見出し画像

初めて買ったCD「矩形波倶楽部」

今から遡る事30年前(高校1年かw)の1990年12月1日(土)、私は生まれて初めてCDを買いました。
スキーのジャケット、矩形波倶楽部ファーストアルバムです。

それまで聴いてきた音楽というと…、殆どゲームミュージックしか聴いておりませんでした(それは偏ってるなw

その言い訳としては、毎週土日の大半をゲームセンターで生活しており、平日は、学校から帰ったら一旦昼寝して、深夜ムクムクと起きだし、深夜ラジオを聴き、そして深夜テレビしか観てなかったので、全く音楽と無縁な生活であり、唯一聴いている音楽となると、ゲームセンターから流れるゲームミュージックのみだったからです。

となると、自ずと、買う音源は、ゲームミュージックのカセットテープしかありません。

自ら初めて買った音楽カセットテープは…、はい、そうです、コナミゲームフリークス(コナミ矩形波倶楽部)です(もはや私は、筋金入りです)
ライナーノートなんて、穴が開く位読み過ぎて、全部暗唱・写経できるレベルまで達しておりました。

1990年11月24日(土)
私は、中心街にある歯医者に通い始めました。
(その歯医者は、現在の市内北彩都病院辺りにありました)

近所の歯医者に行かず、わざわざ中心街の歯医者へ…
その理由は、簡単です。
ゲーム、ゲームセンターですw(アホや)

歯医者が終わり、まずはゲームセンターの前に、軽い手慣らしとして、私が小学校5年から通い始めた、西武デパートの(確か)3階の小さな片隅の一画にあったMSXコーナーへ。

エレベータでは遅いと、MSXコーナーへの近道、裏階段から駆け上り、そのフロアーにあがった瞬間、な、な、なんと、フロアー全体がCDコーナーに。

しばらく来ていない間に、こんなところに大きなCDショップが出来たのか!

迷わず私は

「その他コーナー」の一番端っこの棚(※)

を見に行くのです!

※【解説】「その他コーナー」の一番端っこの棚:ゲームミュージックコーナーは、今でこそ世界的に認知されるジャンルですが、今から30年前のこの田舎では、そんな歴史の浅いジャンル、いや歴史のないジャンルは、認知なんかされておりませんでしたので「その他コーナー」の隅っこの隅っこに追いやられておりました。
それはまだよい方で、「その他コーナー」にない時は、なんかくるくる回る小さなメリーゴーランドみたいな円筒の中に、ゲームとかよくわからんジャンルは、色とりどりのお飾りとして飾られておりました(解説なのか愚痴なのか)


その巨大CDショップの、”その棚”のラインナップを見て、一言

「うーん、だいたい持ってるな、大したことないな」と上から目線で言い放ち、もう2度とこのCDショップを訪れることはないだろう、と思ったその瞬間、目に飛び込んできたコーナー名がありました。

それが「ジャズ・フュージョン」コーナー

「フュ・ヒュ・ヒュージョン?って…まさかあれか…“あれ”の事か?」(当時、フューと言えません、ヒューです、フューとヒューの区別はつきません。ヒヒヒ(笑)、ヒュージョンですw


そう、この時。

私は、セガ・ゲームミュージックVOL.2のライナーノートの一文を思い出すのです。
以下に、その一文(私の尊敬するキーボーディストでありGM作曲家・林克洋先生のお言葉)を引用致します。

『Hey!俺はファンキーK.Hだ(中略…w)曲想を考える時には、企画やプログラマーの人と話し合って、200本以上ある(洋楽はヒットチャート物で、邦楽は”フュージョン”が多い」カセットから合いそうな曲を選んで流しながら…(云々)』

の中の、”フュージョン”という言葉と、遂にリンクしたのです。

「フュージョンって、音楽ジャンルだったのかー!!」(当時、世紀の大発見)

ライナーノートなんて、全部暗唱、写経できるレベルまで達しておりましたが、全く言葉の意味を調べようともせず、理解も出来てない状態で読んでいたようです。

つまり私は、”何もわかってない”

例えば「カシオペアの野呂一生」なんて書いてるライナーノートの一文があっても、「カシオペア」が「バンド名」というのがわかりませんしwまぁ、当時は、ネットもないし、周りに知ってる人もいないし(友達がいなかっただけかw)情報も何もなかったのです。

大変興味を持って、そのジャズ・フュージョンコーナーに飛び込みますが、そりゃ~、ド素人なので全然分かるはずもありませんww

と…、思いきや…?

ジャケットを表に見せている新入荷・新譜コーナーに「矩形波倶楽部」という文字が…

「んんん??あれ?あれ?矩形波倶楽部?なにこれ?なにこれ?なにこれ??コナミ?コナミだよね??ええええ?」

思わず手に取りますが、ジャケットは、爽やかなスキーの絵だけ
裏面は「たったの10曲」(※)、英語で曲名が書いてるだけ…

※【解説】「たったの10曲」:ゲームミュージックというのは、アルバムに、2,30曲以上収録されているのが当たり前、常識の世界であり、私はそれまでゲームミュージックしか聴いた事がなかったため、アルバムに「たったの10曲しか入ってない…」つまり、得じゃない、という発言になったのです(これって解説なのか主観なのか)

まず、このCDは「コナミなのかどうか?」という疑問から、コナミという文字を探しまくりますが、ようやく、なんかコナミマーク色のヘッドフォンしてる2人の下の方に、凄く小さな文字で、本当に小さな文字で「KONAMI」と斜体で書かれているのを発見。

それ以外、何一つ情報がありません。

KONAMIは、間違いなさそうだが「古川もとあき」というメジャーアーティストの名前すら、そこにはありません。

帯に書かれた人物名は、安藤まさひろ、則竹裕之、神保彰、桜井哲夫、須藤満、笹治正徳、吉弘千鶴子…

そうです。

全く存じないアーティストの名前が並んでるだけ…

スキーのジャケットを手に取ったまま、数分以上、硬直状態が続きます。

「これは、一体、何だろう…?」

迷いました。大変迷いました。

「たった10曲のために、3000円も出すのか…、実に勿体ないな…。10曲しか入ってないアルバムなんて、大損だwどんな曲が入ってるか…、全然わからんし、危険だし…これは危ない、失敗する可能性大だな…」

と、その時、出した結論が、

『3000円は、ゲームやゲームセンターに使った方がマシ』

という事で、ちょっと気になりつつも、その場を後にしましたw

しかしその後の1週間は、スキーのジャケットの正体がすげー気になり過ぎて、悶々とした状態が続くのです(ネットがない時代は大変です)

「フュージョンかぁ…、フュージョンって何だろう、フュージョンを知る機会でもあるのかな…」

そして次の週。
忘れもしない、雪は積もってないが、雪が横殴りになってきた、1990年12月1日(土)

歯医者を終わらせ、気になるスキーのジャケットを再び見に、西武デパートへ向かうのです。

向かう途中の信号待ちで、なんと向こう側に、クラスの女子が、カッコいい先輩と手を繋いでいるのを発見してしまいます。

うわ……うわ……うわ……うわ……うわ……うわ……w


横断歩道ですれ違いざまに、ふと思うのです。

「あなたたちと私は、進むべきベクトルが違うようだ」

「買わなくて後悔するより、買って後悔をとってみる選択もあるのだ。つまりクラスのみんなの知らないフュージョンという新しい世界へw 買って後悔かもしれないがw」

と、当時そんな数多くの名文句を携えw、なんとその横断歩道で、スキーのジャケットの購入を固めるのですw

思えば、1990年1月下旬、我が家にCDプレイヤーがやってきました。妹の誕生日でありました。


やがて1990年12月になると、そのCDプレイヤーは、妹の部屋から、茶の間に辿り着き、誰一人使用していないホコリが被った状態にありました。

私に、CDを買うという、多くのチャンスが到来したのであるw

「矩形波倶楽部ファーストアルバムを満を持して購入」

なんとその日は、ゲームセンターにも行かず、一目散にお家に帰り、矩形波倶楽部のCDを生まれて初めてCDプレイヤーにセットし、栄えある1曲目がスタートするのです




おしまい

うーん、つ、つづけるかなwwwww

ここからCDレビューにするとかw

(つづくんかwこれw気が向いたらwやりたいけどw独りで続けるかなw





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?