美醜の彼岸

別に気取っているわけじゃなく、俺は女性に美醜はないと思っている派閥に属している。(ちなみに、その派閥のなかでも“でも、厚化粧が好き”班に位置している)だけどやっぱり、どうしても綺麗だ、醜いだっていう話は出てくるもんで。とっても下世話。

今回の記事は友人が言っていた話に端を発していて、彼のコスプレが趣味な知人女性が「撮影中、知らない人からすれ違いざまに『ぶっさいくwww』って言われることが多い」とのこと。ちなみに、知人曰く彼女はもちろんかわいいという。だが、俺自身、その彼女に実際に会ったことあるし、コスプレ写真やそうじゃない写真も見たことがある。その上で言うけど、その娘はどっちでもない。この理由は、造形美ではない。

世の中には“ブサイクのボーダー”というのが存在している。どんな見目麗しい方でも必ずこれを持している。このボーダーを境に、“相対美人”というのが存在していてる。(その反対語は“絶対美人”だが、それは神話の中でのみ存在しており、形而下においては存在することが出来ない)世間一般で綺麗だね、可愛いねって言われる人たちはこのボーダーを超えている人たちであり、その人達もボーダーを下回ればたちまち「ぶさいくwww」と後ろ指を刺されてしまう。

さて、このボーダー、曲者なのが基準点を造形美のみに持たず、その人が持ち合わせている雰囲気・佇まいも判断材料となってしまう。極端な話、たとえ、造形美に気後れを持つような方(何度も言う、女性に美醜などない)でも、明るい雰囲気なら「ぶさいくwww」などと後ろ指を刺されないのである。なんだかんだ俺はこの「ボーダーを超える/超えない」を細かく感じている方だと自負していて、どんなに美しい人でも感じが悪かったり、態度が悪かったりすると、やはり“ぶさいくだな”と感じてしまう。反対もまた然り。

別に愛想よくしようってわけではないが、どんな人もこのボーダーに対して自分が存在しているって話。まあ、でも赤の他人に対して、「ぶさいくwww」だなんて言う奴は頭がおかしい。

(この真理においては、写真を撮っている被写体に対するある種の偶像化された思想があるのだが、それはまた別のお話)

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