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背景読みしていただきました

三週間前に、atsukoさんのセッションを受けました。
詳細はこちらを。

「背景を読む」ということに、とても興味が湧きました。

私は背景という言葉が好きです。日々職場で、乳幼児さんに接しています。
目の前にいるその人を、ありのまま受け止めるよう心掛けています。
それと同時に、目の前にいない間に紡がれているであろう、その人のストーリーを想像しています。その行動の背景は何かと、思いを馳せています。

さっそく話がそれました。

私は人から見られる印象と、自分自身が感じている自分像が、かけ離れているので、自分からたちのぼる背景が知りたいと思いました。


「はじめまして」の挨拶をして最初に伝えてくださったのは、私のアイコンを見た時に私の後ろに広がる風景の話でした。セッションの申し込み後にアイコンを見てくださったとのことでした。

セッションの申し込み後、私は三枚の写真を送りました。自撮り、家族と一緒、友だちと一緒の写真です。それぞれの私の印象に、どんな違いがあるかお聞きしたかったからです。

アイコンを見た時に感じた風景は、自撮写真の私の後ろに広がる風景と、ほとんど一致していたそうです。後で写真を見て「なるほどそういうことだったのか」と思われたそうです。その風景は私には馴染みのあるものでした。
だから、それが私の背景に転写されているなら、面白いと感じました。

それぞれの写真によって、背景が大きく変わることはないようでした。
自撮り写真の方が、私自身がよくあらわれ、透明感があるとのことでした。一人でいる時の方が、自分らしく凪いだ状態なのかと思いました。


その後、画面越しの私の姿をどう感じるか話してくださいました。
それは自分でも何となくわかっている状態でした。やっぱりと思いました。

私自身は、長らく様々な感情を溜め込んで蓋をして、それが行き場を失っているように感じていました。感情だけではありません。
自分が欠けている気がして、いつもインプットばかり。
それに対して、なかなかできないアウトプット。
出せないものが身体の中で、発酵ならともかく、腐敗しているようでした。

私の滞っているポイントを三つ伝えてくださいました。一つはすっかり忘れていましたが、30代半ばに症状が出て、定期的に検診していた部位。
一つは40代半ばに健康診断で指摘され、定期的に検診していた部位。
一つは今まさに、私が苦しんでいる症状付近の部位でした。
まさか背景読みで、身体のケアの話になるとは思わず、びっくりしました。

その後、あれこれ身体の話をしているなかで、「だから全部放り出したくなっちゃうんですね」と言われた時、ドーンと胸に響きました。

事前に伝えていたのですが、私は時にすべてを投げ出してこの人生を、この家族を、やめたくなる衝動に襲われるのでした。あ~この溜め込んだ身体が、それを生んでいたんだと気付きました。

何がこの身体の状態を生み出したのでしょう。滞っている私の身体。
でもケアをしていなかったわけではありません。数年前から「自分愛すキャンペーン」と称して、自分を労わり、許し、愛そうとしてきました。
身体をメンテナンスし、食べ物にも気を遣ってきました。

私に合ったケアの仕方を教えてくださったので、早速やろうと決めました。
私の器である身体が健やかでなければ、そこから生まれる感情や思考が健やかなはずないと、腑に落ちました。まずは、身体を巡らせると決めました。


そうしたら、家族に対して、自分の気持ちや意見が言えない状態を変えられる気がしました。今までなぜ言えなかったのか?それはこわいから。
なぜこわいのか?それは、口を開けば、家族を傷付けてしまうから。

人からは優しそうな人とか、癒されるとか、いいお母さんでしょう、とか言われてきました。でも本当の自分は違うのです。私は小さい頃から、家族にとても冷淡で冷酷で牙をむくのです。

息子との関係が5年前に破綻してから、ずっと息を潜めるように、余計なことは言わずに、もしかしたら必要なことさえ言わずに、生活してきました。息子が小さい頃から、いつかうまくいかなくなるんじゃないかと、ぼんやりながらも、こわさを感じていました。(姉である娘には感じたことのないものでした)予感は現実を引き寄せるのですね。実際にそうなってから、息子より先に向き合う人がいることを、認めざるを得なくなりました。それはおそらく母でした。


どんな自分なら、家族に言いたいことが言えるのか?
話すなかで出てきたのは「小さな人たちと接する自分なら、できるかも」

誇張でも偽りでもなく、私が日々出会う小さな人、その誰もが素晴らしい存在であると思っています。同じ人は一人としていません。みんな違います。タイプはあるかもしれないけれど、カテゴライズされない個の輝きを、それぞれが放っています。

でも、それを家族に適用しようと思っても、なかなかできなかったのも事実です。息子が見えないバリケードを築き、身体のあらゆる所からトゲを出していたあの頃、何度も「この子は、けして私のものではない。子どもは親の所有物ではない」と思い接してきたつもりでしたが、それはきっと私の本心ではなく、どこからか引っ張ってきた思考だったのでしょう。全く機能しませんでした。きっと私は息子を把握し、思うよう誘導していたのでしょう。

そうなってから、私は突き動かされるように思い立って、保育の学校に行きました。保育士のパートになり三年目です。授業であれほど学び、実際に職場で感じる人の素晴らしさを、なぜ家族には適用できないのか?
それがいつも心の片隅にありました。私は偽善者なのだと思っていました。

息子を追い詰めてしまった母親なのに、時に家族にうんざりして、放り出して消えたくなる薄情な人間なのに、職場では「どの人も素晴らしい!」と歓喜している私は、ただの嘘つきなんじゃないか。結局は人に良く思われたいだけで、世間や親が求めるであろう姿に、自分をすり合わせているだけなのではないか。

「本来の姿は違うのに、家族にはそうしないとやってこられない理由があったのでは?」と言われて、一瞬、時が止まりました。衝撃的な気付きに心が震えました。あ~やっぱりこれ、小さい頃から始まっていることだったんだ、と思いました。(これはまた、いつか書きます。)

もし、家族に言いたいことが言えるようになったら、私は何を言いたいのか?出てきたのは「小さい人がそうであるように、家族も一人ひとりが全く違った存在でいいし、どの人も素晴らしい。その人らしくイキイキと生きていれば、それでいい」「何か言いたいんじゃなくて、したいのは応援」

え、そうなの?拍子抜けしました。                            

私がかつて、家族にあれこれ、口うるさく言っていたのは、家族が嫌いなわけでも支配したいからでもなく、家族を応援したかっただけなんだ。
そんな単純なことなのに、私はおそらく常識とか世間体とか期待とかお節介とか、さまざまなものを乗せて、随分とややこしくしていました。

オセロが一つずつ色を変えていくように、パタパタと過去の出来事のあれこれが浮かびました。失くしたパズルのピースが見つかった気がしました。
家族を放り出したいわけではなかった。そうふるまってしまう理由があって、やり方を間違えてしまっただけなんだ。冷淡で冷酷だと思っていた私の中に、家族への愛情はあったんだ!

急に泣けてきました。泣くとは思っていなかったので、タオルもティッシュも手元にありませんでした。「そのままで大丈夫ですよ。泣いていいんですよ」の言葉が沁みました。もう私はおでんの大根かってくらいに。温かい涙でした。大根だけに(笑)安堵の涙でした。自分にホッとしました。

このことに気付くのに、どれだけの出来事が起こったのでしょうか。
でもその出来事の一つでも欠けていたら、今の私ではないように思います。家族との出来事も身体の不調も、ずっと私に訴えかけてくれていた。
でも気付かないから、日々接している小さい人たちが教えてくれたのです。は~時間のかかる私です。半世紀もかかってしまいました。トホホ。

でもこれは終わりではなく始まりです。私のタネは「応援したい」だった。
それを思い出したんだから、もうこねくり回さない。過去に舞い戻り、ほじくって傷を広げながら、自分を悲劇のヒロインに見立てなくていい。


一人では到底辿り着けなかったけど、セッションのお陰で、自分の本心を思い出せました。

atsukoさん、改めて、ありがとうございました!!

長くなったので、ひとまず、ここまで。セッション後の変化もありますが、それはまた改めて。

初投稿となりました。勢いだけで書きました。溜めない私になるのです。
昔から三歩歩くと忘れる私です。忘れたら、ここを見て思い出します。

読んでくださった方、ありがとうございました。



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