コミュニティと、その変化の必然性について

私は今、幸せなことに、すてきな濃いコミュニティをいくつか持っている。
全てここ3年ぐらいで手に入れたもので、勉強会つながり、恵比寿つながり、好きな音楽家つながり、中学高校の部活つながり。それぞれ人数は3人〜8人ぐらいのコミュニティ。

中には家族みたいに、今どこにいる何してるとか、風邪ひいたとか、おはようからただいま・おやすみまで、ほぼ全てを都度共有し合っているコミュニティもある。
もちろん共有は強制ではなくて、好きな時に好きなだけ好きな事を共有して、それで反応が返ってくる事もあれば返ってこない事もある、そんな自由だけれどとても濃いつながり。
基本はメッセンジャー上での会話で、タイミングが合えば直接会ったりもする。
もしこのコミュニティが無かったら今どんな生活を送ってただろうって想像できないぐらいの、生活のセーフティネット。

だけどなんとなく、どこかで気付いている事があって。
この関係性は、いつかは終わるものなんじゃないかって。終わらせるべきタイミングが来るんじゃないかって。
初めは濃かったコミュニティも、誰かが少しずつ疎遠になっていって、そうすると残されたメンバーも少しずつ疎遠になって、段々と自然に離れていく。コミュニティが薄く解散していく。
どのコミュニティもそうなのかな。
そして、もしそうなった時、私はまた違う新たなコミュニティを作って、そこで生きていくのだろうか。

関係性は、必ず変わっていく。

それが自然な人生と分かりつつもなんだかとても悲しくて、「ずっとこのままの関係性でいられたらいいのに」「時が止まったらいいのに」なんて青春時代の高校生みたいな事を想ってしまう、金曜日の夜。

〜とある人から、この関係はいつまでも続かないと思っているとハッキリ言われて。また偶然同じタイミングで、別の人からも同じ事を匂わされて。〜


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