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郵便のある生活(いつかの日)

最近手紙交換をよくする。三角という名前の友達との手紙は、京都埼玉間を今のところ五往復した。(五往復とは、ちょうど旅をしている人がパスポート番号を覚えるように、相手の住所をスラスラ言えるようになったくらいの数である)
手紙は、はじめはヤッホーという当たり障りのないあいさつで始める。次に、元気?で挨拶も早々に一気に話し始める。
最近はパンを作るのにハマっているよ。スーパーから強力粉が消えて、ネットで注文したんだけど、あとニ週間こないよ。ニキロ頼んだからグルテンアレルギーにならないことを祈るよ、、、、と便箋五枚分の量でこと細かに彼女自身のことが綴られている。その感じが、彼女があらかじめ決まっていることを一気に話すときの喋り方に似ていた。手紙とは自らのことを綴る日記のようなものだ。かと言って相手の存在も消せないから少し面白い。あと、今まで、または最近考えていたことが自分と向き合うことで本人も気づかず、思わぬ形で溢れるので、そこがまた面白い。と考えると全国の手紙を読んでみたい気もする。たまに彼女は手紙と一緒に、手作りクッキーを届けてくれる。速達で届く封筒に収まったそれはさすがに焼きたてとはいかないまでも、かなりさっき作った感のクッキーがやってくる。郵便で運んでくるのが面白くて嬉しくて、今度はアップルパイを注文したがまだ届かない。
三角の手紙の中には必ず植物が登場する。家で生けているユリ、芍薬について。ついには手紙の封筒にユリの花粉がびっしり貼られていたり、家で勝手に乾燥したミモザがデコレーションされていたりもした。触発された私は、文香(手紙の中に香らせる匂い)を作ろうと、レモンの皮をウォッカにつけてしばらく経ったものをシュッとひと吹き、封筒の中に忍ばせて、ぜひ初夏を感じさせてやりたいと目論んでいる。そんな形で手紙の楽しみ方も日々変化している。
手紙の最後は、私たちに幸あれ、と締めるのが気に入ってお互い続いている。どんなに本文が長くなろうと、幸ある文章でなかろうと、私たちは私たちに幸があって欲しいと望んでいる。この定型文のようなものは、話し言葉だとクサイ、or嘘くさいものの、手紙ではバトンのような役割になっている。メールやラインのように素早く反応できるものではないので、決まった言葉や定型文が、丁寧さとその人らしさをより感じ、安心する。いつまで私たちの手紙交換は続くのか。続くといいなあ。


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