓さんは都合三回出てきます。
この物語のキーパーソンのひとりです。

ここも短い場面ですが「青木醫院」です。
旧字体で「醫」と書いてあるので、時代を感じさせます。
最後の方で分かりますが、大正末期の話です。

出て来た女性は家の方でしょうか?
それとも今で言う看護師さんでしょうか?

※ ナース服なのか、割烹着か分かりません。
  看護師白衣の変遷を調べると「足首から10㎝ほど短い
  割烹着のようなものを重ね着し」とあります。
  しかし、この女性のような写真は見つかりませんでした。

Q:それはともかく、この女性は、何と言って断りましたか?
A:昨日買ったから要らんわ。

そうです。そう言います。
これホントだと思いますか? それとも嘘を吐いている?

私は、ホントだと思います。
だって、この女優さん綺麗じゃあないですか!!

冗談はさておき、この後の場面で先程のお百姓さんが言います。
「三日にあけず売りに来るなべぶたを、
 いちいち買っていたらこっちが売り歩かなくちゃならない」

大作のお姉さんも言っています。
「なべぶたを売り歩くのはこの地方の跡取りがみなやる事」

つまり、場面としては出てきませんが、
なべぶたを売り歩いているのは、
大作だけではないんです。
だからなおさら売れないのです。

私は、そのように理解しました。

大工の家

どうやら大工さんの家のようです。
Q:これは、何をしている場面ですか?
A:土下座です。

そう、土下座をしています。
最初の家では高飛車に、上から目線で行ってダメだったので
今度は下からです。確かに馬鹿ではないです。
考えています。考え方は間違っていますが、考えています(笑)。

土下座して買って下さいと拝み倒しています。
それに対して、大工のオバさん(絵沢萌子:えざわ もえこ)は言います。
「商人(あきんど)が卑屈になったらあかん」
※ 絵沢萌子(1935年3月28日 ~ 2022年12月26日)

高慢でもいけない。卑屈でもいけない。
商人とは何と難しいものなのでしょう。

そして最後にオチを言っています。

「大工のところに板細工を売りに来る方が無茶だ」

必要のない人に必要のない商品は売れない。
必要のない人は必要のない商品を買わない。
そういう教訓でもあります。

玄関

Q:これはどんな場面?
A:玄関から入って叱られる。

小商人が玄関から入って来るな!と言う訳です。
確かに、商人が訪問するのは、一般的には勝手口か御用口なんでしょうね。
でも大作には分らない。
越後屋みたいな豪商なら、玄関から堂々と入れるのでしょうね。

今度は裏口に行って叱られます。
「コソ泥みたいにウロウロするな」と言われて叱られます。

どうなんでしょう? 玄関から入るのと裏口から訪問するのと、
どっちが正解なんでしょうか?
ただ、この場面だけを取り上げたら、大作の無知の強調か、
理不尽な経験でしかないでしょう。

実は、この場面は次の場面への伏線になっているのです。

次の家では、お母さんに怒られてしまいます。
どうして怒らせてしまったんでしょうか?

家の中で赤ちゃんが寝ていたんですね。
それなのに、大作が気つかずに扉をドンドン叩いたから、
赤ちゃんが起きて泣き出してしまったのです。

大した構えの家ではないから、先ほどの腹いせもあって
ドンドン大きく叩いたのかも知れません。

赤ちゃんはようやく寝入ったばかりだったのかも知れません。
あのお母さんの怒りようからすると、そうも思えます。

ところで大作はこの家で赤ちゃんが寝ている事を
「事前に」気がつく事ができなかったでしょうか?

Q:家の中で赤ちゃんが寝ているかも知れない。
 そう事前に予想する事はできなかったでしょうか?
 (気付く方法があったかどうか、賛否を挙手してもらう)
A:家の前の物干し竿に布おむつが干してあった。

※ そもそも、布おむつを知らない若い人がほとんどです。
  それでも、たまに布おむつが干してあると気が付く人がいます。

そうです。その通りです。
家の前の物干し竿に、赤ちゃんの布おむつが干してあったのです。

つまり、家々には家々の事情があり、玄関から入った方が
良い家もあれば、裏口から訪問した方が良い家もあります。

だから、それが事前に分らないのは、ある程度情状酌量の余地があります。
でも、この場合は違います。

家の前の物干しに布おむつが一杯干してある。
家は静かだ。赤ちゃんがお母さんと一緒に
出かけている可能性もあります。
でも、家の中で寝ている可能性は、もっとあります。

少なくとも他人の家を訪問する商人であれば、
外から見て気付ける家々の事情に、もっと注意を払わないといけない。
ここで描かれているのは、そういう教訓だと思います。

家の中では赤ちゃんが寝ている。
それなのにドンドン戸を叩いて訪問してしまった大作に対して、
このお母さんにはそんな事も分からないあんたは商人失格だよ!
という気持があるから、あのような強い叱責になっていると思えます。

この場面の最後のカットは、赤ちゃんを抱えたお母さんのバックに
布おむつが万国旗のようにはためいています。
このカットで、私はこのシーンの意味を、そう理解しました。

この後大作は、お寺の鐘を叩いたり
お地蔵さんに落書きしたり、と無茶苦茶な行動に出ます。
叱られた事への怒りというよりは、
気付けなかった自分への腹立たしさで、
そういう行動を取ったように見えます。

再び、小さな自尊心が傷付いたのです。
見方を変えれば、この映画は小さな自尊心を捨て、
大きな自尊心を育てる物語かも知れません。

「大ちゃんみたいに暗い、貧乏神みたいな顔してるさかい
 売れへんのと違うかなァ」

「あのな、てんびん棒担いで、なべぶた売りするのは
 お父さんも、おじいちゃんもやったんや。うちの家の修行なんよ」

「気分転換に祭りでも行ってきよし」

大作は、お姉さんにも励まされ、気を取り直して行商に出ます。

薬売り

さて、次はある農家の前です。
大作は、見るとはなしに見ています。

布おむつと一緒で、今ではみなさん、分からないかも知れません。

この農家を訪問しているのは薬売りです。
配置売薬と言って1年に1回、お得意様を訪ねては
消費した薬を補充し、同時に代金を回収する仕事です。
(先用後利:せんようこうり。子供の頃、母の実家にも来ていました)
有名なのは越中富山ですが、近江地方では甲賀売薬とか日野売薬が
知られているそうです。

配置売薬は、今でもあります。聞いた話では、顧客台帳は
1,000万円以上で取引されるそうです。
(ある新人の父親が業として携わっていたそうです)

※ 各家庭毎に、住所氏名・配置薬の種類・数量、売上金額などの他、
 家族構成、持病なども、詳しく書いてあるそうです。
  今で言う個人情報の塊ですね。

Q:これはどんな場面ですか?
A:とても愛想良く振る舞っている。

その家の子供の成長を誉めたりして、とても愛想の良い応対です。
愛想が良いし、お土産まで持ってきたので、その家の人も歓待しています。
大作は思います。やはり商人は姉の言うとおり愛想が大切だ。

大作は、寺の境内で一生懸命にお愛想の練習をします。
何度も何度も、言葉を変え、発声を変え、練習します。
個人的には、ラストシーンに続いて、この場面には涙ぐみます。

練習をして、次の農家に来ましたが、どうも様子が、
相手の反応が、大作の目論見と違うようです。
なんと怒られてしまいます。

大作は一生懸命、お愛想笑いで農家のオジさんに迫ります。
迫れば迫るほど、オジさんの怒りが大きくなります。

これだ!!と思って、あんなに練習したのに、あれほど練習したのに……。
必死でオジさんに迫る大作からは、そんな思いまで伝わってきます。

しかし、言われてしまいます。
「バカにしくさって」
何でこうなるんでしょうか?

みなさんの今までの経験で、13歳で愛想が良く
感じの良い少年はいますか?

いませんよね。

それなのに、しつこくあまり続けるものだから、
言われてしまいます。
「子供のくせに大人をバカにして」

つまり、子供にお愛想は似合わないという事です。

農家のオジさんに追い立てられる大作。
オジさん、鎌持ってないですか!?

大作は物乞いの、乞食の母娘に出会います。
物乞いの子供が一生懸命、お母さんが病弱でとか、
道行く人に訴えています。喜捨(お金)も集まっています。

これを見て大作は子供はお愛想じゃあなくて、
やっぱり同情を買う方が効果的だと思い込みます。

今度は同情を買うための練習です。
(まったく大作は忙しい(笑)。

同情を買う練習をしていると、悪ガキどもに見られてからかわれ、
喧嘩になって大作はボコボコにされてしまいます。

大作は、そのボコボコの格好で、ある家に入っていきます。

Q:もう少しのところで買って貰えたかも知れないのに、
 買って貰えませんでした。何故?
A:母親が継母だと嘘を吐いたからです。

大作は、なべぶたを売らなければ跡取りになれないなど、
ありのままの話をしています。
このご夫婦も買ってあげようかと目配せしていました。

今までにない手応えで、大作はもう一押しと思ったのでしょう。
母親が継母だと口走ってしまいます。

幸か不幸か、このご夫婦は近藤家の遠い親戚でした。
「商人(あきんど)が嘘吐いてどうする!!」
と追い出されてしまいます。

商人になるのは大変ですね。
高慢ダメ・卑屈ダメ・似合わないお愛想もダメ・同情も、嘘を言ってダメ。

自分の実の母を、なべぶたを売るために継母だと言ってしまった。
大作は自己嫌悪に駆られ、川のほとりで呆然としています。

そんな時、大作はまたあのお百姓さんと再会します。
大作は、このお百姓さんに会って立ち直ります。

Q:大作は、このお百姓さんに何と言われたのでしょうか?
A:自分の子供は商人にしたい。

そうですね。
「自分の子は商人にしたいなぁ。
 百姓はどんなに頑張っても食うや食わずだが、
 商人は自分の知恵と才覚でいくらでも発展できる」
そう、大作に告げます。

大作は、この言葉で何で立ち直ったのでしょうか?
何で、このお百姓さんは、どんなに頑張っても
食うや食わずなんでしょうか?

このお百姓さんは、小作農なんですね。

今はほとんど昔の話ですが、大地主から土地を借りて耕し、
収穫の半分を納めなければならないのです。
NHKの「おしん」でも、そのような描写があったと思います。

※ こう言うデータがあります。
 1873(明治6)年の地租改正により
 「検査例第一則では,小作料号収穫高の68%とし」
 とあるように小作料は68%という高率でした。

 参考資料:昭和四十二年一月。京都大学経済学会発行。
 関 順也著「地租改正における地価算定法の形成過程」より。
(諸説あり。これには異論もある・・・)

大正時代末期の小作料が、どれほどだったかは、
 調べ切りませんでしたが、ザクッと半分は取られたと思います。
 (今の国民負担率と変わらない!?)

豊作でも食うや食わず。不作なら、さらに食うや食わず。
そして大作は、もしなべぶたが売れなければ、
自分も百姓にならなければなりません。

なべぶたが売れなかったら、お父さんが土地をやるから
百姓をやれと言っていました。

大作にとっては目の前にいるお百姓さんが、
実は未来の自分の姿なんです!!

そういう危機感があるからこそ、大作は切羽詰った思いで立ち直った。
私は、そのように理解しています。

大作がなるのは、実際には自作農だと思いますが、
そこまでの思慮が少年の大作にあったとは思えません。
目の前のお百姓さんこそ、未来の自分の姿だと想像したと考える方が、
大作の危機感がよく分かると思います。

疲れて帰宅した大作にお母さんが助言します。
言わずにおこうと思ったけど、お前の姿をみているとなあ……。

うまい事売ろうと思うたかてあきまへん。
あんたが一生懸命生きている姿を知ってもらうしかあらしまへん。
この子、正直な子やなァ。やさしい子やなァ。信頼できる人間やなァ。
役に立つ人やなァ、そう思わるさかい、商いができるんでっせ。

これだけの助言をもらいながら、大作はまだ言葉としてしか
理解していません。それは次の場面で分かります。

※ この母子のやり取りは、近江湖西出身、江戸初期の儒学者
  中江藤樹の幼年期をモデルにした、と梅津監督が語っていたそうです。

翌日、大作は自宅のある五個荘(ごかしょう:近江商人発祥の地のひとつ)
から叔母さんが住んでいる石部(いしべ)を目指します。
10里、約40キロの距離です。

叔母さんは大作を歓待してくれます。
しかし、なべぶたを買ってはくれません。

お母さんの言葉を理解していない大作は、
何で買ってくれないんだと文句を言います。
叔母さんは言います。
「大ちゃんには、甘えがある」

何が甘えなんでしょうか?

そもそも、大作は何を叔母さんに何をアピールして、
なべぶたを買ってもらおうとしたんでしょうか?

遠くの道をわざわざ来た事です。
大作の住んでいる五家荘から叔母さんの住んでいる石部までは
10里、約40キロの道のりです。

知らない人の家なら、物売りがどこから来たか、
どれほどの距離を来たかは、物売りが自分で言わない限り分かりません。
遠くから来たのか、近くから来たのか分りません。

大作が10里40キロの道を、大変な思いをしながら
歩いて来たのがわかるのは親戚だからです。
大作は苦労をアピールした。それが甘えなのです。

叔母さんも大作に助言します。

ナベのフタみたいなものは、自分の商いせなあきまへん。
誰の力も頼らんと、あんたの知恵と努力と人柄で商いする言う事や。
あんたはお客様のお役に立つ勉強をしとるんや。
人のお役に立ってみなはれ。そんな人、誰からも好かれまっせ。
商人は人に好かれる人やないとあきまへん。

一昼夜、一睡もせず、往復80キロを歩いて大作は帰宅します。
実は、五個荘と石部の間は起伏の多い山道です。(調べました)

ですから、帰り道は叔父さんがこっそりと大作の後を付けて、
大作の身に何か事故が起きないように用心しています。
この場面も好きな場面です。

五個荘と石部の間には汽車が通っている事は、
叔母夫婦の短い会話から分かっています。
(「帰りは汽車で帰ってくる」)

大作は大作で、きちんと言われた通り、
工面する意味でも歩きを選んだのだと思います。

明日の覚悟

ようやく帰宅した朝。大作は出迎えたお母さんに言います。

「ようやく家を継ぐ覚悟が出来た。ゆうべ寝てへんから
 今日ゆっくり休んで明日から売りに行かせて欲しい」

それに対し、お母さんは言い放ちます。

「明日の覚悟は覚悟やない!!」

名台詞です。

親としては、心が震えます。
子供にこれほどの深い愛情を示せるか、いつも自問します。

売れた! 買って貰えた!理由

大作は再び歩き始めます。売れるまでは帰らない覚悟で。
しかし、一昼夜歩き続けたのです。大作は疲れ切り、
川のほとりで座り込んでしまいます。

その時、魚が水面から飛び跳ね、
水面に落ち、ポチャンと音がします。
そちらを見た大作は洗いかけのなべぶたが
たくさんある事に気がつきます。

「このなべぶた失(のう)なったら、
 わしのなべぶた買うてくれるかも知れん」

最初はそんな不埒な事を考えていた大作ですが、
そのなべぶたを見ている内に、今までは自分の事しか、
売る事しか考えていなかった大作に転機が訪れます。

そこにあるなべぶたは、なぜそこにあるのか?
そう、そのなべぶたも自分と同じように苦労して
売った人がいる事に気が付いたのです。

そう思うと居ても立ってもいられず、
大作は洗いかけのなべぶたを洗い始めます。

そこへ用事を済ませたらしいオバさん(三崎千恵子:みさき ちえこ)が
戻ってきます。
※ 三崎千恵子( 1920年9月5日~2012年2月13日)

一心不乱に洗濯をしている大作は気が付きません。
不審に思ったオバさんが声を掛けます。

「お前誰や? 何しとんのや!!」

オバさんはなぜあのような声のかけ方をしたんでしょう?
主人公の事をどう思ったのでしょうか?
怪しい奴、泥棒かも知らないと思ったのです。

それに対し、大作はなべぶたを洗う手を止め、
土手を駆け上がりオバさんに謝ります。

「堪忍して下さい。わし悪いやつです。
 売れんかったんやないんです。
 物を売る気持ちもできてなかったんです」

なぜ、大作はオバさんに謝ったのでしょう。
オバさんが自分の事を怪しんでいると気づいたのです。

「お前、盗っ人しようと思ってたな?」

この台詞は、大作が土手を駆け上がってからの台詞です。
この台詞に反応して、大作が謝るのではないのです。
これは、画期的な出来事です。

三ヵ月のなべぶた行商を通じ、変化しているとはいうものの、
大作の基本は売れたらいい、でした。

他人が自分の事をどう思うか?
どう思われているかを考える事は、今までなかった事です。

しかし、一足飛びにそこまで行った訳ではありません。

洗いかけのなべぶたを見て、自分と同じような立場、
跡を継ぐために苦労してなべぶたを行商した人々に思いを寄せた。
つまり、ようやく自分がそのなべぶたを苦労して売った人々の立場
に立てたのです。

そして、次の瞬間、今度は目の前のオバさんの立場に立てたのです。

ある境界を超えた次の瞬間、悟達する事は経験した者にしか、
分からない事でしょう。大作にも同じ事が起きました。

ほんの少し前までは、到達する事が地の果てまで歩いても
なしえないと想えていた事が、大作の身に起こったのです。
大作の中で、一瞬の内にコペルニクス的な展開が起こったのです。

謝った後で、大作は事情を話します。
「あの洗いかけのなべぶたを見ていたら愛おしくなって…」

大作の話を、オバさんは頷きながら同情し共感してくれます。
「わしもなあ、あのなべぶた愛おしいと思っとる」

オバさんが手に持っていた鎌が、段々下がってきます。
巧みな演出です。

しかし、ここまで話しても、まだオバさんは買ってくれませんね。
大作は嘘を言ってますか?
言っていません。

でも、それを知っているのは、映画を見ている私たちだけです。
もちろんオバさんも疑ってはいないと思います。

大作は嘘も言ってなければ、同情を引こうともしていません。
今まで実践したすべてのネガティブな方法は取っていません。
しかし、まだオバさんは買ってくれません。

では、オバさんはこの後、なぜなべぶたを買ってくれたんでしょうか?

この映画は構造そのものはシンプルですが、
じっくり出来事の意味を追っていかないと、
単に感動した物語で終わってしまいます。

ひとしきり話し終えた後、大作は洗いかけのなべぶたを
再び洗い始めます。やりかけでは気持ち悪いからと……。

オバさんはまだなべぶたを買うとは言いません。
苦労話が、買うに至る要因ではないのです。

一心になべぶたを洗う大作の背中をオバさんは見ています。
そして、言います。

「偉い、立派や・・・。そうだ、なべぶたを買うてやろう」

何が 偉い、立派 なんでしょうか?

オバさんは一心になべぶたを洗う大作の背中を見ていました。
その背中には汗が染み出ています。

初夏6月、まだそれほど暑くはないのに、
着物の外までにじむほどの汗をかいて、大作は一生懸命、
他人のなべぶたをゴシゴシ洗っています。

お母さんは大作に言いました。

うまい事売ろうと思うたかてあきまへん。
あんたが一生懸命生きている姿を知ってもらうしかあらしまへん。
この子、正直な子やなァ。やさしい子やなァ。信頼できる人間やなァ。
役に立つ人やなァ、そう思わるさかい、商いができるんでっせ。

石部の叔母さんは大作に言いました。

ナベのフタみたいなものは、自分の商いせなあきまへん。
誰の力も頼らんと、あんたの知恵と努力と人柄で商いする言う事や。
あんたはお客様のお役に立つ勉強をしとるんや。
人のお役に立ってみなはれ。そんな人、誰からも好かれまっせ。
商人は人に好かれる人やないとあきまへん。

オバさんは、欲得もなく一心不乱に
他人のなべぶたを洗う大作を見て感動します。

わずか13歳と言うのに、この子は欲得を離れて
他人のなべぶたを洗っている。
(まだ深い自覚はないが)人の役に立とうとしている。

だから 偉い、立派 なんです。偉い事、立派な事をした人には
何が与えられますか?

ご褒美です。

オバさんは大作に与えるご褒美としてなべぶたを選びます。
なぜなら、それが大作の一番喜ぶご褒美だからです。

なべぶたを洗っていたオバさんに、
新しいなべぶたを買う必要性はどこにもありません。

この場合は、なぜ買うかと言えば、ある意味
ご褒美としてとしか、考えられません。
(これは!と思ったなべぶた売りの少年から買うのは、
 この地方の住人の慣習かも知れません)

オバさんは、こう言います。

「なべぶた買うたる」
思ってもいない言葉に、大作は驚いて叫びます。

「オバちゃん、今何言うた?」

「なべぶた、買うたる」

買うたる、と言う言い方は、明らかに上から目線です。

いまさらですが、この映画のタイトルは「てんびんの詩」です。
どこかで、てんびんの吊り合う瞬間がないといけません。

二言目の「買うたる」を言った次の瞬間、
オバさんは自分が上から言っていると気がつきます。
表情が変わります。だから、言い直します。

「なべぶた売って欲しい言う取るんや」

「買うたる」から「売って欲しい」。
オバさんのてんびんが跳ね上がった瞬間です!!

※ あそこで魚が跳ねるのは、
 都合が良すぎるという意見がありました。

 (本気の)努力する限り偶然は必然になる。

 そう答えました。

 シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)や
 セレンディピティ(思いもしなかった偶然がもたらす
 幸運およびその才能)経験のない方には
 到底承伏できない意見かも知れません。

「ちょっと待っててな」

オバさんはそう言い残し中座します。

大作はてんびん棒に、その日の日付を記します。
祖父や父がそうしたように。大正十三年六月某日。

父は言った。

「売れたら分かる」

大作は売れるとはどういう事か、商いとはどういうものか、
父の言葉を噛みしめながら筆を走らせる。
しかし、物語はここで終わらない。

中座したオバさんは、何と近所の知り合いを連れて戻り、
なべぶたを、なべぶた売りの大作を紹介してくれたのだ。

今で言うクチコミだが、この連鎖に大作は商いの奥深さを知る。

オバさんが連れてきた集団の中からひとりのオバアさんが出てきます。
そして、大作の汚れた手を見て、風呂に入り一泊して行けと言います。

このオバアさん役の人は岡島艶子(おかじま つやこ)といって、
若い頃はかなり有名だった女優さんです。
晩年になっても、端役ではありましたが、映画出演を続けた方です。

※ 岡島艶子(1909年1月9日 - 1989年2月4日)
  今回調べ直したら、この映画出演の翌年にご逝去されていました。
  合掌。

亡くなった個性派俳優、川谷拓三の義理の母だった方です。
管理人は子供の頃から映画が好きだったので、もうエンディングと
思っていたこの映画の終盤に、この女優さんが出てきたので、
これは何かあると直感しました。

※ ホームページの主なキャスト名には掲載されていません。

事実、この映画の肝は、この女優さんが語ります。
この映画は難しい映画ではありません。
描かれるエピソードは分かりやすく、
観客が誤読しないように練ってあります。

おばあさんの家でお風呂に入った大作は、
お風呂の中からオバアさんに言います。

「わし、やっぱり家に帰ろうと思います。
 わしの今日を一番心配していたのは両親やし……」

岡島艶子の顔がアップになります。
登場人物に大事な台詞を言わせる時の演出です。

岡島艶子が、さも感心したように言います。

「よう言うた。そんでこそ人の道や。人の道外れて商いはないぞよ」

父は茶断ちをし、母は寝ないで大作の帰りを待つ。
その両親の思いに考えが至ってこそ、大作のなべぶた行商は完結する。
その事がよく分かる脚本です。

※ 突然、閃いた言葉があります。礼記-大学の一節です。
  修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)
 ⇨天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、  次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである。

 これは、一種政治的な倫理のようですが、商売にも通じると思えます。

鍵山秀三郎氏が
「私財を投じても伝えるものがある」
と言った意気込みがよく分かります。

「たった一人でも良い。この映画を観たことで
誰かの人生に何らかの示唆を与えることが出来るなら」

わずか1週間足らずで、この映画の台本を書き終わった時、
竹本氏はいつになく静かに、奥さんの梢さんに語ったそうです。

本来は子育ての映画として企画されたと言いますが、
子育てにも、人間関係にも、商売の基本を描く映画にも
なっている点が、幅広い観客に支持される理由だと思います。

エンディングは、大作の帰りを寝ずに待っていた母と
抱擁しながら、昇る太陽を二人で見る場面で終わります。
母親は言います。

「今日から出発や」

※ 大作の祖母役で風見章子(かざみ あきこ)が出てきます。
 「子の修業は親の修業でもあるのやで」

  母親や大作に結構箴言(名台詞)を言っているのですが、
 引越荷物に紛れてDVDが見つからないので、今回は省略しました。
  後日、補筆する予定です。
※ 風見 章子(1921年7月23日~2016年9月28日)

※ なかなか売れないなべぶたを前に絶望した時、
  ちょっとしたきっかけでたちまち売れていく様は、
  竹本氏の実際の経験に基づいているそうです。

  演劇に憧れて石川県の海沿いの村から京都に出てきた竹本氏は、
  アルバイトで魚の行商を始めました。
  しかし、大作と同じように何ヶ月も売れず、
  もう辞めて田舎に帰ろうかとした時、何度も通うようになって
  知り合いになった奥さんが買ってくれたそうです。
  そして、大作の時のように、近所の奥さんに声を掛けてくれたそうです。

商売の話としての「てんびんの詩 原点編」

最後に、商売の話として「てんびんの詩」を考えてみます。
(この内容は、最近の所感を加えたものです)

この物語のてんびんは、上のイラストのように、
最初から釣り合っている訳ではありません。


むしろ、買う側のてんびん皿が、売る側のてんびん皿よりも
重くなっています。だから、吊り合っていません。

父親が大作に言います。

商売はな、てんびん棒といっしょや。
どっちが重とうてもうまくかつがれへん。
売り手と買い手の心が一つになった時に、
はじめて商売が成り立つんや。

吊り合わせるためには、売る側の皿に
錘を増やしていかなければなりません。
どれだけの錘を乗せなければならないかは、
買う側のてんびん皿の重さ次第ということになります。

売る側のてんびん皿に乗せる錘は、お客様への気遣いと、
実際に役立つ行為という事になります。

顧客満足には
四つの価値段階があります。(後日公開予定「百年顧客」)

1.基本価値
2.期待価値
3.願望価値
4.予想外価値

顧客満足、顧客感動に必要なのは予想外価値の提供です。

つまり、お客様への気遣いや実際のお役立ちで、
売る側のてんびん皿を買う側のてんびん皿よりも
重くする必要があるのです。

しかし、基本価値や期待価値だけでは、
お客様のてんびん皿が少し上がる事はあっても、
まだまだ釣り合いは取れません。

※ お客様は多様だから、眼鏡としての基本価値、期待価値が
  満たされるだけで、てんびんの釣り合うお客様もいます。  

願望価値が叶っても、てんびんの釣り合わないお客様もいます。


予想外価値とは、お客様にとっての驚きであり感動です。
お客様が、販売員の接客から基本価値や期待価値、
願望価値以上の予想外価値、重さを感じ取った時・・・。

その時、買う側のてんびん皿は流水の満たされた
鹿威しのように勢いよく高く跳ね上がり、
その反動でお客様のてんびん皿からは、購入意欲が、
ひいてはクチコミ、再購入が飛び出してくる。

てんびんが釣り合うのは、その後なのです。
再度、父親の言葉を取り上げます。

「商売」はな、てんびん棒といっしょや。
どっちが重とうてもうまくかつがれへん。
売り手と買い手の心が一つになった時に、
はじめて「商売」が成り立つんや。

父親は「販売」が成り立つとは言っていません。
「商売」が成り立つと言っているのです。

販売は、一過性です。
商売は、継続性です。

英語の経営用語に"going concern"(ゴーイング・コンサーン)があります。
継続企業体とも、継続企業の前提とも訳されます。
つまり、企業は、会社は、商売は継続させる事が最重要課題なのです。

「てんびんの詩 原点編」は、そのように語っていると思えます。

結果として、お客様と販売員のてんびんのバランスは、
信用によって釣り合う事になります。商売の始まりです。
しかし、それは次の購入への期待や願望でもあります。
つまり、次はその期待値や願望値に応える必要があります。
期待に応え、願望を叶え、お客様が思いもよらなかった予想外価値を
実現できなければ、てんびんはまた吊り合わなくなります。

販売員につくお客様もいれば、お店に、その企業につくお客様もいます。
再来店の時、違う販売員が担当する場合もあります。
違う販売員が担当して、顧客不満足になっては困るのです。
自分ひとりではなく、スタッフ全体のマナーとスキルを、
不断の努力で向上させておかなければ、てんびんが再び
釣り合わなくなる危険性があります。

「(顧客満足は)キリがない」
そう言って退職した人がいます。
そうです。顧客満足、顧客感動はキリがないのです。
キリがない事を継続し、百年顧客を獲得できるから
百年企業が実現できるのです。

キリがないからこそ、この映画を通り一遍の見方しかしない、
シニカルにしか見ないベテランほど、この映画を見直す必要があるのです。

面倒だからと言ってやりたがらない結果、
自分の生活が面倒になる皮肉、逆説・・・。

※ 予想外価値の提供を、何か大変か事、負担の多い事を強いられる。
  そう、考えている人がいます。しかし、そうではないのです。

 お客様は多様です。多様ですが、お客様をよく見て、
 お客様の話をよく聞いていれば、自ずと何をすれば
 良いかは分かってきます。(注視・傾聴)
 答は、お客様が持っているからです。
 そして、ほんの少しのプラスアルファで予想外価値は実現できるのです。

 新人の時は、一生懸命にお客様を見て、
 一所懸命にお客様の話を聞いて、
 ご要望を叶えようとしていたはずです。

 ベテランなら余裕を持って、軽々と同じ事が出来るはずです。

あとがき

Ⅰ. ご褒美論について

拙稿の結論について、異論のある方がいるかも知れない。

大作の場合は、新人の場合は、
ご褒美で買っていただける事があります。
知識や技術が貧弱でも、一生懸命さやお役立ち行為が
お客様に「承認」(=「ご褒美」)される事があるからです。

固定客は、過去の満足経験があるから、期待を持って再来店されます。
一見客も、家族や知人の評判を聞いて、期待を持って初来店されます。

新人がやがてベテランになって接客した時、
知識や技術が豊富でも、一生懸命さやお役立ち行為がなければ、
お客様は「承認」されず、買わずに帰ってしまう事があります。

新人であれベテランであれ、接客しているお客様が
「今日、作っていきます」と言うのは、自分の接客が
「承認」された。「OK」と言う事なのです。

SNSなどを見ると、世の中には「承認」欲求が溢れかえっています。
見もしない人からの「承認」を必死に求めているのに、
目の前のお客様から「承認」されたと気が付かない。

目の前のお客様から「承認」されたと自覚できれば、
嬉しいはずなのに喜びを感じなくなっている。
そういうベテランが多いように思います。
(「承認」=「ご褒美」と考えられれば、さらに嬉しいでしょうに)

ラストシーンで母親は言います。
「今日から出発や」

つまり、今回の大作の経験は「初心」作りであり、
商人魂の基礎作りだったのです。

竹本幸之祐氏の今までに一番糧になった事は?という質問に対し、
年老いた主人公は答えます。

「そりゃあ、若い頃のなべぶた行商でしたね」

その「初心」を忘れなかったからこそ、大作は功成り名遂げて
国際的な名士になれたのです。

「接客販売員は三年経つと無能化する」

この言葉を知った時、愕然としました。その通りだったからです。
新人の頃は1対1、1分の1の接客だったのに、知識・技術が増え、
接客経験数が増えると10分の1、100分の1の接客になり、
中身が薄くなっていたのです。

それどころか、新人時代にお客様に振り回された反動なのか、
ベテランになるとお客様を振り回そうとするスタッフさえいます。

だからこそ
「ベテランほど、この映画を見直す必要があるのです」
と書いたのです。

告白します。
研修担当にならず、この「てんびんの詩 第一部(原点編)」に
出会っていなければ、このサイト管理人も
そんなベテランのひとりのままだったのです。

Ⅱ. 梅津明治郎監督

松竹のプロデューサーだった升本喜年(ますもと のぶとし:通称きねん )氏の「映画プロデューサー風雲録」を読んでいたら、突然「てんびんの詩」第一部と第二部の監督だった、梅津 明治郎(うめつ めいじろう)氏の名前が出てきた。
※ 升本喜年 (1929年~)
※ 梅津 明治郎 (1930年6月5日 ~ 没年不明)

当時松竹映画は女性映画を作ることには長けていたが、
男性アクション映画は苦手、不得手としていた。
何しろ殺陣師さえいなかったというから驚きだ。

それではいけないと企画されたのが、
竹脇無我(たけわき むが)主演の「青雲やくざ(1965年)」だった。
※ 竹脇 無我(1944年2月17日 ~ 2011年8月21日)

この映画の監督を託されたのが、
松竹京都撮影所出身の梅津監督だったのだ。

新人監督だったが、京都の撮影所は主として時代劇を
撮影していたので、アクション映画の監督に適していると
判断されたらしい。

「青雲やくざ」は好評で、さらに別監督で続編が二本作られているから
力量はあったのだろう。しかし「てんびんの詩」の作風からは、
どんな映画か想像もできない。(検索すれば分かります)

私は比較的、内外の映画や監督には詳しいと思っていたが、
寡聞にして梅津監督の事は「てんびんの詩」でしか知らなかった。
しかし抜擢されるくらいだから期待された新人だったのだろう。

※ 10年ほど前、たけもとこずえ様(Ⅲ.節参照)と
  メールのやりとりをした時、梅津監督は当時83歳のご高齢で、
 施設に入っているとの事だった。
  先に書いたように、Wikipediaでは没年不明となっている。

※ たけもと こずえ様のブログを読んでいたら、
 2015年の12月に、梅津監督の弟さんから
 喪中葉書が届いた旨の記述がありました。享年85。合掌。

Ⅲ.たけもとこずえ様からのメール

「てんびんの詩」を制作した(有)日本映像企画(現オフィスTENBIN)に
メールをしました。(この原稿の初稿時。2013年頃)

ホームページへのリンクをしても良いかどうかを尋ねたのです。
ついでにと言っては失礼ですが、写真(スクショ)等も
使わせてもらえないか? そういう下心もあったのです。

数日して運営統括責任者のたけもとこずえ(竹本 梢)氏から
ご丁寧な返信が来て驚きました。
返信を読んで書き忘れていた事に気が付きました。

原案は、近江商人研究家の故江頭恒治滋賀大学名誉教授でした。
その話を日本映像企画の竹本幸之佑氏が長年温めていました。
その話を聞いたイエローハット創立者の鍵山秀三郎氏が
社員教育用に使いたいということから、分かりやすいように
劇映画となったのです。

この拙稿には「子育て」の映画云々と書きましたが
良い機会ですので訂正しておきます。

竹本幸之佑氏は、松竹系京都映画でプロデューサーを
されていましたから、梅津監督とのご縁はその頃から
だったのだろうと推測しました。

※ これも、たけもと こずえ様のブログを読んでいたら、
 地元放送局の委託業務で演出をやっていただいたとありました。
 生涯、独身を通したそうです。

なお、撮影中(大阪に奉公に行く同級生を見送る場面)の
エピソードとして、何をしているか尋ねてきた老人に
映画の骨子を話したところ・・・

「おぉ! なつかしいのう。わしらが子どもの頃、よう来たもんや」

・・・と言う証言を得たそうです。
(まさしくセレンディピティです!!)
※ たけもと こずえ(竹本 梢)氏自身の経験です。

また、ネット上にはいくつかの「てんびんの詩」関連のサイトや
ブログがありますが、そのほとんどの写真は無断使用だそうです。

年次や経験によって「てんびんの詩」の解釈は人それぞれですので、
あえて詳しい解説はしていないそうです。

このサイトの解説は、あくまでも販売職、営業職を
研修する視点から行いました。この映画を見た方や、
この映画を教材とする方に、少しでもお役に立てば望外の幸せです。

研修担当着任時の第1稿から数えて何年経っただろうか。
文字数は19,000字を超え、400字詰め原稿用紙にして
50枚近くになろうとしています。感無量です。
長文をお読み下さり、ありがとうございました。

※ なお、「てんびんの詩」でググれば、検索順位1位に
  HPがヒットします。

以上「てんびんの詩原点編」詳解




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