時間と表現

チケット代にもいろいろあって、やっている本人たちが納得した上で設定しているのならば問題ないと思っている。まぁ、その“納得”にも種類がある。もちろん、相場感と言った指標はあるにしろ、これは感情で判断する分野が多いのではないかと思っている。例えば「どうであれたくさんの人に見てもらいたいと思うから、今回は無料にしよう」や「自分たちの力/表現物なら、今はこの程度だろう」とか。僕の設定する際は、やはり後者であることが多い。

その考えの指針というか、信条と表しても差し障りないのが、「見に来てくれたお客様へチケット代以上を持って帰ってもらう」ことだ。言ってしまえば、“チケット代以上の表現を届ける”ということでもある。

仮に自分で1,000円のチケット代、公演時間二時間の演劇を行う場合、観に来てくれたお客さんには「1,500円のものを観た」と思ってもらわないと僕は納得しない。自分が払う立場だったら、1,000円だったら1,000円分のものを提示されても、別段文句とか言わないし、満足するのだけど、やはり自分がやるとなると話が変わってしまう。

あくまで理想、と前置きをした上で話を続けるけど、僕は“リアルイベント”という行為がとても尊いものだと思っている。その理由は、人生の限られた時間(だいたい80年ぐらいだったり)のなかで、僕の時間に付き合ってもらうからだ。もっと言えばその人の自宅から会場までの往復の時間も僕がもらうわけだから、ヘタすると一日の六分の一は僕の表現物に付きあわせることになる。そんな贅沢、生きててそう出来るもんじゃない。

だから、僕はその公演時間を楽しんでもらうのは当然のことで、さらに行きの道中に楽しみながら、帰り道には観たことを思い出しながら、移動してもらえるような表現を作ることを目指している。更に言えば、別の日とか友だちに「このまえ、こんなのみてさぁ~」と自分たちのやった行動が話のタネになればいいなと思うわけだ。

もちろん、当たり前についてまわる費用と収益のバランスを考慮した上で、チケット代は決定するわけだけど、僕が制作を続ける限りは、僕の理想を実現できるように制作を続けているし、続けていくつもりだ。

で。

僕が何が気に入らないかというと、収益面ばかりを考え、チケット代に対して、あまりにもクオリティが低いものを提示されるイベントがちょいちょいあるってことだ。そういう時に心から思うんだ。

「俺の人生の時間を返せ」って。

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