インド紀行2017

 インドは怖い所だよ。大人はインドに行ったことがないからそういうの。大丈夫。そんな神話信じなくても、私が確かめてくるから。
 
 偶然手にとった本に運命を感じることはたまにある。ガンジス河でバタフライ。結構有名な本らしいのだが、知らなかった私はキャッチ―な題名に惹かれて立ち読みした。それが私とインドをつなぐ最初のきっかけだった。
ものの三時間で読み終えた私はもう既にインドにこころが傾きかけていた。それからというものガンジス河が常に頭に流れていたし、自分の死体がプカプカ浮いている想像なんかもできるようになっていた。大学二年になる頃には、インドにいくことが自分の中で確信に変わっていった。誰にもまだ言っていなかったので、手始めにゼミの希望調査の下の欄に、夏はインドに行きます、と書き記した。
インド、女、一人、と検索をかけると、なんて怖いことが書いてあるのだろうか。もともとビビりな私は、友達や家族に断言することで逃げられない環境を作ろうとしていた。そしてある日の父の一言。
「ええインド?他の所ならいいけどインドはだめ。」
バイト先のシェフには三十分間インドの危険度を話されたし、習い事のピアノの先生には親の気持ちを考えると一人で行くのはやめなさい、と涙を流された。私は不思議に思った。この中のどの大人もインドに行ったことがないのに危険な国なんて誰がわかるだろう。なんてかわいそうな私。もうインドの虜であった私の魂はほとばしり、何を言われてもインドに行こうと決心した。私と父は一か月間まさに冷戦状態だった。
 このままでは一生娘に口をきいてもらえないと思ったのか、父は七月の中旬ごろぽつりと言った。
「二人だったらいいよ」この一言で、鮮烈な一人旅デビューとはいかなかったものの私のインド行きは決まった。
 
バラナシ一週間
ガンジス河の聖地であるバラナシについたとき、ああいいなあと心からじわっと染み出づるものを感じた。インドに行く目的は、ガンジス川を見て、身を浸し、普段考えていることをより深く考えることだった。
ガンガーエピソード①
バラナシについて三日目。昼さがりガンガー沿いを歩くのが日課となっていた。五メートル歩くとインド人に話しかけられ、適当にスルーして進むとまた新たなインド人に声をかけられる。ジャパーン!と声をかけてくるおっちゃんにニコっと笑いかけるとそばのガートで少年三人が宙でくるっと回って飛び込み、見事なクロールでスイミングをしていた。私の姿を見た男の子がちんこ!ちんこ!と叫びだした。やっぱりその年代の男の子にはそういうワードって言いたくなるよなあと思い、よく知ってるなあと微笑ましくなった。感動した私はI have two  chinkos と胸を張って言った。すると男の子はケラケラ笑いWow nice!と繰り返した。気持ちよさそうにガンガーに入る人達を見ていると私も入りたくなった。サリー姿で入る美しきインド人女性と、ふんどしにルンギーというスカートのようなものを巻いて入るおじちゃんたちに混ざって私も沐浴をした。たゆたゆとした水の感触で体がすっぽりはまったような感覚になった。気持ちよさのあまり平泳ぎをすると少しだけ地元の子供になれた気がした。
 
映画
インドといったら映画っしょ!ということで映画館まで計三十人に道を聞きながら四十分かけて辿り着いた。
「デイス ムービー キャン シー?」とたどたどな英語で聞くとおっちゃん
「ディテ」と答える。
「できる?この映画見れるのね」
「ディテディテ」
英語がわからないおっちゃんと日本語で確認する私たち。空耳な気がするけど、なんだかんだチケットを買えた私はありがとうおっちゃん!と手を振って館内に入った。館内は異
常に寒くて凍えそうなくらいだった。始まる前に歌が流れた。すると私たち以外のみんなが一斉に起立してその歌を歌い出した。あとで聞いたところによると国歌ではないらしいのだが、一体なんの曲だったのか。イスはリクライニング可能、約三百円で見れてなかなかお得な感じだ。ジェントルマンという映画でヒンディー語なので詳しいことは分からないのだが、アクション映画なので話の流れはわかりやすい。ヒロインの女性が銃で格好良く乱射する場面では、インド人が声を上げたり、口で音を鳴らしたり、突然の盛り上がりを見せた。ヒロインと主人公の男のちょっとしたラブシーンでは笑いが漏れ、フゥゥゥとからかうインド人もいた。それに触発されて私もインド人と同じように声を上げたり、ダンスシーンでは小刻みにリズムにのってみたりした。楽しく見ていると、ポップコーン、と言いながら目の前に男が現れた。え?さすがに上映中なんですけど、と思いながらいらないよ、と断るとポップコーン売りの男は違う席に歩いていった。さすがインドだなと思いながら、途中の十分休憩に売店に行くとポップコーンをせっせと作るさっきの男がいた。
 
トイレ
インドでのトイレのやり方。物を出す。桶の中の水をかけながら左手で拭く。残った水で左手を洗って終了。最初はパンツがびちょびちょになり、綺麗になっているか不安になる。滞在二日目くらいでむしろ紙で拭くより綺麗であることに気づく。日本に帰ってきてからも桶の方が楽だなと思うし、紙で拭く感覚が鈍り強く拭きすぎてしまったせいで帰国一日目、肛門に痛みを少々感じた。
 
食事
食事はイメージ通りカレーである。カレーは飽きない。インドにいた二週間ちょっと、毎日二食はカレーを食した。インド人かぶれみたいなことを言うと本当にカレーは多彩なのである。チキン、エッグ、豆、ホウレンソウチーズ、ジャガイモ、トマト、などなど。乾いたコメにルーをいそいそと流す。すべるルーをコメに馴染ませ手でさくさく切るように織り交ぜていく。汁気六十五パーセント固さを二十五パーセント残り十パーセントの空気で口に運ぶ。消化機能が胃の底ではなくて、喉元にあるような感じでするすると口に入れる。受け皿は上手く働くようで、これにプラスチャパティー三枚はぺろりと食べられる。インド人は私のように口からぼろぼろとコメをこぼすことなく食す。箸休め、というか手休めの玉ねぎもつまみながら美しい手つきでカレーを食べる。
 
ガンガーエピソード②
ガンジス河に行きたかった理由の一つに火葬場をこの目で見たいと思ったからだ。死んだ家族を目の前で焼いて、その灰や骨をガンガーに流すなんてとても神秘的に思われた。でも実際はバラナシでは二十四時間煙がたっていて日常の風景なのである。
 
バイバイバラナシ
バラナシに一週間もいると一人で路地裏に入っておいしいラッシー屋さんを見つけたり、ガンガーをぼうっと見たりライフスタイルが出来上がってくる。たくさんの友達もできた。名倉潤に似ているおかげで名倉と呼ばれる男や、一日に二回は会う日本語ペラペラのラッキーという男だ。最初は怪しいと思いながら、毎日道で話すうちに悪い奴ではないことが分かった。日本人の奥さんと日本語ペラペラのサンちゃんとはたまたま出会った。二人はゲストハウスをやっていて、違う宿に泊まっていた私を含む日本人(道端であった)に親切にしてくれた。日本人とスペイン人(屋台で奥さんが声をかけた)とサンちゃんの友達のインド人と朝から晩まで一緒に過ごすことが多くなった。二人無くして私のバラナシ生活は無かった。
バラナシからデリーの北にあるリシケシに向かう前日の夜。ガンガーを見ていると、なんともセンチメンタルな気持ちになった。涙で潤んでいるせいか水が揺れているように見えるし、反射した光が魚の集まりのように走っていた。ガンガーの命だ。このままバラナシにいたい、という気持ちと自分が住み着いてしまうのが怖い、という不安があった。
次の日、リシケシ行きの寝台列車に乗るために駅に向かった。インドの列車は一、二時間の遅れはオンタイムであり、数時間遅れてくることが当たり前なのである。私たちは駅のホームでいつ来るかわからない列車を待っていた。三十分経った頃、トイレから戻ってきた友達のハナが息を切らして走ってきた。
「さり!列車今さっき行った!」
インドの列車は遅れることもあれば、発車するプラットホームが変わることもしばしばあるのだ。あ、行ったんだ。落胆するハナと対照的に私はもう一日バラナシにいれる喜びをかみしめていた。このままバラナシにいても良かったのだが、リシケシでゲストハウスに予約を入れていたというのと、ハナの判断で私たちは翌日のチケットを取り直した。
 
インド人との触れ合い
In バラナシ
「このポストカード100ルピーだよ。」ポストカードを強引に持たせようとしてくるお兄さん。
インド人にはいつもぼったくられるから逆にふっかけてやろと思った私は
「昨日違う店で買ったら2ルピーだったよ。」と嘘をつくと驚いたお兄さんは、ユーアークレイジーと言って頭のあたりを指でくるくる回しながら去っていった。私はくるくるパーも世界共通なのかと興奮して、逆にふっかける技を幾度もインドで披露した。くるくるパーポーズをしてくれたのはそのお兄さんだけであったが。
Inリシケシ
街角のお店で水を買った。おじいちゃんにお金を渡すと、おじいちゃんは自分が座っていた絨毯をペラっとめくってそこからお釣りのお金をさっと出してきた。私のおばあちゃんも家中の絨毯のしたにお金を隠していて、ここなら泥棒に盗まれないよと言っていたのを思い出した。まさかインドの街角でおばあちゃんの面影を見るとは思わなかった。
In デリー
タクシー?リキシャ―?大通りを歩いているとこの呼びかけが必ず聞かれる。最初のうちは、怖い、しつこいと思うかもしれない。インドが嫌いになる人は人々のうざったさやうるささが原因なことが多い。でも彼らは、こっちが嫌だと思っていたとしても声をかけてくれるのだ。私は気にかけてくれる彼らを愛おしく感じる。話しかけられても無視、などと書いてあるガイドブックもあるし全てに答えていてはこちらの身がもたない。それでも私はおもしろそうなおじちゃんだとついつい話をしてしまう。
「タクシー?リクシャー?エアポート?」
「ジャパン」
「オウジャパン!スリーピーポー1600ドルオーケー?」
なんて冗談を言い合う。本当にリクシャーで日本まで行ったらどれくらいかかるんだろう。国を越え、海をわたり、日本に着くころには、なんて想像を楽しんでおじちゃんに別れを告げた。
 
私流インドへの誘い
インド人が好きだ。どんなに言葉で書いても彼らの良さは行ってみなければわからない。バラナシでは考えることさえ忘れていた。日本での悩み、人生、そんなことガンガーの前ではどうでもよかった。ただバラナシが好きだなあと日々思いながら暮らしていた。インド人の信仰心はガンガーを見ていると強く伝わってくる。八割を占めるヒンドゥー教の神様はたくさんいる。神様によって人気度も違うらしく、街中でもシヴァやガネーシャの雑貨を見かけることが多い。ゆるキャラみたいである。神や信仰心とは縁のなかった私だが、
初めてガンガーと対峙して自然とこころや身をガンガーに委ねていることに気づいた。
上流のリシケシでの激しさがバラナシでは人々と溶け合い、また流れていく。自然は神様みたいな存在だと思った。そう考えるのは自然なことだった。
街中で、気づくとインド人に囲まれていることが何度かあった。みんな好奇心旺盛なのだ。それでも女性から話しかけられることはほぼない。そんなときナマステと勇気をもってあいさつをすると照れながらもナマステと笑顔で返してくれる。その上強い。牛のうんこを踏んでも颯爽と歩く姿には叶わない。道に迷ったり、駅で不安そうにしている私に温かな視線を向けてくれる。話しかけてこなくても、英語が通じなくても、こういう対話もあるのだと思った。
 
祖国
ターバンを巻いた人の
サリーを着た人の
祖国インド
チベット人や ネパール人や 韓国 中国
に間違えられたけど
私の祖国は日本
いざ帰るんだ 何を躊躇している
 
引き寄せられ引き離さないインド
まずバラナシからリシケシに行く列車に乗れなかったとき、自分のバラナシへの思いがそうさせているのだと思った。次の日の列車では、バラナシで何度か食事をした日本人の筧さんに遭遇した。ラクナウという駅から乗ってきた彼と奇跡的に同じ車両で、私たちは再会を喜んだ。
格安航空券のために、デリーを出発する飛行機は夜中の二時五十分の予定だった。私たちは夕方くらいから空港でのんびり過ごしていたのだが夜の八時、電光掲示板を見ると出発が五時半と変更されている。飛行機って始発だよね?遅れるというかまだ出発してないじゃん、とぶうたれていた。でも不思議とまだデリーに居座れる嬉しさのが湧き出てカレーを食べながら出発を待った。
やっと日本に着いたのは夜の九時。へとへとになりながらバッグが出てくるのを待つ。待てども待てども私のバッグは出てこない。ロストバゲージである。本当に届かないことってあるんだ、と初めての経験に驚いた。インド土産と臭い服は一体どこに行ってしまったのか。
私はもうインドが引き離してくれないことに嬉しさを覚えた。こんな最後の最後までインドあるあるを体験させてくれてありがとう!!!
帰国してから五日がたった。私はこんなに何かを好きになったことがなかった。日本語に溢れた日本。綺麗で整った街。日本で過ごしているのに、ガンガーが心を流れ、自分の心が二つの国に分断してしまいそうだった。
 
私は日本人だ。家族も私の帰国を心配しながら待っていてくれたのだ。今、私は自分の祖国を見つめるときだと思った。だから私は富士山に行こうと思う。
 
地球の歩き方に書いてあるインドへの誘い
インド。それは人間の森。
木に触れないで森を抜けることができないように、
人に出会わずにインドを旅することはできない。
インドにはこういう喩えがある。
深い森を歩く人がいるとしよう。
その人が、木々のざわめきを、
小鳥の語らいを心楽しく聞き、
周りの自然に溶け込んだように自由に歩き回れば、
そこで幸福な1日を過ごすだろう。
だがその人が、
例えば毒蛇に出会うことばかりおそれ、
歩きながら不安と憎しみの気持ちを周りにふりまけば、
それが蛇を刺激して呼び寄せる結果になり、
まさにおそれていたように毒蛇に噛まれることになる。
インドは「神々と信仰の国」だという。
また、「喧騒と貧困の国」だともいう。
だが、そこが天国だとすれば、
僕達のいるここは地獄なのだろうか?
そこを地獄と呼ぶならば、ここが天国なのだろうか。
インドを旅するキミが見るのは、
天国だろうか地獄だろうか?
さあ、いま旅立ちの時。
インドは君に呼びかけている。
「さあ、いらっしゃい!私は実はあなたなのだ
 
元気かなみんな。インドで出会ったインド人の、日本人の、各国の、友達。小さいころの私は、親は私がインドに行くことを、友達に出会うことを誰が想像できただろう。旅ってなんていいのだろう。みんなまた三月に会おう。(日本時間正午、インド時間八時半)
 
あとがき
時差ボケはまるでないのですが、インドボケが激しい小林沙利恵です。夜は目が冴えて眠れず、寝ようとするとインドで聞いたあらゆる音たちが一斉に頭を打つのでなかなか寝られないのです。やっと眠りについても朝日がでるのと共に起きてしまうせいで、寝不足でなぜか下痢になりました。そんなこんなでインドの人間ボケと環境ボケで私はさみしくて死んでしまいそうです。そこで自分の心を整理するのとインドに誠意を込めて今回エッセイという形で書くことに決めました。非常に個人的な旅行紀でありますが、少しでもインドが気になりだしたり、私と旅に行ってくれる人が現れたりしないかな、という気持ちでいっぱいです。そんな人は一緒にチャイでもどうですか。
 
引用文献
地球の歩き方インド2017年
 
 
 

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