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「知らぬが仏」は本当か

こんにちは。

ここ最近忙しくて久しぶりの投稿になります。

今回の内容はショッキングな内容が含まれるので、読み進めるのは自己責任でお願いします。

とはいっても、読んでくれたら僕は嬉しく思います。



令和3年2月18日姉から一本の電話が入りました。

「兄が見つかったかもしれない。家の近くの森で免許証が見つかったと警察から連絡があったの。でもその近くに白骨死体があったみたい。」

僕はすべてを悟ったように「そっか」とだけ返事をしました。


令和元年5月1日に家族を連れて実家に帰省したときのことです。

帰省の半年前の11月に母親が急性大動脈解離で亡くなり、その少し前の7月に父親が重度の熱中症で倒れたので、父親は病院で入院中でした。

実家には兄が一人で住んでおり、近くでは姉が一人暮らしをしてます。

僕は他県で家族と暮らしていたため、僕以外の嫁と子どもは母親に線香をあげれていないので、線香をあげる目的で帰省しました。

帰省の前日まで兄弟で連絡をとりあってましたが、帰省した5月1日に実家についた時には家に誰もいませんでした。

姉はその日仕事で、帰りが夜になると連絡はついていたのですが、兄とは帰省当日に連絡がつかなくなっており、姉も「兄とは連絡をとれない」といい何か嫌な予感がしてました。

結局夜遅くまで連絡が取れず、姉が帰ってきて家族で夜ご飯を食べたのですが、どうしても心配になり姉と一緒に警察署にいき行方不明ということで捜索願いをしました。

なぜそこまで心配かというと、兄はニートであまり人とのかかわりを持ちたがらない、いわゆる引きこもりがちな生活を送っていたからです。

もちろんお金も十分持っているわけでもなく、行くあてがあるとは思えませんでした。

父親が入院、母親が亡くなってからは親の入院費や今後の生活について、傷病手当や生活保護のことなどを役場に相談にいってました。

僕は実家からは遠くに住んでいるため、姉と兄が動いてくれてました。


兄がいなくなってからはほぼ姉が一人で父親のことや家の清算などしてくれて、僕は引っ越しや荷物を運搬する手伝い程度でたまに実家に帰っていたくらいで、今も父親のことは姉に任せっぱなしです。

兄は以前から生活保護をもらえれば普通に生活するくらいならできるなどとよく言っていたので、どこかで生活保護をもらって暮らしていてほしいと願っていました。ですが、連絡が取れなくなったこと、実家に貴重品をほとんど置いていっていたので、到底どこかで生活をする準備をしたとは思えませんでした。

この辺りから僕の中で何かに気づいていたように思えます。


それからも姉とはたまに近況報告の連絡を取り合いながら月日は流れ、令和3年2月18日。姉からの電話によって安堵と悲しみが入り混じったような言いようのない感覚に襲われました。

姉からの電話によると、実家の近くの森で白骨死体のようなものがあると警察に連絡が入り、警察が調べたところ死体の近くに兄の免許証が落ちていたとのこと。その森は実家から2キロ程離れたところにあり、よく町の人達が散歩するような整備された森です。

警察の見立てだと死後1年~1年半程とのこと。1年半であれば僕が帰省した令和元年5月1日にかなり近くなる計算です。

現時点では本人の特定ができず、歯形がないため骨格での照合をしているのですが、照合が不可の場合はDNA鑑定が必要となります。

もしも、兄と特定できた場合は僕も姉も経済的に裕福ではないので、大々的に葬儀はできず家族葬が精一杯です。今後のことは結果が出てから姉と僕でできる範囲で兄を送れればと思います。

死因は自殺なのか他殺なのかまだ分かりませんが、僕と姉の中ではおおよその死因や動機は一致してます。


どんな形であれ、兄がようやく見つかったのであれば良かったし、仮にどこかで生きていてくれていればそれが一番良かったと思える。

前者であれば誰にも発見されず一生分からずいたかもしれないことが、1年半で分かったので見つけてくれた方にとても感謝しております。

日本のことわざで

「知らぬが仏」

とありますが、どんなに嫌なこと、辛いことでも事実であれば知っていた方がいいのではないか。僕はそう思います。


拙い文章ではございますが、最後までお読み頂きありがとうございます。


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