フェミニズムと表現規制についてのざっくり覚書(1) 反表現規制フェミニストが語る、フェミニズム史概観

世間で「フェミニスト」を名乗る皆さんの主張が多様すぎて訳わかんなくなっているひとをけっこう見かけるので、表現規制問題を軸にざっくりと整理する記事を書いてみようと思った。話題を追いかけている人には今更な内容が多いし、ざっくりといっても8000字弱あるけど……

## フェミニストと性表現検閲と真のフェミニスト

フェミニズムは、「女性解放」「女権拡張」「男女平等」など、多様に訳される。フェミニストもアンチ・フェミニストも「真のフェミニスト」を定義したがるが、表現規制問題を軸にする場合、これを定義するのはかなり難しい。

フェミニストのフェミニストによる反検閲・表現の自由論として著名な「ポルノグラフィ防衛論(原題:Defending Pornography: Free Speech, Sex and the Fight for Women's Rights、ナディーン・ストロッセン著)」の序文には、ウェンディ・カミナーの寄稿による、このような記述がある。

イデオロギーの崩壊したフェミニズム運動は、言論の自由の権利を求めるために、またはその権利を抑圧するために闘ってきた。……セックス賛成派も、検閲賛成派も、相手を「真のフェミニスト」とはみなさず、さらにどちらも内部に矛盾を抱えていた。

フェミニズムは性的暴力への懸念と性的解放の探求をめぐって分裂し、むしろフェミニズムと理由の間には常に分裂が存在していた。

真フェ論争である!!(※1)

このような歴史を鑑みて、性表現検閲、表現規制問題に限定して語るならば、フェミニズム総体としては、「真のフェミニストは性嫌悪/男性差別主義者である」という定義も、「性表現擁護派こそが真のフェミニストである」という定義も妥当ではない、といえる。

現在のフェミニズムには、

- 機会平等か・結果平等か
- 社会制度か、文化慣習か、公か私か
- 女性のセクシャリティを何処まで主体性の産物と見做すか(性/性表現の解放か、検閲か)
- 女性の定義において、性自認を重視するか・生物学的性別を重視するか
(トランスジェンダリズムを肯定するか/否定するか)

などの多岐にわたる論点、そして、個々の女性の分断がある。フェミニズム、フェミニストと一口にいっても細かく立場が分かれるため、「フェミニズム」を定義する場合、「18世紀の欧米女性市民権運動に始まった、女性の社会的立場や、リプロダクティブ・ヘルス・ライツ(妊娠・出産に関わる身体の健康をめぐる権利)、男女の性差が生む不平等・不公正を論じる思想、それに連なるムーブメントの総称」くらいが限度に思われる。

ゆえに、―――「真のフェミニスト」の何たるか、というのはナンセンスだ、というのが現在の筆者の立場となる。人類の半分がこれだけ大量の論点に対して協調できるわけがないのである。右派左派各々の政治勢力が(表現規制反対運動を含め)、イデオロギー的に「正しいフェミニスト像」強弁することは可能かもしれないけれど、個人的には誠実さを感じない。

筆者であるわたしは、(男性差別を含めた)性規範・性役割分担制度の見直しや、「フェミニズム」という切り口の必要性を認める立場である。とはいえ、「社会運動であるならば、意思の内部統一が図られているべき」とのよく見る意見にも、いささか賛成しかねる。「内部で意見が分かれてるから民族主義運動は運動として認められない、みたいな言い方はしないように思われる。ましてや「女性」は全人類の半分である。意向が統一されるはずがなく、これに異なる社会的境遇を生きる個々の・市井の女性の主観(性的な価値観、境遇、女性間の社会格差をめぐる確執など)が混入するので、話は更にややこしい。

さて、このあたりの混乱は一旦脇において、ここからは、フェミニズムっていつも話題になってるけど、全貌が把握できない、よくわからない、といった方々に向けて、欧米にはじまった思想運動としての「フェミニズム」の辿った歴史的な経緯について、ざっくりと説明したい。

## フェミニズム史、第一波、第二波、ポストモダン(第三派)

### 第一波フェミニズムと女性参政権運動

「フェミニズム」と呼ばれる思想運動のルーツは、18世紀末のフランス・イギリスの女性参政権運動にあるとされる。18世紀以前は一部の上流階級を除いて、女性は男性と等しく農作業・商・手工業などの労働に就いていたが、産業革命により、ことに中産階級において「男は仕事、女は家」の性役割分担が一般的になる。

1789年にフランス人権宣言が採択され、フランス最初の憲法である1791年憲法が発令されるが、当時、「人間」とは「男性」に限られ、女性は市民として認められなかった。そのため、中産階級の女性を中心に、これに抗議する運動がおこる。この時期の代表的な文書としては、イギリスの代表的なフェミニズム作家メアリ・ウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』などがある。サフラジェット(女性運動家)の時代である。これが第一波フェミニズムとされる

### 第二波フェミニズム

20世紀前半、軍需産業により女性の労働参加が進んでいたが、諸先進国では、終戦直後から専業主婦型の家庭モデルへの転換が進められ、一部女性の不満と反発を生んだ。フランスで1949年に出版されたシモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』を皮切りに、女性と生殖を巡る社会的文化的な疎外、及び労働参加をめぐる議論が始まる。家族や男女の性別役割分担による女性の社会的立場役割の固定、それによって要請される「女らしさ」、更には、それを体系づける政治・経済・社会・文化の総体を批判するようになった。これが第二波フェミニズムと呼ばれる。

1960年代後半の革新・左翼的な社会運動の動きが広まる中で、70年代後半にかけて世界的に女性解放運動(ウーマンリブ)のデモが行われ、女性のセクシャリティの解放・性的な自己決定の権利を訴える声が高まるとともに、避妊・中絶の権利、労働の自由などが認められるようになる。

1970年代以降、欧米のほとんどの国で男女の法的権利の同等が認められたことと時期を同じくして、フェミニズムは幾つかの特徴に大別される方向で多様化していく。

1. リベラル・フェミニズム:
生殖のために女性を疎外する社会構造・制度の是正、および労働・賃金における機会平等を求める

2.  (初期)ラディカル・フェミニズム:
家父長制を女性差別の源泉と捉え、家庭や男女関係などの私的領域を急進的な姿勢に是正することを求める。ケイト・ミレット『性の政治学』、シュラミス・ファイアストーン『性の弁証法』。後に、キャサリン・マッキノンとアンドレア・ドウォーキンの反ポルノグラフィ運動により、性検閲運動としての色合いを強める。

3. マルクス主義フェミニズム:
資本主義を女性差別の源泉と捉え、資本主義の解体を目指す。共産主義思想の亜流と言える。

4. 差異派フェミニズム :
男女の性差を強調するフェミニズム。このさらに亜流として、性差を抑圧の源泉として捉えるのではなく、生物学的な性差を肯定し、女らしいとされる性質―――優しさ、協調性、非暴力性などを賛美し、「男性支配的な社会」を批判するカルチュラル・フェミニズム(文化女性主義)、エコロジカル・フェミニズムなどがある。マターナリズム(母性思想)との親和性が高い。優位主義フェミニズムとも(※2)

おおむねこんな感じ。

## 第三派・ポストモダン以降

さて、1980年代後半以降、第二派フェミニズムの流れを汲んで、ざっくりと以下のような動きが生じた。

バックラッシュ:
もとは宗教保守派が先導した反フェミニズム運動、及び世間的な反動を指す語。後に、性役割の部分肯定や、フェミニストによる・急進的なフェミニストによる性表現検閲や保守主義との野合への内部批判、更にはLGBTフェミニズムなども(『女性』という性の特異性を薄める働きを持つことから)も、一部の(主に急進派・差異派寄りの)フェミニストからバックラッシュと呼ばれるようになる。後に、ロクサーヌ・ゲイの『バッド・フェミニスト』など。

フェミニスト・セックス論争:
「性の解放」、女性の性的価値やポルノグラフィ、買売春などへの立場の分裂。ラディカル・フェミニストの主流派は、60年代の「性の解放」以前の保守的な社会を求め、反ポルノグラフィ、反売買春運動にシフトしていく。

反ポルノ検閲論争:
ラディカルフェミニストや左派啓蒙主義が保守社会への回帰を目指していることを批判する動き。全てではないが、リベラル・フェミニズム寄りの論者が多い。前出のナディーン・ストロッセンなど。

ブラック・フェミニズム:
過去のフェミニズムムーブメントが、白人中産階級女性に主導され、黒人女性を疎外してきたことを指摘し、男女差別のみならず、人種間の平等・公平を求める。女性内にも格差や差別が存在することの指摘と、「人種差別と男性優位の関係性(近似性、及び中間階層を介した支配の構造)」を論じる試みの二点に特徴づけられ、後者はセクシャルマイノリティ(LGBT)論と協調した。パトリシア・ウィリアムズ、ベル・フックスなど。

ジェンダー理論:
「性差は社会的に作られたもので、 生理的な性差はそれほど大きくない」といったような前提で、男女間の社会的関係や性規範を論じる。ポストモダニズム内で称揚された「白い石板(ブランクスレート)」仮説(※3)の影響を強く汲むため、論者によっては生物学的性差をほぼ否定している場合もある(※4)

LGBT・クィア理論、トランスジェンダリズムの隆盛:
ジェンダー研究・フェミニズム研究が一般的な異性愛者を思考の前提に据えがちだったことへの批判から、性的マイノリティの間での連帯を呼びかける流れの中で確立されたもの。性的志向のグラデーション性、多様性を論じる。ジュディス・バトラーなど。

これら各論点における対立は激しく、政治的イシューにおける共闘はしばしばみられるとはいえ、ほとんどの場合、これらの論点で立場の異なるフェミニストは相容れない(異論は認める)。

フェミニズムの勢力図は、中産階級女性が中心だった時代から、人種差別批判、セクシャルマイノリティの包摂(及び排外)などのムーブメントや、宗教保守や左派社会運動との関係性によって複雑化した。各流派は、「フェミニズム」の枠内にありつつも、個々の論点において細かい緊張関係にある(※5)

少し前には「トランス女性は女性です」タグで、最近だと作家J.K.ローリングの発言で物議を醸したTERF(トランス嫌悪フェミニズム)は、トランスジェンダリズムの隆盛に対する差異派フェミニズムからのバックラッシュと呼べるが、差異派フェミニズムの影響を風潮をリベラル/ラディカルの軸に配置するのは難しい。
また、リバリタリアニズムか、社会主義か、ケアワークの資本主義化は認められるべきか、といったマルクス主義フェミニズムから連なる軸もあり、これに連なるものとして、機会平等を求めるフェミニズムが結果的に新自由主義、格差拡大に加担している、といった、フェミニストによる批判がある(※6)。

## 「日本のフェミニズム」と性表現検閲

性表現検閲とフェミニズムの結びつきに関しては、かくも複雑なのだが、まぁ現状に関していうと、検閲派≒ラディカルフェミニズムでそんなに間違っていない。ラディカルフェミニズムは、福音派寄りのキリスト教保守主義と合流しやすい傾向があり(セックスドール論争然り)、傍からみた状況をややこしくするのに一役買っている。

とはいえ、検閲/反検閲の軸でフェミニスト全体をすっぱり分けるのは難しい。アクティビストやフェミニズム学者も人間なので、「検閲には反対だがポリティカルコレクトネス運動には賛成」とか「表現の自由は政治表現の為のものであって、低俗な娯楽表現は例外」「周りがみんな検閲を求めてるし、そこまで重要だと思ってない(もしくはおおっぴらに反対すると角が立つ、とか嫌いだ)から強硬反対しない」といった立場を取っていそうな先生方も思い当たる。

日本のフェミニズムにおいては性表現検閲派が圧倒的に優勢であるように見えるが、これについては、以下の理由が推測される。

日本のフェミニズム(というか女性運動)は、1918年から1919年における母性保護論争に連なっており、婦人参政権運動においても保守系婦人団体の影響力が全体的に強い。
また、「女性学」「ジェンダー学」の世界が一部大学研究室を中心とする権威主義的なタテ社会になっており、所属するフェミニストの多くが70年代から連なる(説明すると細かいので割愛)左派アクティビズムに協調的である。日本の左派アクティビストは戦後、韓国のアクティビストとの交流が盛んで、主張面でも影響を受けやすい。韓国の左派・リベラリズムはプロテスタント・ナショナリズム・儒教の融合から性表現検閲派がわりと強い、などの特色を持つ(※7)
ラディカルフェミニストによる性表現検閲派のロビイスト団体(ぱっぷすなど)の影響力が左派政治的にもインターネット言論的にも大きく、インターネットフェミニズムの裾野では、性表現規制反対派=アンチフェミニスト、といったようなレッテル貼りが頻繁に行われている。

性表現規制は運動の旗印は、保守派・ラディカルフェミニズムを問わず、セクシャリティや人権に介入するうえでの旗印にしやすい(これに関しては洋の東西を問わない)。運動家によっては、「表現の自由とは政治表現の自由を擁護するためのものであり、『人権侵害的な』性表現を擁護するものではない」といったレトリックを駆使するものもある。

日本の主流学閥のフェミニストには、反検閲・反自主規制強制を論じる筋があまり居らず、女性運動も昨今においては性表現への検閲志向に追従しがちな傾向がある(例えば、日本のフェミニスト・オブ・日本のフェミニストである上野千鶴子氏は反検閲派を自称しているが、女性運動団体であるWANによる圧力の行使などは容認しているように見える)。いっぽう、性表現の自由を訴えるフェミニストは、アーティストや文筆業者に偏りやすく、インターネット上での緊急避妊薬市販化運動に端を著するネオリブ・ウィメン運動は、こちらは学閥系・ラディカルフェミニズム系、及び、そちらに追従しがちなツイッターフェミニズムとの分離を図る流れで、「フェミニズム」の看板を下ろしてしまった。

国内フェミニズムの反検閲派は草の根に散らばりがち・で、それゆえに、フェミニズムを巡る論争の、ギャラリーからも例外処理されて(埋没して)しまいがちな印象を持っている。

しかし、私自身、性表現検閲には強硬に反対する立場であるし、また、ラディカルフェミニズムや啓蒙主義的なジェンダー・フェミニズムや、性表現の検閲を求める流れには同意できないけれど、フェミニズムの歴史的意義や、性差を巡って現存する問題の存在は無視できない……といった立場の女性は少なくないのでは、と思う。冒頭に書いたように、「フェミニズム」という切り口の有用性を認める立場である。ラディカル・フェミニズムや差異化・女性優位主義フェミニズムによるジェンダー保守への傾倒が目立つ中で、そこに反発するフェミニストが存在感を示していく意味はあるのかな、と考える。

## 〆

以上、専門的な記述というよりは横断的な概論でした。有名どころのフェミニストの名前や、著名な文献は並べてますが、細かくやると(すでに7000字越えてるのに)膨大になるので出典はつけません。いつかちゃんとやるかもしれないけれど、これが本業ではないので…もうしわけない…(あとからちゃんとまとめる必要が出てきそうならやります)

次はラディカル・フェミニズムと「マッキノン・ドウォーキン主義」の話を、今回よりもちょっと突っ込んでやりたいかもです。あと、「サフラジェットは検閲派だったのか?」とかの小話も(おもしろいので)やりたい。

### (脚注)

※1) ちょっと前にTwitterで「真フェは実在するのか」みたいな話を見た記憶があり、圧倒的な「歴史は繰り返す」感。これは13年前に翻訳された本です

※2) 日本だとミサンドリーフェミとか呼ばれるやつ

※3) 人間に生得的な差異や養育環境の影響などは存在せず、あらゆる人間は正しい教育によって正しい人間になる、みたいな考え方(すごくざっくり)。優生学批判において重要な役割を果たしたが、極端なので現在はまぁまぁ批判されている。

※4) 「ジェンダー」という語は、一般には社会的性差全般、あるいは集団間に認知された差異を指し、生物学的性差まで含める多義性を持つが、「ジェンダー理論(gender Theory)」における「ジェンダー」の定義はやや特殊になっている、といった印象。出典はありません。

「白い石板」仮説はプロテスタンティズムと融合して、左派言説における「悪い情報を与えなければ良い人間に育つ」といったイデオロギーとして定着した。結果、性差論では袂を分かつはずのジェンダーフェミニズムとラディカルフェミニズムの間では、性表現検閲問題における協調が見られる。所謂ポリティカル・コレクトネス的な主張も、おそらくこの流れに連なる。

※5) 具体例。「機会平等を求めるリベラルフェミニストはマルクス主義の流れを汲む左派フェミニストとは折り合いが悪い」「ジェンダーフリー運動では「性役割からの解放」という点で、アファマーマティブアクションの是非や男女雇用機会均等法の内容議論についての議論はあれ、概ね各流派で利害が一致していたが、現状に対しては一部のリベラルフェミニストから異論が出ている」「反ポルノ派のラディカルフェミニストや、マターナリズム親和的なリベラルフェミニストの一部は、ジェンダー派やトランスジェンダリズムと仲が悪い(TERF=トランス嫌悪フェミニズム)」「前述のとおり、ラディカルフェミニストとジェンダー・フェミニストはポストモダン思想の影響が強く、表現検閲に関しては野合しやすい傾向がある」など。

なお、イシュー単位での対立関係により、対外的に流派が既定される、といったような事態もまま起こる。リベラルフェミニストはバックラッシュ・反フェミニスト扱いされやすく、ラディカルフェミニストを自称していると、表現規制派と見られやすい。

※6) 「フェミニズムはどうして資本主義の侍女となってしまったのか(ナンシー・フレイザー)」菊地夏野氏による邦訳原文(The Gardian)

※7) 反ミサンドリー、性表現検閲反対派がアンチフェミニスト・ネトウヨなどのレッテルを貼られる→女性嫌悪的な言論傾向を強め、アンチフェミニストを自称するようになる、といったスパイラルがあるように思われる。

※8) こういう傾向があることの善悪を踏み込んで論じたいわけではないですが、性表現規制に、虐待防止・人権侵害抑止的な実効性はあまりないだろう、とは思っています。なお、日本で紹介される機会が非常に少ないものの、韓国内でも、ラディカルフェミニストの純潔・反売春・検閲などの偏りを問題視・批判する動きはある。以下のレポートは、日本の反表現規制団体、うぐいすリボンが韓国の検閲反対団体:Open Net Koreaと共催したイベントにおける、リアルドール規制問題についてのプレゼンテーション(フェミニスト作家ののイ・ソンオク氏による)を邦訳していただいたもの。

おまけ
https://www.masshirona.red/entry/2018/10/21/205705
江口某先生とSex from Plato to Paglia「リベラル・フェミニズム」のゲリラ翻訳をやったときのブログ記事。翻訳稿はインターネットのどこかにあるはずです(こっそりどこかに置いておきたさはある)

以下、投げ銭ゾーンです。なんもないです。ぐっどらっく。

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