トイレにまつわる話

私の膀胱事情。最高で七時間トイレを我慢したことがあるが、あるときおもらしをしたせいで今では他人の膀胱にまで興味がある。
日本では外出中にトイレに行きたいとき、コンビニやデパートの中のトイレや公衆便所などを使うことが多いが、道も言葉も曖昧な海外では実にトイレを見つけにくい。しかもトイレにお金がかかることがある。

私はチェコで、お金を入れないとトイレに通じるゲートが開かないというトイレに出会った。そのゲートに並ぶ人々の様子を見ていると誰かがお金を入れて開いた瞬間、後ろに続いて二、三人が駆け込むというシーンを何度も見かけた。たかが数コルナ、と言えども頻尿の人には大きな出費である。私もみんなに真似して二個前の男性のコインで無事に用を足せた。

私はトイレが近くにあっても我慢してしまうクセがあってその状態のまま観光をすることが多いのだが、ついに漏れそうになった旅行先での話を書く。
中欧に位置する国、オーストリアに行ったときのことであるがここはウイーンを音楽の都として知られている。オペラ、教会でのパイプオルガン、オーケストラなど、どこにいっても音楽を聞くことができる。オペラの立ち見席は四ユーロで見れる。
滞在三日目にしてウイーンから西に300キロ弱、私はモーツァルトが生まれたザルツブルクに向かっていた。
モーツァルトの生家を見に行こうと、ウイーンから列車とバスを乗り継いだ。ザルツブルクに到着すると、見どころが旧市街に集中しているためか静かな街という印象を受けた。電車でトイレをし忘れたこともあり、モーツァルトのところまで私の膀胱は残念ながら持たず、カフェでトイレを借りることにした。Bitte leihen Sie die Toilette(トイレ貸してください)と旅行者が使う最もイカしていないドイツ語の一つを言い切った。トイレだけなのに快く貸してくれるカフェの五十歳くらいの女性に感激し、私はそこでパンとコーヒーを頂くことにした。ちょうど十時のおやつといった時間であるか、隣の席には三人ほどの男女ペア(といってもみんな40代以降)が座っていて恐らく地元の人だろう、私はここのカフェはあたりだと思った。ここを憩いの場としているのか若いアルバイトとも顔見知りのようで喋っている。地元の人というのはどこの人もおせっかいで、私のリュックとガイドブックを見つけるやいなや話しかけてくるのも定番である。
「どこからきたの?」「日本です」「そうだと思った」「私の息子、今福岡に留学中なのよ」とおばさんとの会話を経て私たちの距離は一気に近づいた。観光地では、日本人を見つけるとトーキョー、オオサーカーと悪気のない呼びかけが聞こえるが福岡は本物だと思った。モーツァルトの生家に向かうことを伝えると、彼らは、右に行ってしばらく経ったら左だよ、とみんなして指を矢印にして説明してくれた。なーるほど。最初は右で、次に左ね、と私も矢印にして別れを告げた。

ザルツブルクは塩の城という意味で、昔近郊で採れた塩によって栄えた街である。
モーツァルトの生家を見終えてからぶらぶらと旧市街をさまよっていた。地図を見ずになんとなく歩いていて、道が二つに分かれたら左に曲がることに決めながら歩いた。私の膀胱はまた高鳴り出した。近くにはトイレがないので再びカフェに入ることにした。トイレを貸してくださいというと、自分より5歳くらい年上のお姉さんが奥のを使っていいよとまたもや快く貸してくれた。こうなりゃコーヒーを飲まないわけにはいかない、私は席に着いてザッハトルテとコーヒーを頼んだ。水も一緒についてくるのがオーストリアカフェの特徴である。このオーストリアの旅だけでザッハトルテを毎日食べているので、特に美味しいものと普通に美味しいものとの見分けがつくようになった。お皿に添えられていた紙テイッシュに書かれた店名がわからなかったため、例のお姉さんに聞くと店のパンフレットらしきものを持ってきてくれた。それを見るとこの店はとても有名なお菓子屋で、オーストリア土産で有名なチョコの中にピスタチオが入ったお菓子は唯一オリジナルの手作りであるらしかった。話を聞きながらする私の相槌が気に入ったのか、「へえ〜」「スゴ.イネ」「オリジナル〜」と彼女は繰り返した。
トイレに行くはずがそこでステキなカフェでコーヒーを飲む、私の膀胱いいセンサー。


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