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注意力散漫 in NO WAY TICKET@ひ録:わらの手


ボケ~

今でも時々、ふと思い出すのは、
小学校1年1学期の通信簿の事だ。

所見欄?一行目に「注意力散漫」と書いてあった。
まだ意味はよく分からなかったが、良くない事が書かれているのは
薄々感じられた。

もう少し大人になって、と言っても小1から見てで、
実際には2~3年後、意味を理解したら、思いあたる節があった。

小学校入学式が終わった初めての教室。
教壇の先生のところまで、トコトコ歩いて行く自分が見える。
先生の前まで言って、無邪気な顔で(多分)言った。

「何か分からない事があったら聞きに来なさい」
と言われたので来ました。
「何が分からないか分からないので、来ました」

これは素直と言えば良いのか? 莫迦と言えば良いのか?

思い出すと、自分的には阿呆だと思える。
莫迦より、阿呆の方がましな気がする。
理由は分からない。何となくだ。

思えば、小学校時代の記憶はあまりない。
いや、中学も高校も、大学の記憶さえ心許ない。

何しろ自分は、子供時代は虚弱児で病気がちだった。
大病こそしなかったが、何かと言えば発熱していたような気がする。

亡くなった母は、お前は未熟児で生まれたと言った。
誕生1ヵ月で栄養失調になったとも言った。
子供の頃、何回か言われた。

未熟児で生まれたのも栄養失調になったのも、
自分のせいじゃあないよね。と反論しようと
思ったのは何十年も経ってからで、
その時にはもう、母はこの世にいなかった。
全く、母がどう言うつもりで言ったのか?
確かめる術がない。まあ、言わなくて良かったとも思うが。
(今になって気付く。子供心に、言えば悲しませるだけだ
と言う自制が働いたのだ)

何十年間も思い出さなかった、と言うのも尋常ではない。

一番不思議なのは、小学校最初の教室の記憶はあるのに、
授業の事が全然思い出せない。

世の中には授業の事を恐ろしく克明に覚えている人がいる。
そう言う人に出会うと、別の星の人じゃないかと思う。

無理矢理、思い出を辿る。
気が付くと放課後の教室にいて、九九の居残りだったりする。
九九って何だ・・・。
気が付くと校庭にいて、縦笛の行進の最中だったりする。
これ何? 縦笛? どう吹くの・・・。

気が付くと校庭にいて、交通安全教室だったりする。
丁度、自分の前で列が途切れて、少し先の白線で描かれた横断歩道を
渡らなければいけないのに、その場所から模擬道路を渡り、
その後を当然のように同級生たちがついて来る。
担任が遠くで何か言っている・・・。

これはもう、先生の、人の言う事を聞いていないとしか思えない。
だから小学校1年1学期の通信簿所見欄は「注意力散漫」なのだろう。

だから、自分は教室にはいたが授業にはいなかった、
と結論づけるしかなかった。
百回話で言えば、大学では教室にさえいなかったのだが。

注意力散漫と言うが、一点に長く集中しないだけで、
何かには集中していた訳だ。ただ、その集中が途切れたり、
集中の対象があっちへ行ったり、こっちへ行ったりした訳だ。

改めて、そう考えると24歳で某眼鏡店に就職するまで、
右往左往していたのも納得できる。

ここは、NO WAY TICKETの停車駅のひとつ。
しかし、最初の駅ではないような気がする。
もっと多くの駅で停車したかも知れないが、
今は思い出せない。

思春期の頃、ONE WAY TICKETと言う言葉を知った時、
自分の人生は、NO WAY TICKETのようなものだと思った。
何処から来て、何処へ向かうのか分からない。
当然、行き方も分からない。

だからこそ、停車した駅の数々を辿ってみたい。
始発駅を探す事はしない。終着駅も求めない。決められない。
ただ、過去に遡及することで、今まで見ようとしなかった自分が
見えてくるような気がする。

このカテゴリーの文章は、読者を意識しない。
思い出すままに書いていく。

教室にはいたが授業にはいなかった。
そう言う記憶のある人の参考になれば良い。
いるか? そんな人・・・。

例の通信簿は燃やした。
高校までの分とまとめて燃やした。
20歳だった。

朝が7,300日。夜も同じだけあった。



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