見出し画像

ひとりのスタッフとしてできること@CB21

この記事は、数年前にさかのぼり、鎌田がCODEBLUEにスタッフ参加するに至った経緯などを書き綴った。ひとりのスタッフとしてできること、今後のための課題を見つけ、なにか役に立つ意見などが発見できればという心持ちで書き始めたら、筆が止まらなくなった。

はじめたきっかけ

何年前になるのだろう。Kanaさんと出会ったのはセキュリティ関係者が集ってお酒を飲むという企画がTさん主催であって、Tさんに紹介してもらった。Tさんはもともと、O.T女史の大誕生日会で知り合うという不思議なご縁だった。私は当時30代で、技術者ではなくITエンジニア向けの広報というポジションで仕事をしていた。セキュリティには疎く、CODEBLUEを知らなかった。小さな雑誌を作りITなイベントやコミュニティに出入りしていた。そのご縁でSoftwareDesignにも連載していた(この連載自体、人に恵まれた縁のおかげでもあった)その第14献にkanaさんに出てもらった。2015年であったらしい。今から遡ると6年前だ。その出会いの場であったセキュリティ飲み会のTさんから紹介してもらった時、「彼女にかまぷの部屋、出てもらうといいんじゃない?」といった感じで繋いでもらった。この時のことは今でもTさんへ感謝している。Kanaさんには光るものを持っていると、その時にわかったし、女性エンジニアを探していたのもあったので、彼女の自己紹介をのめり込んで聞いた。そもそも女性のリーダーが少ないIT業界で、国際カンファレンスを主宰しているという事実やその夢を語る言葉のいくつかだけで、私は不思議とパワーをもらっていた。その熱量というかエネルギーの源に近づきたかった。翌日にはSDの編集者Kさんに提案を受け入れてもらい、インタビューし、記事に出てもらった。しかし私はそれだけでは足りなかった。もっと関わりたかった。それにプラスアルファ「国際」や「セキュリティ」という言葉達で私の心は勝手に踊りだしていて、「英語使いたいから」とか、ちょっと無理に近いことを動機にして自分自身に暗示かけていたと思う。(大した英語使えないのに(笑))

カオスっぷりが癖になる

内部のスタッフに私を知り、推薦というか後押ししてくれる人(N氏)が偶然にも居て、スタッフになることができた。(運の引き寄せが成したことなのか)初参加した開催日当日の気持ちだとかは流石にもう覚えていないのだけど、忙しさだけははっきりと記憶している。(毎年初日の受付は忙しい)
受付をアサインされて、次から次へとくる来客に対して対応する。インカムでSPEAKERの来場を知らせる。バッチなどをお渡しする。一つ一つは単純作業ではあるのだけれど、人が一人並ぶと、そこに2、3人と寄ってくる少し謎な客寄せパンダ理論なのか小さなカオスがいくつも生じる。心を落ち着かせてその小さなタスクに対して優先順位をつける。お客様は「少々お待ちください(笑顔)」という言葉をかけると、大抵2、3分は待ってくださる。SPEAKERチームも複数人会場で走っているので大抵1分もかからず駆け寄ってくれる。完全オフラインの時はだいたい午前中にこの峠を乗り越える。この小さなカオスが密集する時間帯がなんとも味わい深い。アドレナリン放出する濃密なひとときで、何度も味わいたくなる。2019年だけ受付から離れてプレスルームに居た。

学生スタッフの魅力

話が個人的なものばかりだとつまらないと思うので、学スタ(学生スタッフ)に切り替える。CODEBLUEの学スタは「優秀」という言葉で評されることが多いが、半端なく優秀で、そもそも学生というカテゴリやら技術力などを私のような小物が何かと比べる事自体が恐れ入る・・・っていうぐらい大物になっちゃった学生がいる。
彼女は当時大学の学部生だったが、近い将来ユーはなにしたいの?
と、ざっくり夢を聞いたら「インに行きたい」と言った。
私はこの時のことを鮮明に覚えているのだが、
インドに行きたい」と聞こえたのだ。

「ああいいよね、インドって行ったことないけど、カーストとかあるし文化ぜんぜん違うよね」とか、我ながら呆れるぐらいすっとぼけたことを返していた。

彼女は「海外の大学”院”に行きたい」と言っていた
のだ。

それから数年後、彼女はハーバード、スタンフォードなど名だたるアメリカの超エリート校のComputer Science科をいくつも受験し、全て合格し、MITへ入り、夢を実現した。

日本にはとんでもない優秀な学生がいたもんだ。いや、これまで会ったことないし、ここまで優秀な方には、小物なあたくしはもう会えないんじゃないかとすら思う。そもそも自分より20歳ぐらい年の離れた人と、「夢ってあるの?」なんて聞ける機会すらあまりない。これはCODEBLUEのスタッフ特典であると、今になって思う。彼女は例外にしろ、他のスタッフは皆やりたいことがあって、それぞれに既に専門性があって、前向きで優秀だ(個人の主観から見て)。そういう若手を引き寄せる魅力がCODEBLUEにはある。誰か学スタのSNS書き込みにもみんな笑顔、って書かれてたのも納得。そういや皆楽しんでいる。

2020年の奇跡

去年は完全オンラインだった。Kanaさんの働きで時の人、オードリー・タン氏にオンライン出演をしてもらった年。私のプチ自慢になるが、講演当日、オードリー・タン氏にTwitterでリプライをもらった。(いまだに興奮する。わたしのデジタルな家宝だす。むほほほむほほ)
この時は講演をリアルタイムで聞いて、Slidoへのコメント書きやTweetに集中していた。QAタイムに日本文化が好きですか?という質問に対し、彼女は日本のアニメが大好きで、とくにドラえもんが大好きだと言う。Kawaii文化でいろんな人の心を和ませるだとか物事を解決するだとかそんなことを言っていたと思うのだが、ひとくくりに言うとこういうこと?と思ってTweetにこう書き込んだ。

それでご本人から。

動画があまりにもKawaiiもんで、リプライへの反応が大きく、Togetterにまとめられるまでになったし、素直に尊敬。#codeblue_jp をまだ知らぬ人にこの機に知ってもらえたらって思う。
この一件をFacebookでも書き込んだんだが、だいぶ日が経ってからIT界隈に属さない友人から「書き込み見たけど、そもそもオードリー・タンさんを知らなかったよ有名なんだね」と聞いた。
そうか、国際政治やITにそれなりの強い興味がなければ、そうなのかもしれない。Geekな話題にどっぷりな私達からすると、超有名人でも、テレビCMや広告に大きく出ている人ではないので、まだまだ知らぬ人もいるのだなと。自分の井の中の蛙的な視点の狭さというか意外な驚きが、それから数カ月後に起きたことなどを思い出した。

2021年のチャレンジ

そして今年はKanaさんからお仕事をもらった。スタッフ弁当の手配・ウェットティッシュのデザイン入稿・バッチのデータ準備と入稿。本業の業務時間外でやれることということで少しを請け負ったのだが、それぞれ簡単そうに見えてなかなか厳しいところだった。
毎年開催前の作業負荷が一部、とくにKanaさんや事務局に集中していたので、少しでも分散できればということで、作業請負することになった。どれも数を決定することと、制作のための発注日を決めることが肝だった。
だいたい1ヶ月前には発注を終えてないといけないのだけど(弁当以外)このコロナの状況下で決まらないことも多く、えいやで決める/決めてもらうしかなかった。コスト抑えた手配を提案したけれど却下になった、納得できたのは参加者が喜ぶかどうかが選択のキーポイントであるというところだった。こういうところは、私の今年の学びだったと思う。

スクリーンショット 2021-11-01 19.46.41


その点で、今年の抗原検査だとかの事前準備はKanaさんはじめ検査をうけた参加者含め全員の一丸となった仕事であり、成し遂げた(開催からそろそろ2週?)偉業だと思う。前例がない中で人が判断を下すことの難しさよ・・・。
余談ですが今年はPiyokangoさんが小鳥として登場したときのザワっとした会場の雰囲気や、小鳥ぬいぐるみへの愛情の注ぎ方とかも、みんな含めてとても良かった。

ウェットティッシュ

良縁の意味

この記事を書いている最中に出会った上質な講演(ちなみにセキュリティ関係じゃないよ)。神様が出会わせてくれたご縁ってやっぱりあるんだって気持ちになれて、涙が溢れた。私は良縁をこれからも大切にしていこうって思った。少し疎遠になっている人にはどう近づけばいいのだろう。私ができる目の前の仕事を、もっと大切にしていこうって思った。

これからもがんばるよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?