見出し画像

さよなら『西宮ストークス』

2016年9月 Bリーグ開幕
私はバスケ経験者ですが、NBAを多少見る程度、
国内リーグに関しては全く知らない状況でした。

そんな私がBリーグ開幕を機に、
地元にチームがあることを知ります…
それが
西宮ストークス
でした。

2011年「兵庫ストークス」として発足後、
本拠地変更を機に「西宮ストークス」へ改称

私にとって「西宮」は生まれ育った街です。

西宮はプロ野球「阪神タイガース」の本拠地ですが、
どちらかというと大阪や関西のチームである
という認識が強いと思います。

それゆえ「西宮」と冠していることが
とても貴重で、誇り高く感じました。

発足当時のBリーグのフランチャイズ名は
大半が都道府県名、一部旧国名(信州・琉球)
または全国的知名度のある都市名(渋谷・横浜)
などでした。

県名でもない、全国的知名度もない、
ちょっと規模は大きいけど、どこにでもある
普通の街の名前が日本全国を駆け巡る…

郷土愛が強めの私は「観に行く」以外の
選択肢を排除しました。


初めて訪れたBリーグの会場は
活気に溢れていました。
選手の躍動も素晴らしかったのですが
「ストークスチアリーダーズ」のパフォーマンスに
釘付けになりました。

高揚感のある選曲、華麗かつしなやかなコレオ、
統率のとれたフォーメーション、力強いスタンツ、
洗練されたヴィジュアル。
受けた強烈なインパクトは今でも忘れられません。

私が【沼にはまる】のは
光よりも速かったたことは言うまでもありませんw


Bリーグ初年度 B2リーグ優勝

印象的だったゲームは2016年12月に行われた島根戦
圧倒的な強さで、全く歯が立たない状況でした。

主力選手のケガなどで勢いを落としかけていた
2017年3月のFE名古屋戦
地区優勝を争っていた相手を完璧にねじ伏せ一気に
加速していきました。

そしてB2優勝をかけ代々木で島根と再戦
前回の結果とは全く逆の展開で島根の強みを
防ぎ続けました。

あと、地区優勝が決まるアウェイでストチアさんと
一緒の観戦バスツアーに参加したのは楽しかったなぁ
(〃▽〃)ポッ


2017-18 B1にステージを変える

西宮ストークスに関わる人々にとって苦難の
シーズンでした。

壁にブチ当たり何もかも
上手くいかない状況に陥りました。

シーズンかつホーム開幕だった千葉J戦から
B1の戦力に圧倒され続け、やっと勝てたのは
6戦目の京都戦。

その後も黒星先行のままトンネルを抜けられず
結果、12勝48敗でレギュラーシーズンを終え
横浜BCとの残留戦は3戦目に持ち込まれ敗退。
B2降格が決定しました。


2018-19 B2で出直し

当初、戦力が整わず終盤に復調するも時すでに遅し…
B1昇格どころかプレーオフすら届きませんでした。

このシーズンで初めての“推し”に出会います。
ブラッドリー・ウォルドー選手
私が勝手にソウルナンバーと称し、レプリカユニを
作成する際に使用した「00」を背負う選手でした。
彼の底抜けに明るいキャラクター、
献身的なプレースタイル
全てが大好きでした。
現在はコソボのリーグで現役を続けています。


2019-20 再度挑戦

チームの雰囲気は非常に明るく
希望に満ちていました。

今年こそ!!という気合が漲る瞬間も
数多くありましたが、空回り感も否めず
戦績的にはしんどい状態でした。

さらにシーズン終盤で全世界的なコロナ禍にみまわれ
シーズンが中断したまま終わりを迎えました。

チームの雰囲気が明るかったのは
「ストークスチアリーダーズ」の存在が大きかったと
思っています。
2018-19からディレクター、メンバーとも一新され、
少し幼さがあるけど親しみやすい雰囲気、
ブースターが参加しやすい選曲とコレオなど、
新しい価値を提示してくれました。


2020-21 私にとって最後のシーズン
依然コロナ禍は収束せずどのチームも組織構築に
奔走していました。
そこにある事実が公表されます。

コロナ禍における外国籍選手の入国後待機期間を
西宮ストークスは守っていませんでした。

当時もnoteで書きましたがスポーツチームにとって
ルール遵守は最重要事項です。

問題が公表された直後の試合で
チームは勝利しました。
実は私、
会場で人目もはばからず泣いてしまったんです。
嬉しくてじゃないです。
悔しくて、悲しかったんです。
この勝利に何の意味もないという思いが
いっぱいになり溢れてしまいました。

しかし、今まで応援していることを
一足飛びにゼロにすることは出来ず、
その後発表されたチーム責任者や選手の言葉を
信じることにしました。

それでもなお葛藤は続きました。
2021年に年が明けたころから五分五分だった成績が
一気に連勝街道を走るようになったのです。

そこに数年後の神戸への本拠地移転が発表されます。

リーグの新B1計画が明らかになったころから
いつかはあることだと覚悟していました。
問題の前から水面下で進行していた可能性はあり、
結びつけるのはフェアじゃないかもしれないですが、
『地区優勝だ!B1だ!新アリーナだ!』を強調し、
臭いものに蓋をするようにしか見えなくなりました。

プレーオフに敗退した数日後、
チームからのリリースはブースターへの感謝を
綴っていたものの
“B1に行けなかったこと”と
“プレーオフが無観客だったこと”
の2点に焦点が当たっていました。

待機期間違反の問題は「終わっていた」のです。

発覚直後にチーム責任者の謝罪はありましたし、
チームとしてリーグから処分も下っています。
ですが、シーズンを振り返るのに避けてはならない
出来事だと私は感じていました。

シーズンの結果が出た後に問題をどう捉え、
今後どうしていくのか?
という指針が示されなかったのは残念でなりません。

そのあといろいろ考えましたが、
2020-21シーズンを境に私の中の
チームへの思いは急速に小さくなってしまいました。

とはいえ、完全に消えたわけではなく
2021-22、2022-23シーズンと1回づつ会場に
足を運びました。

しかし会場で観戦した時の自身の感覚は
映画のエンドクレジットを観ているようでした。

私にとっての「西宮ストークス」は
すでに終わりを告げていたのだと思いました。


2023年4月22日 西宮ラストゲーム
私の故郷、西宮をフランチャイズとした
最後のホームゲームを行う。
消えた光をこの日だけは灯そうと決めて
会場に向かいました。

結果は敗戦。
私個人としては全てを置いてきたつもりです。


最後に
心が離れたとはいえ、
西宮ストークスがあったからこそ
出会えた人々がいます。
経験できたことがあります。
訪れた土地があります。

ありがとう
「西宮ストークス」
そして、さようなら













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?