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『ナタリーってこうなってたのか』を読んだよ。

 noteって何かを売る感じですか?よくわかってないけど、はじめてみよう。

 胃ががたがた。今のところ唯一受け付ける食品である明治ブルガリア飲むヨーグルトを片手に、ようやく購入した「ナタリーってこうなってたのか」を繰ってました。恥ずかしながら読書速度がめっきり遅くなって気が乗らないと同じ新書が半年間バッグの中に入ってたりする超超遅読家の私、80分で読了。すぐ読める本、最高。

 帯にもあるようにナタリーというのは「日本最大級のカルチャーニュースサイト」で、これはその創業者である大山卓也さんの本。私はどちらかというと共同創業者の津田大介さんという入り口からナタリーを見ていたので、大山さんの存在も津田さんから知っていったのだけど、気がつくと個人的なミュージシャン仲間、先輩などがナターシャで働いたりしてて世は不思議よのうと思う。水道橋博士の言葉を借りれば『星座が描かれていた』感じ。私はちょっと遠くからそれを見ている感じ。

 ナタリーには「批評をしない」というコンセプトがあるらしい。記事を思い出してみても確かに、と思う。ネットは実に恣意に溢れており何を読んでも『これは誰の意図か』『誰の利益を見込んで書き立てられたものか』という斜に構えた視点とモヤっと感を抱いて眺めざるを得ないので、そこに放たれるナタリーの「無色透明な記事」に、読者は『騙されているかも』という疑念から解放されたような安心感を抱くのでは。そうだ、それが信頼だ、だから必要とされるんだよ、当たり前か、とか思うのだけど、そのことを見出して意識するとなると、そんなにものごとが見える人滅多にいないよなと思うし、ブレずにコツコツ運営を継続するとなると、人のめぐり合わせもあるとはいえ、ちょっとこれは、途方もない執念というか、やはりローマは一日にして成らず。
 大山さんは、本当に自分に正直な方なんだろうなと思う。違和感を見逃さなかったり、本当にやりたいこととやってはいけないと思うことに忠実であることは、ものすごく風当たりが強いけど、哲学を通した営みってそういうことなんだろうし、もっとも王道な前進の仕方なのかもしれない。
 というか、そんなふうに眺めてないで、私もはやくナタリーが取り上げたくなるようなミュージシャンになろう。

 ユーモアって大事だよなあと思う。紙媒体に対する温かみを感じるという気持ちはセンチメンタルな感傷に過ぎないと思っている、という話の、“温かさを求めるなら、パソコンのディスプレイのほうがよっぽど温かい。特に夏場の発熱は相当なものだ。”のくだり、笑った。

 個人的に、あらゆる局面でできるだけ侵したくないと思っていることがひとつある。それは「尊厳を穢さない」ということ。とはいえ時々侵してしまって後悔もするし、裏を返せば「自分の尊厳を穢されるのが嫌だから」ということなんだろうけど、私の目に映るネットでは、個々人の願望が助長する早合点のデマや誰かのPV稼ぎの恣意がたくさんの人の正義感や良心を巻き込んで拡散され、いつもだれかの尊厳を穢しているように見える。大山さんの言う「批評をしない」「ちゃんとやる」というスタンスに、そういう自分の大事にしたい領域に対する気持ちを重ね合わせてみたりした。
 そうだ、「批評」がなんたるかをよく知らないのであまり「批評」って言葉は使いたくないのだけど、基本的に批評には人々を導き夢を拓き得るものだというイメージを持っています。まあ、批評であってもなくても、とにかく言葉の力を信じています。

 先日「翼をください」を歌うことがあって、これがあらためて名曲すぎて驚いているんだけど、今日はちょっとナタリーにオーバーラップさせて歌詞を思いめぐらせたりして。

 あと、私が心に残ってるナタリーの記事はこれ。
http://natalie.mu/music/news/6882
 リアルタイムではなかったけど、岡村靖幸さんを好きになってから読んだこの記事、事実の羅列から愛情がひしひしと伝わってくる。


ありがとうございます!糧にさせていただきます。