アダアフィ始める前は「ホームレス」でした
こんにちはヒロキです。
こちらは僕の自己紹介記事となります。
僕の過去をザッくり説明すると、
僕はお金で人が変わる姿を何度も見てきた。
借金でクビが回らなくなり、
どこの金融会社からも借りれない奴の
最後に行き着く先が無利子無担保の危ない会社。
明日食べるモノも買えない人達が、
お金を貸してくれる人間の前にひざまずき
媚び諂い、床に落ちてる小銭を拾い集める。
お金を借りた立場の弱い人達が
返済期日を守らないと
捕●のような扱いを受ける。
暗闇の部屋から聞こえる苦痛な叫び声と鈍い音。
”ドンッ…ドンッ…”
”バキッ…ゴキッ…”
”ぎゃぁぁぁぁ…”
知ってますか?
人は痛みが極限状態までいくと
”う”じゃなくて”ヴ”と低くなり、
気絶直前でソプラノぐらい甲高い声になることを。
そんな仕打ちをうけた人間は、
全身青あざ、片目潰され焦点があわない、頭は歪み変形。
手足は折られ膝がパックリ割れ、
血まじりの骨が飛び出る。
まるで戦後の拷●のようだった。
階段を1段ずつ登り、
廊下に響き渡る足音がピタッと止まる。
暗闇のせいで何してるかわからない。
沈黙は最大の恐怖。
自分がターゲットにならないように
『親切な人』の仮面を被り、笑顔で
周りの人を陥れ生き延びようとする
醜い人間達。
裏切り、暴力は当たり前。
僕は友人から裏切られたのを
きっかけに危ない人達と関わってきた。
一生日の下を歩けないと腹を括ったこともあった。
…
…
…
最初にお伝えすると、
この記事”グロい”です。
金・人間・弱点・暴力・感情・権力
僕が体験した人間の黒い部分を詰め込みました。
(書ける範囲でお話します)
あらかじめ伝えしておきますが、
※クレームは一切受け付けません。
(感想はお待ちしてます)
続きが気になる方だけどうぞ。
・現在のヒロキ
現在の僕はSNSを軸とした
働き方をしてる1年目フリーランスです。
主な収入源は、
✅アダアフィ収益
✅別ジャンルのアフィ収益
✅企業のライター案件
✅自社商品
と4つの柱で収入を得ています。
アダルトアフィリエイトは100万円(DMMのみ)稼ぎ、他のアフィリエイト収益をあわせると150万円達成しました。
※アダアフィのDMM以外のASP、他ジャンルのアフィを足すと”300万弱”
やった分だけ報酬が入ってくるアフィと自社商品で売上を伸ばし、毎月のライター案件で生活費を安定させ、会社に縛られない自由な働き方を実現できました。
今は趣味の筋トレ、キックボクシングに明け暮れ、旅行もして身体の疲れを癒して仕事に打ち込む。
会社員時代では考えられない
ずっとやりたかった生活が
送れてるのが本当幸せ。
最近だとLINEマーケで100万円稼ぐ方と1500万円稼ぐマーケターの方3人でふらっと屋久島に出かけてワーケーションを楽しんできました。
川に着いた途端大雨が降ってしまい、
流れが荒くなり泳げなかったのが残念...。
1500万稼ぐマーケターの方がビジネスに詳しくてXでは聞けないような裏話もしてくれて有意義な時間を過ごしました。
そのおかげで収益上がり、
一石三鳥ぐらい得した気分(笑)
屋久島のゲストハウスに泊ってた時、同じ宿舎にいたギャル×2とカナダ人と仲良くなり、次の日屋久島を観光。
恥ずかしい話、
僕の英語スキルは小学生以下で簡単な単語もわからない。
それでも外国の方を目の前にして、
”話してみたい”と好奇心が勝ち意を決して英語に挑戦。
rarely? offcourse
↑2つの単語を駆使して後はノリで何とかしました(笑)
まあ…Google翻訳使いましたけど。
ちなみにこのカナダ人は楽天の公式サイトを
作ってるエンジニアの方でした…。
世界が違いすぎる。
近々北海道の海鮮系が食べたいので
気分転換に行こうかな。って、
北海道に行くことを先ほどの
1500万稼ぐマーケターの方に伝えたら、
”オレも行きたい!”と一言。
決断力の速さが異常。
会社員をしてた時は絶対できなかった
”平日旅行”をその場で即決。
しかも1人じゃなく気のあう仲間、
格上の人と一緒に旅行なんて
夢にも思ってなかった。
この北海道旅行で僕はビジネスマン
としても人間としても成長できると
思うと楽しみで仕方がない。
ビジネスを通して仲良くなった方と
旅行ついでにふらっと遊びに行ったり。
お金持ちだけど”孤独に生きる経営者”が大勢いる中、
僕は稼ぐ力だけじゃなく、
最高の仲間と出会い、忖度ない人間関係を築けました。
仲間だけじゃありません、
コンテンツ販売やコンサルを始めてから僕の教材読んだ方が実際に稼げるようになり感謝されることも増えた。
それも1万2万とかじゃなく10万単位で稼げる人が続出して「ヒロキさんのおかげで人生変わりました!」と泣きながら言ってくる方も。
コンサル生にも何度もお礼言われました。
こっちが照れるぐらい(笑)
人の人生をいい方向に変えることはこんなにも嬉しく、心がグッと熱くなるとは知らなかった。
僕も人から感謝されて
幸せな気持ちになれた。
昔の僕は仲間と楽しく旅行いったり、
人から感謝されたことすらなかった。
そんな僕が人から感謝されるなんて…
人間としても大きく変われた。
そう断言できます。
ただ、こんな幸せな生活が
送れるようになったのは、
つい半年前のこと。
それまでの僕は、
10個以上の副業に手を出し失敗を繰り返してきた。
他にもここでは言えないような仕事もしたことあります。
色んな副業に手を出し失敗して逃げる。
を繰り返してたある日、
”このまま同じことをやってもダメだと思い”
意を決して自分の会社を設立。
ところが立ち上げから2カ月後大事件が起こり、
借金1000万円背負い
逃げるようにホームレスに成り下がった。
この記事の内容を読んで、
”こいつ凄い奴かも”と思ったかもしれません。
それは大きいな間違いで、
アダアフィを始める前は路上生活してました。
今のあなたより過酷な人生を経験した自信があります。
雨風はしのげない公園生活。
周りからの冷ややかな視線。
夜は酔っ払いやヤンキーに絡まれ休む暇もない。
一言では説明できない
非現実的な生活でしたね。
ホームレス生活は僕が23歳の話。
僕の人生の中で1番過酷で
1番惨めな思いをした暗黒時代。
色々突っ込みたいところもあると思いますが、
次の見出しで詳しく話します。
・23歳で起業に失敗
この話は僕が初めて出したコンテンツ。
訴求術でも触れておりますが、
この記事では解説しきれなかった
部分を詳しく説明していきます。
僕が23歳の頃、
レぺゼンのDJ社長さんが出した動画、
好きなことで生きていく
に感化され勢いで会社を退職してイベント業を設立。
失敗続きだった僕はこの動画を見てやる気を出し、
俺も成功してやるー!!
絶対金持ちになってやるぞ!
と意気込んでいたが、経験も知識もない
23歳のガキが1人で行動しても上手くいくわけがない。
"このままだとまた失敗するかも…"
当時のイヤな記憶が蘇り、1人で行動するのをやめ、ツテを使いイベント関係者に声をかけまくった。
そのおかげで仲間に入ることができ一緒に仕事することに。
初めて開催したイベントでは150万ほど売上ました。
自分だけの力ではなかったですが、会社に頼らず初めて稼げたお金。
本当に嬉しすぎた。大声で喜んだ。
誰もいない河川敷で、
”俺のことバカにした奴ら絶対見返してやる”
と強く誓いましたね。
今まで失敗続きで大きな成果
上げられなかったけど、
やっとここまで来たんだ。
もう自分の力で生きていける。
そう思ってた矢先に、
借金1000万円を背負う大事件が起きます。
・2人の(元)友人にハメられた
僕がイベントで成功したことを
聞きつけた友人が一緒に仕事したい。
と近づいてきた。
名前はYくん。
今ならこんな金魚のフン信用しませんが、当時の僕はかなり能天気で”俺にもついに従業員ができたのか”と何も疑ってなかった。
しかも、このYくんおだてるのが上手で、
”よっ!!若社長”
と毎日のように言ってくれるのが
心地よく僕も調子に乗ってましたね。
若社長…悪くないな(笑)
2回目のイベントに向けて準備をしてる最中、1回目の事件が起きた。
皆んなも良く知ってる
『コロナウィルス』
コロナの影響で数々のイベントが中止になり、店舗ビジネスをしてた方達は大打撃うけ自粛期間中に従業員に給料払えず赤字が続き、お店は次々に潰れていった。
僕の親友はバーを開き独立してましたが、コロナの影響で店を開けられず閉店へ追い込まれた。
起業して2年目、
”これから店舗拡大だー!”
と意気込んでた矢先にコロナで人生狂わされた。
当時のことは鮮明に覚えていて、
親友は泣きながら僕に電話し、
”ごめん…オレの店終わったかも”
と一言。
学生時代は毎日一緒に遊び、
楽しいことや悪いこと何でも2人でやってきた。
前向きでノリがよく、時には2人して痛い目にあったけど、それでも懲りずにバカなことし続け笑いあった。
そんな親友の泣き声なんて初めて聞いた。
コロナの影響をモロに受けた
友人の人生は悪いほうへ転がった。
親友だけじゃない、
僕もコロナでムリヤリ人生を変えられた1人。
イベント業はクラスターが
起きるから開催なんて許されなかった。
隠れてイベント開いてた会社あったが、その会場でクラスター感染が起きてペナルティー(罰金)を受けてましたね。
イベントは開けない
お金は稼げない
友人に給料が払えない
もうどうすることもできなかった。
なにか行動してないと落ち着かなく、
ひたすら企業に電話をかけ仕事の依頼。
当時の僕が出来ることはイベントだけ。
企業さんに電話で話した内容は、
”売り上げが低迷してるのはお客さんとコミュニケーションが足りないのでイベント開きましょう”
と熱弁したのですが、
全て却下。
数えてませんが、
おそらく150~200件は電話したかな。
今考えれば断られて当然。
コロナで何もできないから
売上下がってるのは誰が見てもわかる。
分かりきったことを23歳に
言われたら腹立つに決まってる。
しかも、この時期の会社は相当ピリピリしてたはず。
追い返された僕に打つ手なし。
自分の力のなさに怒り、悲しみ、荒れ狂った。
どうすることもできない状況が1カ月続いたある日、
2回目の事件勃発。
『Yくんが会社のお金持ち逃げ』
借りてたオフィスに着き、もろもろの支払いを済ませようと金庫を開けたらそこにあるはずの500万円がキレイさっぱりなくなっていた。
….
….
なんで?
一瞬頭が真っ白になったが、
すぐ状況理解して犯人が浮かんできた。
金庫の場所知ってるの俺ともう1人なんだよな…。
疑いたくなかった。
いきなり詰めるのもよくないし、
なにか事情があるのかもしれない。
と思い数日黙ることにした。
だが、その日以来Yくんから連絡こない。
いくら電話かけても繋がらない
家に押しかけても引っ越し済み
SNS、LINE、電話すべてブロック
さすがに察しましたね。
信用してた友人に裏切られ、
コロナで収入は止まり
焦ってる時にお金持ち逃げ。
お金がない焦りはだんだん怒りへと変わる。
この550万の出どころは、
✅貯金200万
✅売上150万
✅ア〇ム250万
ア〇ムで250万円借りれたのは、
会社員時代から、少額で借りて返す。
を繰り返し信用を作っていた。
僕の前職が”セールス配送”という営業もしてトラックで商品を届ける仕事、やった分だけ給料が上がる仕組みだった。
僕の年収は470万円。
年収の高さと期日前に返してたおかげで信用えて、会社を辞める時にドカッと150万借りました。
当時の僕は、
お金を借りる = ア◯ム
知識がないって怖い。
しかも、1回目のイベントで売り上げた税金も払わなくてはいけない。
会場費も先輩に建て替えてもらってる。
交通費だって、グッズ費用も払い終わってない。
あ、積んだ。
収入も貯金もすべて失い、目の前が真っ暗。
僕は助けてくれた先輩やその周りの人にさえ、お金を返せないでいた。
同情されても裏切ったことに変わりはない。
僕は頭を下げるしかなかった。
お世話になった人達、
関係者、繋げてくれた先輩。
何度もなんども謝り、
地面に頭を擦りつけた…。
そして、追い打ちをかけるように
ア〇ムから催促の電話。
”いつまでに支払いできますか?”
”せめて金利だけどでも返してください”
1日3回以上電話が鳴り、着信を聴くだけでビクっと身体が震え怯える。
容赦ない取り立てに僕の精神状態はピークに足していた。
これで終わればよかったのですが、不運はまだ続き、精神が不安定で正常な判断ができない時に"投資話"がやってきた。
『Dくんに紹介されたのがソ〇ト闇金だった』
僕は学生時代は野球をしており、
1つ上に仲がいいDくんという方がいた。
その人は先輩だが友人のような関係
で練習帰りに2人でコンビニに
行き、くだらない会話をしてましたね。
女バレのズボンそそる。
英語の先生エロ過ぎて勉強できねー。
勃〇してせいで授業終わりに立ち上がれなかった。
とか、そんな男子学生みたいな話(笑)
そんな、Dくんは悪い人と結託して僕に”この〇〇に投資すると10倍で返ってくるよ”と持ち掛けてきたんですよね。
今なら10000%疑いますが、
当時の僕はとにかくお金が必要。
借金も返さなきゃいけない。
投資したお金が10倍で返ってきたら今の状況すべて打破できる。
今の辛い現状と誘惑に
心動き100%嘘の話を
1%の希望にかけて乗ってしまった。
僕の現状を知ってるDくんから
審査なし無担保でお金を貸してくれる
金融会社を紹介してもらった。
銀行に振り込まれた瞬間、
窓口にいったら従業員ブチギレ。
100万円単位でお金をおろす時は
数日前に電話しないといけないらしい…。
知らなかった(笑)
銀行員さんに怒られながら
1時間戦った末、何とか100万円下ろせた。
その足ですぐさまDくんのところに行き、
”これを10倍にして下さい”
と頼み込みその日は帰宅。
もうわかると思いますが、
その日以来連絡返ってきません。
第三者から見たら逃げられるのは目に見えてる。
今の僕なら迷わず止めますが、
切羽詰まった時に”楽にすぐに稼げるよ”。
言われると乗ってしまう...。
僕が詐欺に引っかかるわけないと思ってましたが、お金の不安って思考停止して甘い汁を吸いたくなるんだよな…。
マジでDJ社長とやってること一緒(笑)
不運はまだまだ続き、
Dくんが紹介してくれたのが、
”ソ〇ト闇金”
闇金とは少し違います。
審査もほぼなし、戸籍無しでも貸してくれる。
※マジで借りないほうがいい。
金利は高額で1カ月で28%。ほぼ十一。
それと取り立てま~じでキツイ。
ソ〇ト闇金でも数多く存在するので、
あくまで僕の事例ですが、
1日10回以上電話来て、返済前でも家に来る、
振り込んだのに”返されてねーよ”とブチギレ。
朝昼晩と家にやってきては、
無理難題を言われ続け、
じわじわと追い込まれ、もう限界だった。
ある日、僕は事務所に呼ばれた。
事務所に着くと、僕と同じよな人間達が正座をさせられている。
怖い人達が目の前。
正座をしてる人達はこの世の終わり
みたな顔をして大量の汗をかき黙って下を向いてる。
奥の部屋から無残な叫び声が聞こえてきた。
ぎゃぁぁぁぁぁ…
悲痛な声で叫ぶ男性と怒り狂った男性の怒鳴り声。
中で何をされるか、大体想像はつく。
ごめんさなさい、もうしません。
助けてください、許してください。
1時間以上も痛みに耐え抜く男性の叫び声を聞かされた。
手足は震え痙攣、唇は真っ青、顔面蒼白。
僕達の精神状態はズタボロだった。
1時間も叫び続けた男性の声が徐々に小さくなり
最終的に何も聞こえなくなった。
中からは物音一つしない。
沈黙が恐怖心を煽る。
さらに1時間沈黙が続き、
僕らはこの場が早く終わることを
願うことしかできなかった。
…グチャ。
1時間の沈黙の末、聞こえてきたのは叫び声でも怒鳴り声でもない。
人間が壊れる音。
僕は一瞬で悟った。
あ…終わったなぁ。
奥の部屋に通され、そこで音の正体を知った。
床一面に広がる血。
部屋全体に漂う異臭。
白…?赤…?の謎の個体。
…の〇み〇?
グロすぎて目を開けられない。
この世のモノとは思えない無残な
光景にその場で気絶、失禁する者。
部屋の臭いと惨さにゲ〇吐く者。
異臭、ゲ〇、アンモニア臭が入り混じり鼻を刺すような
激臭に正気を取り戻し何が起きてるのか理解できた。
何かあったら次は俺か…。
名前も知らない人は見せしめに使われた。
言うこと聞かなかったらお前もこうなるからな。
と言わんばかりに僕らを睨み数人で威圧してくる。
まさに脅●のプロ。
いざれ、こうなるのかもしれないと思うと全身の震えが止まらない。
精神的に追い込み何でも言うことを聞かせられる状態にさせたら、
僕名義で複数SIMを契約され
”飛ばしの携帯”まで作らされた。
ちなみに、えん〇リや受〇こ、
叩きなどの特殊〇罪の人達も
飛ばしの携帯を使ってます。
警察が調べたらどこの誰がどのスマホを使ってるかすぐ特定できて現在地もすぐわかります。
自分のスマホは使えないですが、
常にやり取りしないといけない。
危ないことしてお金を稼いでる人からすると、
借金まみれのクズでも、
僕名義のSIMは何としても欲しい。
そういうSIMは高額で売買されるので売り手は何としても借金地獄に落としてムリヤリ作らせるというわけですね。
その上スマホ料金は僕が支払う。
高金利過ぎて支払いが追いつかない。
返済を待つ変わりにまたSIMを作らされる。
借金が膨らむ無限ループ。
ソ〇ト闇金にお金を借りたら
勝手にLTV最大化されるので
何があってもやめたほうがいい。
(あくまで僕が借りたところの話)
当時は訳もわからずSIMを作りましたが、
ここからが地獄の始まり。
悪い人に自分名義のSIMが渡れば
もう普通の生活に戻れません。
僕のSIMを使ってる詐〇グループが
やらかして足がつけば僕が警察から事情聴取。
事件が起きると署に連行。
留置所に入ることも。
警察に言えば僕は一生日の下を
歩けないので沈黙を貫くしかなかった。
警察の取り調べは被害者の方の話を聞かされた。
・あそこの家はおばあちゃんが1人でな..
・息子さん悲しんでたぞ
僕もつい本当のこと言いそうに…。
俺だって被害者だぞ。
でも、話せば僕の人生終了。
頼れる人は誰もいなかった。
もうどうでもよかった。
死んでもいいと本気で思った。
俺なんて生まれてこなきゃよかった。
今までの人生が走馬灯のように
映りだし、涙で視界がぼやける。
覇気もなく勢力を感じない屍のような姿。
周りの警察に何度も自〇を止められた。
死ねたらどれだけ楽だろうか。
あの日から夜の数だけ考えた。
でもそんな勇気ない。
辛いのに死ねない。
だれか俺を殺してくれ。
留置所の中は日もあたらない4畳半の薄暗い部屋、窓のサイズは手の平2つ分しかなく時間さえわからない。
ただ時間が過ぎるのを待つばかり。
永遠ともいえる暇な時間は精神的にキツい。
もう逃げたい。
でもどこへ…?
逃げてもひたすら追いかけてくる人達。
助けてくれない警察。
返済の取り立てをしてくるア〇ム。
迷惑かけた先輩たち。
全てが嫌になり、このストレスから解放されたい。
そうだ…
僕のこと誰も知らないところへ行こう。
これが僕がホームレスになるきっかけ。
僕は起業に失敗し、友人から裏切られ、一攫千金を目指し投資に手を出したら詐欺に引っかかり借りた先が悪徳業者。
毎日お金で悩まされ、
借金取り警察に追われ、
夢にまで出てきて、
心が休まる時間がない。
当時は逃げる以外の選択肢が思いつかなかった。
立ち向かえよ。
なんて言われそうですが、
どこに隠れてひっそりと暮らしたい。
それしか考えられなかった。
ただここで逃げたのは今でも
後悔しててホームレスの時のほうが
辛くて人間やめたくなりましたね。
逃げても現実が変わるわけじゃない。
現実と向き合い今までとは
違う行動を取り、少しずつ
人生変えていけばよかった。
その場の痛みから逃げても一寸先は闇。
むしろ現状は悪化。
ホームレスは想像以上でした…。
・ぼろ雑巾になったホームレス生活
行く当てもお金もないけど、
この場所にだけは居たくない。
僕は留置所を出た後、
地元のデカい公園を
住みかにすることにした。
数年ぶりに地元に戻り懐かしい風景に最初は心地いい気持ちになったが、情けない今の姿を友達に見つかったらどうしようという不安が押し寄せ、すぐにホームレスが溜まってる場所に向かった。
小さい頃からその公園で遊んでいてホームレスの人達が段ボールを敷いて寝てることは知っていたのでコンビニでもらい、自分の寝どころを確保した。
僕が公園に着くと、
他のホームレスが
全員こちらを見てくる。
まあ、若い者がホームレスなんて珍しいからね。
年齢的には社会人1年目で、
これから頑張るぞー!!
って時にホームレスやってんだから。
興味本位で近づいてきた
年配ホームレス達に囲まれ質問責めらの嵐。
皆んなが同時に話すので
何言ってるかわからないし、
一つも覚えてない(笑)
僕はホームレスになった経緯を
ざっくり説明して立ち去ろうしたら、
おじさん達のお説教タイム。
”まだ若いんだからホームレスなんてやめなさい”
”こんなところにいないで早く実家帰りなさい”
余計なおせっかいを焼いてきたわけで
意味は分かるがそれ通りできないんだよね。
これ以上周りに迷惑かけたくない。
僕は学生時代、両親とは片手で
数えるぐらいしか会っていない。
父は仕事で僕が寝た頃に帰ってきて朝早く会社へ。
母は体調が悪く入退院を繰り返す。
幼少期は寂しいこともあったが、
そのおかげである程度自由にさせて
もらったので1つも文句はない。
ただね、頼りたくなかった。
両親は自分たちのことで精一杯だし、
これ以上問題を増やしたくない。
ましてや、どうすることもできない状態で今さら…。
そんな事情も知らないでおじさん達は
ピーチクパーチク言ってきてイライラしたが、
この人達も悪気があったわけじゃないしな…。
怒りをグッと抑え込み、
おせっかいじいさん達から
逃げるように自分の寝どころに戻った。
雲一つない青い空を
見上げながら起業して
今日までの半年間を振り返る。
”俺はこれからどうなるんだろう”
”あの人たちは追ってこないよな”
こんな時に考えごとをしても
ネガティブな方へいくだけなのに
あの絶望達が頭から離れない。
僕の不安が的中するように
試練が待ち受けていた。
雨。
ホームレスの一番の天敵。
天気がいい日は気持ちよく春は夜風が心地よくて深い眠りにつけるのでホームレスも悪くないと感じたこともありましたが、雨が降ると防ぐ手段がない。
雨が降ると近辺にいる
ホームレスは屋根つきのベンチへ向かう。
もちろん全員が
屋根つきベンチに
入れるわけじゃない。
屋根は狭いしホームレスの数は多い。
そうなると誰かが追い出されるわけで
餌食になったのが新入りの僕。
昼間にじいさん達の忠告無視して
不愛想な返事をしてそそくさ寝てしまう。
長年、そこの公園に住んでる
ホームレスからしたら面白くないだろうし、
新入りのガキにシカとされた
となれば腹も立つ。
目の敵にしていたガキが
弱って避難してきたんだから、
そりゃ、標的にされるよね(笑)
罵声を浴びせられ、
殴られ、蹴られ追い出された。
全身青あざで身体はボロボロ。
夜の冷たい雨が痛む身体を追い込む。
僕はじいさん達に背を向け、唇を強く噛み
悔しい気持ちをグッと抑え、雨の中寝どこに帰った。
下に敷いていた
段ボールで身を覆い、
雨に濡れないようにするが、
30分もすれば段ボールは
ぐちゃぐちゃで使い物にならない。
ホテルも泊まれない。
行く当てもない。
雨を防ぐ手段がない。
時間がたつにつれ、
横なぐりの雨に変わり
僕の体力は限界を超えていた。
その日はぐちゃぐちゃの
段ボールに身を覆いながら
気絶するように就寝…。
次の日、昨日の雨がウソのような晴天。
気温は20度ぐらいで心地いい。
本当なら気持ちがいい1日を過ごせたはずなのに、昨日の雨でずぶ濡れ、太陽を浴びたせいでめちゃくちゃ臭い。
風呂も入ってないので汗と体臭が混ざり、
ホームレス臭が漂う。
自分でもわかるぐらい臭かったので相当だと思う。
昨日の雨で服もぐちゃぐちゃ。
黒の洋服が太陽焼けのせいで
ゴキ〇リみたいな色で汚らしい。
たった1日で見た目も心もホームレス化。
そして更なる問題勃発。
昼の11時ぐらいになると、
僕が住みかにしてる公園は
園児達の遊び場へと早変わり。
長年ホームレスをやってる人はこの時間は園児達が来るのを知ってて公園から離れどこか別のところで時間を潰すみたい。
じいさんホームレスから
仲間外れにされた僕は公園にいた。
僕は園児達にすぐ見つかり、
目をキラキラさせ興味津々で近寄ってきた。
数人の園児達に囲まれここでも質問責め。
”おじさんお風呂入ってる?臭いよ”
”なんでおじさんはこんな時間に公園にいるの?”
”僕のパパは仕事してるけどおじさんは何してるの?”
好奇心旺盛の子供達の無邪気な
質問が僕のメンタルをえぐってくる。
園児達が僕みたいなホームレスと話してたら
保育士さんが心配するように近づいてきて平謝り。
僕は軽く会釈をしてその場から
立ち去ろうとしたら後ろから
”知らないおじさんに話しかけちゃダメでしょ”
って、保育士さんがそう園児達に伝える。
聞こえないように小声で話してたが、
鋭い言葉のせいで心まで届いた。
そうか…今の俺は危ないおじさんか。
園児達も遊ぶ人もいなくなった深夜の公園。
次に待ち構えていたのが”不良のガキ達”
改造したバイクに乗り、
バッフルを抜き甲高い音を
奏でながら公園内を徘徊。
おそらくマフラーは”ヨシムラ”だったと思う。
周りのことなんかおかまいなしに
暴れまわるチンピラ達に見つかれば
おもちゃにされるのは確定。
暇つぶしとしてイジメられるので、他のじいさんホームレス達は草むらに隠れて帰るのをジッと待つ。
住みかにしてた公園がチンピラ達の溜まり場とは知らず、寝どころに帰った来た時に鉢合わせ。
見つかった僕は標的にされ地獄始まり…。
伝えられる範囲だと、
・腕に根〇焼き
・寝どころを荒らされる
・顔面につば吐かされる
ここで書けないようなこともされましたね。
借金取りに追われてた時は精神的ダメージだけでしたが、今度は物理攻撃。
肉体の疲労は心を蝕み
徐々に追い詰めてくる。
しかも、いじめしてくるグループの中のお調子者がふざけて◯◯したら、後ろの男女がケタケタ笑ってるからマジで腹立つ。
俗に言う”●体蹴り”
やり返せない状態の人を集団イジメ。
下から見上げるそいつらの
顔は笑顔で王者にでも
なったかのような立ち姿。
この時が僕の人生で一番悔しかった。
学生時代は友達皆んなと遊び、
後輩、先輩とも仲良くて
僕の人生はイジメとは無縁だった。
それがホームレスになった途端、
今まで見たことない人間の非道な言動に絶句…。
僕は身体を縮め、うずくまりその場が終わることを祈るしかない。
ワンピースに出てく天竜人のようだ。
1番ヤバかったのが寝てる最中に
ロケット花火を打ち込まれ
服は焼き焦げて肌は露出。
周りの草木に火が移った時は
本気で終わったと思いましたね。
やってることヤ〇ザよりヤバい(笑)
着てる服を脱ぎ必死に消火活動。
火が消えた頃にはボロボロに焦げになり
服としての機能性を失っていた。
こんな格好ではその場から離れることもできない。
公園から出れず次の日また園児達に見つかる。
2回目の無限ループ。
僕はホームレス生活を始めて
たった3日で路上の
過酷さを思い知らされた。
子供や大人の心のない発言、
視線が厳しく、憐みの目で見てくる。
チンピラ達の過激なイジメ。
じいさんホームレス達の迫害。
朝昼晩休む暇がなく攻撃してくる
人たちに心身ともに衰退していった。
ただ、そんなホームレス生活でも
食べるものには困らなかったです。
僕が学生時代、深夜のコンビニで
働く70代のおじいさんがいて、
夜遅くにコンビニ前で
遊んでる僕達にいつも怒鳴り、
言い合いのケンカしてた。
そんな、おじいさんと
顔を突きあわせるたびに仲良くなり、
今ではお互い名前を覚えるほどの仲。
腐れ縁ってやつですね。
ホームレスを始めておじいさんが働いてるコンビニに行く機会が増え、みすぼらしい姿になった僕を見て廃棄なった肉まんとたばこ1箱をいつも差し入れしてくれた。
コンビニの駐車場に座り込み、
熱々の肉まんで手を温め頬る。
飲み込まず口から肉まんが
溶けるまで嚙みしめた。
地獄にも仏とはまさにこのこと。
コンビニの廃棄商品は勝手に食べたり、持ち帰ってはいけないのを知っていたのでおじさんが自分で買い、僕に分け与えたと考えると衰退してた心も少し温まる。
このホームレス生活は僕の人生で
一番辛く忘れたくても脳裏から
離されない苦い記憶として今も残ってる。
お金がない苦しみ。
と一言でまとめるのは簡単だが、
ここまで過酷な人生を
送ったきた方はいるのだろうか。
ましてや、情報発信者でこんな人いない。
情報発信者の中でコンテンツ売って、
”小銭チャリーン”とか言ってる人いるけど、
マジであいつらと変わらん。
お金出して購入してくれた人の気持ちを何だと思ってる。
こんな経験をしたからこそ、
僕の教材購入者には絶対不義理な
行動とらないし何がなんでもサポートする。
だからこそ成果報告をもらえると
めちゃくちゃ嬉しくなり、
僕もテンションあがってしまう。
話してたら熱量が上がり話がそれましたが、
ここから先はホームレスを
脱却した”下剋上ストーリー”に
移っていきたいと思います。
・頼れる人は身近だった
お金がないホームレス生活でしたが、時間だけは腐るほどあり、これを期に自分を見つめることが増えていきました。
・起業の失敗
・友人の裏切り
・過酷な生活
何より、
ホームレスとして生きるのが嫌だった。
説明するまでもありませんね。
最初はプライドが邪魔をして両親・友達に頼れなかったが、ここまで地に落ちればプライドなんてバキバキに折られ、
”なんでもするから助けてほしい”
とさえ思い始めた。
怯え逃げ隠れる生活にこりごり。
正直、ホームレス始めて
1週間ぐらいで帰りたいと考えましたが、
この時はプライドが邪魔してたんですよね…。
そんな生活に限界を感じ、
恥を忍んで実家に帰った。
両親には今までのこと、
現状の借金、
ホームレスすべて話した。
そんな話聞かされて正気でいられるわけがない。
めちゃくちゃ怒られるかと思ったが、全くだった。
むしろ、
今まで頼りづらい親でごめんね、なんとかする。
とまで言ってくれた。
自分が不甲斐なくて、
下を向きながら
必死に泣くの我慢した。
そこから先、両親と何を話したか覚えてない。
そして、本当に信頼してる
友達に縁を切られる覚悟で話した。
友達は何も疑うことなく承諾。
2日後に300万円という大金を僕に貸してくれた。
友人は”気が向いたら返して”の一言。
僕は唖然としてしまい、数秒は固まっていた。
僕はずっと1人だと思ってた。
けど、意外とそうじゃなかった。
こんなこと言ってはいけないが、
”僕のためにお金を貸してくれる友人がいるのがすごく嬉しかった”
喉まで”ありがとう”が出かかっていた。
でも伝えることができない。
声も出ないぐらい嬉しく泣いてたから…。
こうして両親や友人の力を借りお金をかき集め
借金返済してこれ以上膨らむのを阻止できた。
そして友人のツテで
僕のSIMも取り返せた。
もう電話が来ることない。
あの悪夢もようやく終わった。
両親や友達に返済しなければいけないが、
普通の生活に戻れるのが嬉しかった。
一度は人間不信になったが、
陥れるのも救うのも”人”だと
いうことに気づいた。
人を疑ってた時は同じような
人間が近づいてきて騙された。
プライドを捨て信頼できる人に
お願いしたら快く引き受けてくれた。
両親や友人がかっこよく
見えて、僕もお金を返して
信頼される人間になりたい。
僕と同じように
お金で困ってる人を
救うような仕事がしたい。
だから今の僕はコンテンツを売ったり、
コンサルの仕事してるのかもしれない。
不義理を働いてコンサル費
払った後、なんのサポートも
しないで教材だけ渡す人が多い。
僕は過去の経験から非道な
ことしたくないんですよね。
コンサル生やチャットサポート
の人達はかなり贔屓してるから成果出てる…。
教えてるコンサル生や教材購入者の
実績報告が一番嬉しくやめられない。
・3年半で1000万返済
実家に帰り本格的に仕事を始めた。
1分1秒でも早くお金を返したく
普通の人がしないような
高時給バイトを何個も掛け持ち。
どれもかなり高額でMAX80万ぐらい稼ぎましたね。
まあ…精神的に弱い方は
深夜の路線清掃以外は
おすすめしません(笑)
※仕事内容は割愛します。
こんな生活にもようやく慣れた頃、
少しだけだが、余裕が生まれてきた。
週1回は友人と遊びに出かけ、夜には飲み歩けるようになった。
この時はまだ借金残っていたが、ホームレスの時に比べて友人と飲んで騒いでベロベロになる。
楽しい時間が過ごせて次第に
ホームレスの時のストレス0に近くなった。
休日にボケーっと旧Twitterを見てたら
ネットビジネスの関する情報が流れてきた。
仮想通貨ブログで月100万
ここで初めてネットビジネスを知った。
怪しみながらも稼いでる金額のデカさに興味津々。
そこには仮想通貨ブログの始め方が書いてあり、
見るうちに”俺にもできそう”と思ってきた。
まんまとマーケティング戦略にハマる(笑)
少額でお金を稼げるブログに惹かれ、
その日にブログを書き始めた。
過去の経験からもう騙されたくなかったので
最初は独学でスタート。
下調べによると”100記事書けば稼げる”
と記事に乗っていたのでまずはそこを目標に動き始めた。
1日3記事以上書きまくり、
1か月で100記事達成。
しかし1年続けて年収10万円
トータル500記事書いても月1万円届かない。
なんだよ、結局ダメじゃん。
稼げた人は昔からSEOブログをやっていて、
トレンドの仮想通ブログに切り替えたみたい。
そんなの詐欺じゃん。
本当に絶望しました。
ただ、今思えば稼げない理由がすべてわかる。
「努力は必ず報われる」
この一点を信じ、やみくもに行動するだけ。
ビジネスに対する知識が一切なかった。
今ならわかりますが、
ビジネス・お金儲けの知識がない状態で
イベント会社を経てたことがどれだけ無謀だったか。
周りの助けがなかったら絶対に成功しなかった。
若さって怖い…とつくづく思う(笑)
ただ、今のビジネススキルが整った僕が
過去に戻ってイベント会社の社長になったら
絶対に同じような結果にならない。
逆にコロナで儲かった会社はいくらでもある。
コロナで儲かった会社をリサーチして
徹底的にTTPすれば大きく稼げなくても
少なくても利益は出て僕の会社は存続していた。
騙されずにすんだかもしれない。
ビジネス知識があるないでは大きく差が出る。
僕はビジネスの本質を学んでからアダアフィ以外のジャンルでも成果出したし、自社商品を持っても成果出した。
お金儲けの本質・原理原則はどのジャンルでも変わらないですからね。
むしろ、アダアフィなんて
他ジャンルに比べたら圧倒的楽に稼げる。
男性、人間理解して人の動かし方さえ
わかればバンバン集客できて
面白いぐらい結果が出る。
成果が出るのが楽しくて夢中になって
スマホしがみついてたら100万円稼げた。
学ぶまでが大変だったけど、学んだらお金稼ぐマインドブロックが外れて今ではいつでも稼げる余裕が出てきましたね。
そんなことも知らない、
当時23歳の僕はリアル起業
やブログで失敗した。
結局何をやってもうまくいかない。
そんな時、アダアフィと出会い
徐々に人生が好転していった。
1日30分で月100万円!
アダルトアフィリエイトがアツい!
正直、めちゃくちゃ怪しんでました。
失敗続きで自分に自信もなくなり
上手くいく保障がない。
そう自分に言い聞かせるが、毎日見る収益ポストに次第に心が揺れ動く。
…
…
マジで稼げるの?
毎日見る収益報告に興味がそそられ
どんどんアダアフィで成功してる人を見て心変わり。
”ここまで来たら何度でも騙されてやる””
意を決してアダアフィに挑戦。
朝昼晩、Xにしがみつき情報収集。
通知が来ればXを開き、ノウハウをメモ
帰りの電車でメモしたノウハウを
ポチポチ実践するが、上手くいかず失敗。
次第に僕も本気になってきて教材に手を出すように。
最初は恐怖心もあったが、最初に
いくらでも騙されてやる。と
腹をくくった手前、後戻りはできない。
そんな不安を打ち消すように、
無料企画とはノウハウの質が3段階も上。
”これならいけるかも”
と教材に書かれてことを実践。
お得意の鬼作業を毎日行い、本気で取り組んだ結果。
初月から1万円売り上げた。
この時のことは今でも覚えてます。
友達や親に速攻電話、
”俺やったぞ”!1万円稼いだ”
1万円は大きな
金額じゃないので
バカにされましたが、
初めてネットビジネスで
初月から稼げたのは
初めての経験だったので、
めちゃくちゃ嬉しかった。
そこからはどんどん収益を伸びていき、
2か月、4万円
3カ月、10万円
”マジでアダアフィやってよかった”
失っていた自信を取り戻し、
毎月増え続ける収益とともに妄想が膨らみ、
”月50万円稼いだら何に使おうかな
おいしいご飯食べてブランド品買って...
海外旅行いきたいから100万円ぐらい稼ぐか♪♪”
みたいな感じで超浮かれてました(笑)
こうゆう時が一番楽しい。
この頃から、仕事を変えてガソスタの夜勤へ移行。
理由は単純で、
夜は人も来ないのでその時間を
副業する時間に当てたかったから(笑)
やればやるほどにお金が稼げて
面白いぐらい成果が出て楽しい。
副業をして初めての感覚。
ビジネスについて、お金儲けについて、
今まで学ぼうなんて1mmも思わなかったけど、
学んだらその後が楽になった。
学生時代はロクに勉強もせず
遊ぶが大好きで5分も机に座れない
多動性の僕が1日12時間もパソコンの前で勉強。
大人になってから勉強するなんて思わなかった。
その頃から他のアフィにも
挑戦して収益は右肩上がりで伸び続けた。
お金儲けの原理原則は同じなので
学んだことをそのまま別ジャンルに応用、
1か月目10万円。
2カ月目24万。
どんどん伸びる収益にニヤニヤが止まらない。
その頃から朝起きて毎朝ASPの画面を見るのが日課になっていた。
あの瞬間がたまらん(笑)
そしてついに…
本業+副業収入を合わせて
3年半かけて借金1000万完済。
2024年1月8日にDMMの報酬と
本業の収入を合わせて借金終了。
(DMMの振込日10日)
それを期にガソスタやめて念願の独立に成功。
フリーランスとして活動。
起業に失敗してから元友人達に
足を引っ張られ散々な目に遭ってきた。
一時は人間やめたくと思っていた。
裏切った元友人、精神的に追い詰めてきたソ〇ト闇金、
僕を踏み台にしてあざ笑うチンピラ達。
世の中の不平等さにすべてを人を恨んだこともあった。
だが、人間に裏切られ地のどん底を味わった僕は人に助けられた。
今ならわかる。
人を怖がり、避け続け逃げてきたクソな僕だから
同じような人間が集まってきた。
その弱さにつけ込み僕を利用しようと企む悪い人達。
そして騙された。
逆に、
自分の弱さ、力のなさを受け入れ、
全てをさらけ出し、本当に信じれる人に
頭を下げたら救ってくれた。
僕が努力したものもありますが、
地の淵から救いだし、
もう一度チャンスをくれたのは人間だ。
僕のことを利用してきた人達をもう恨んでない。
むしろ感謝している。
当時はマジで辛かったけど、
世の中の厳しさ、自分の非力さ、
死ぬ気になればなんでもできる。
一言で収まらないが、今の僕があるのは
これまでの経験が生きている。
今の現状を本気で変えるなら
相当の本気さと気合が必要なんだと知れた。
人生かけて僕はホームレスから脱却して
夢だったフリーランスになることができた。
もうなに者にも縛られない。
会社、人、お金、権力
すべての支配から解放され、
ようやく自分の人生が始まる。
そう確信したのもつかの間、絶好調は長く続くかず
第2の試練が待ち受けていた…。
・収益が伸び悩む
ある日ピタっと収益が止まった。
アダアフィで10万円以上超えられず
それどころか徐々に下がる一方...。
自分の力だけではどうすることもできず
僕の夢は少しずつ離れ、
昔のような生活に戻ろうとしていた。
そんな時、1年で1500万円稼ぐ
マーケターの方とお会いする機会がありました。
せっかくなので質問をしてたら、
モノの売り方や単価の上げ方など、
事細かに説明してくれて僕がずっと悩んでたこと全て解決。
これ以上何も質問することがなくなった。
そして僕の悩みをドンピシャで当て、
”この人やべー...なんでわかるんだよ”
ぐうの音も出なかったですね。
本心を見破られ解決策まで
教えてくれたこの人に教わったら何か変わるかもしれない。
そう確信して100万円するコンサルをその場で決めた。
そこには僕の知らなかった
ビジネスに関するノウハウが
これでもか!!と書き記してあった、
見れば見るほどに悩みが解決。
・なんで人は同じような商品を買うのか?
・要らない物を購入してしまうのか?
僕も同じような体験をしたことがある。
似たような洋服を買ってしまい後悔したこと。
限定品につられ要らない物を買ってしまった。
僕が受けたコンサルでは過去の不振な行動に納得。
無我夢中で教材に見まくり
商品が売れなかった理由がすべて繋がった。
モヤモヤが晴れてアハ体験した。
学んだビジネスの原理原則を
何度も壁打ちしては却下されを毎日繰り返した。
添削してもらうたびに、
”日本語おかしい”
”義務教育からやり直せ”
まぁ、日本語がおかしいのは確かに僕も思う。
誤字脱字は多いし、長文書いてると
頭の中が思考停止になり
自分でも意味わからない時がある。
とはいえ、言われるとムカつくしめちゃくちゃ悔しい。
見返してやろうと必死に努力した。
ご飯中、移動中、お風呂、
空いた時間は常に動画を見て1日中学び、
1日5回は添削してもらい必死に食らいついた。
どれだけ言われても結果出せればいい。
底辺を味わった僕は這い上がる以外の選択肢がなかった。
学んでから1週間がたった頃、
ポツっと1件7万円の高単価アフィ発生。
”これ本当に購入してくれたのか?”
初めての光景に自分を疑いASPに問い合わせ確認取りましたね(笑)
夢じゃない…これは僕が上げた成果だった。
単価は徐々に上がっていき
最高10万円の商品が売れるまでに成長。
今までは無料のアプリダウンロードか
2,000円前後の動画しか売れなかったのに。
人生が大きく動いた瞬間だった。
ほんの1か月前まで
必死に人を集めても売上0の日もあった。
今まで月10万が限界だったのに
1件10万の商品が売れるようになり、
気づけばアダアフィで110万円稼いだ。
3年半前とはまるっきり違う。
ぼろ雑巾のように扱われ、蔑まれ、虐げられたあの頃とは。
僕を陥れようとする人はいない。
暴力や裏切ったりする人もいない。
地下拷●施設のような薄暗い部屋に閉じ込められ
人が壊れてる姿、平然とした態度で人を陥れ
自分だけが助かればいい、なんて醜い人間達もいない。
それどころか、今は好きな人達と気兼ねなく旅行に行ってはワーケーションを楽しみ、充実した毎日を送っている。
本当に人生変わった。
そう確信してます。
・僕の夢は”スポーツ選手”になること
最後の最後でかなりぶっ飛んだ話をします。
僕は起業に失敗してから
今日まで周りの人に支えられながら
現実を変え、夢を叶えてきました。
独立するのだって、
お金稼ぐことも
平日に旅行するのも。
ずっとしたかった夢でした。
ただ僕には一つ叶えてない夢があります。
それが”スポーツ選手”になること。
僕は学生時代、ずっと野球をしてましたね。
野球だけは真面目にやっていて結構いい成績を残してきました。
22歳ぐらいまで本気で野球してて
プロの入団テストを受ける実力でしたね。
自分でいうのもあれですが(笑)
受けた球団は巨人・広島・オリックスの3つ。
どれも最終選考まで残り、育成枠で取ってくれる
ところで最後、ヘルニアになり夢は尽きた。
スポーツ選手は結構シビアで
ケガ人を取るほど優しい世界じゃない。
”すぐ使えないなら君はいらない”
僕がケガしてることを知ったスカウトマンが放った一言。
やっと掴んだ夢はユニフォームする着ることなく一瞬で散った。
僕の替えなんていくらでもいるわけで
育成枠ギリギリでとるような選手は
馬車馬のように動かないと上にいけない。
今から野球選手目指すの?
そんなことはなくて、
僕は昔から運動が好きでゲームもしたことないぐらい外で遊んでました。
その影響からか野球を始め、ハマってしまい、燃え尽きるまでやり抜いた。
今でも運動は好きで継続してます。
現在ハマってるのがキックボクシング。
察しの通り、
キックボクシングのプロを目指してる。
野球とキックは全く別のスポーツですが
ちょっと似てる部分があって、
野球は打席に入りピッチャーと1対1の勝負。
キャッチャーがサインを出すので実質2対1かもしれませんが、
食うか食われるかの真剣勝負って燃えるんですよね。
決め球打った時マジで気持ちいい。
キックなんてまさしく1対1の勝負。
ノーガードで殴りあう熱い試合はお互い本気で殺しにいく。
オスとしての本能を
ぶつけあい勝負する
あの感覚が忘れられない(笑)
ここだけの話、
ブレイキングダウンに応募したこともあります。
まあ、落ちましたけど。
僕は学生時代から勉強と野球を両立できなかった。
授業中は寝て午後から野球の練習。
遅くに帰ってきてそのまま遊びに行き、
次のまた授業中寝る。
どうしようもない生活を送っていた
せいで学生時代の内心点は5教科オール1。
野球推薦がなかったら高校に行けませんでしたね…。
野球やっててよかった。
ただね、今になって学生時代勉強しておけばよかったなって思いますね。
学生時代勉強する習慣がなく
大人になって学ぼうとしたら
5分も座ってられなかった。
5分ですよ。
カップラーメンとほぼ同じ。
動画見始めてすぐにLINEの通地が来て集中力が切れ、
友達がSNS更新した通知が流れ、そのまま3時間ネットサーフィン。
気づけばショート動画で1日が終わる。
こんな経験誰もがしたことあると思いますが、
大人になって明らかに集中力が衰えたな…って感じますね。
ただ、歳のせいにしたくなくて、
言い訳がましい男ってかっこ悪い。
なので大人になってビジネスと格闘技を両立させたい。
ビジネスで成功させて格闘家になる。
それが僕の夢。
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