見出し画像

9章:今この瞬間に(テーマ:知識の根底にある世界観を知ってもらう)

みなさまこんにちは、ヒロカです。

9章はこれまで学んで頂いた知識の根拠となる、さらに深い世界観のお話を致します。

お時間がある時にでも気軽にご視聴、お楽しみください。

1,時間は連続していない

 イタリアのロベッリ博士が提唱する、ループ量子重力理論。その中で、時間という概念について示されてある部分がありますが、これが真実に最も近いと言われております。

私たちは時間を過去・現在・未来と分けて認識していますが、実のところそれらは一直線の時系列でつながっているのではありません。

わかりやすく言うと、時間とは1つの球体の上に無数に存在する点のようなものです。

(図解で説明)

前後や上下があるわけではなく、自由に回転させて見ることが出来る、そのようなものなのです。

「今をどう生きるかで未来は変わることができるが、過去は変えられない」そう思っている人がたくさんいます。

たしかに、この四次元の地球ではこれは事実として捉えていますが、真実は違います。

実際には、今の自分の波動を変えれば、現在だけでなく、未来も、さらには過去まですべてが変わっていくことになるのです。

2、すべてはただの記憶

 脳は記憶を保持している器官だと思われています。

ところが、ある視点から見ると、脳は受信機のようになっていて、記憶自体は個人的、あるいは人類共通のエネルギー的なフィールド(場)にさまざまなパターンとして、浮かぶように存在しています。

そして厳密に言うと、私たちは今の自分の周波数に合致する記憶を、それらのフィールドから受け取っているに過ぎません。

つまり、絶対的に「正しい記憶」などというものは存在しないことになります。

例えば、誰かと話していると、お互いの記憶違いではないかと思う出来事が起こることがあります。

実際は、どちらかが正しくてどちらかが間違っている訳ではなく、お互いが別のパラレルワールドにおける体験を語っているのかもしれず、その点ではどちらも正しいのです。

別の角度から説明すると、人間はそれぞれの見ている状況によって、それぞれの現実を捉えているのです。

ここで言う「状況」とは、それぞれの人の心理の状態のことを指しています。

人はそれぞれの心理の状態によって、見ている現実に意味つけをしているのです。

ある人には楽しい体験だったとしても、別のある人にとっては嫌な心苦しい体験であったり、それぞれの情動を伴った記憶を保持しているだけなのです。

例えば、同じ言葉ひとつにしても、「ジョン!」という言葉、駅の中で久しぶりに会った人に「ジョン!」というのと、車の助手席から運転席のジョンへ「ジョン!」と言うのでは同じ言葉でも意味が違う。

前者は「会いたかったうれしい」かもしれないし、後者は「危ない気をつけろ!」かもしれない。

つまりその時の状況により、同じ音の発音にしたとしても、そこにある意味つけが変わっているのです。

もちろん物理的な場所の違いとか、シチュエーションの違いはあるかもしれないけれども、一番違うのは、その時のその人の「心の状態」でしょ?

久しぶりに会えた「うれしい」心境で言っているのか、車で人にぶつかるかもしれない「恐怖」で言っているのかでその持つ意味合いが変わるのです。

つまり、同じ現実を見ていたとしても、その人の心境によってそこに意味つけしている情動と記憶はそれぞれであって、私たちの心理の状況、つまり内部表現の在り方こそが、次元の違いであり、パラレルワールドの違いそのものなのです。

 量子力学の観点で話をすると、この世は波動で出来ていると言われています。

まさにこの世界は「波動の動き」が結晶化した姿に過ぎません。

私たちの意識はとてもパワフルで、ある特定の波の集まりに注意を向けると、一瞬にしてそれを物質化させてしまうのです。

言い換えると、人はあるパターンで動く波を見た時、それを「脳内で具体的な形として視覚化」して捉えるのです。

でも、本来は「ただの波動のパターン」に過ぎません。
つまり、「見えている通りではない」のです。

そうした意味では、肉眼で捉えているもので確かなものなど何一つもないと言えます。

それを体験している人にとってはある種の真実ですが、現実と思っているのは脳内の処理の結果作り出された映像、ただ脳内のスクリーンに映し出された「中立」の映像であり、感じているのは「自分の中だけ」なのです。

夜に寝ている夢を思い出してください。

夢の中ではあんなにリアルなのに、目が醒めると映像は瞬く間に消え去り、恐怖や喜びなどの「感情だけ」が体感として残っているだけです。

私たちが「現実」と思っているものも、実は全く同じなのだと言ったらどうでしょうか?

つまり私たちの内に持ち合わせている周波数がフィルムとなり、現実というスクリーンに映像化されているのだということです。

自分の外に真実と言えるものはありません。

現実という体験は、今までもこれからも外には何もなく、体感が中で起きているだけなのです。

 時間の概念に則して、輪廻転生についても、一般的には当然のように過去から未来へ向かって転生を続けていると思われています。

例えば、江戸時代のあと明治時代がやってくるように歴史に従って過去から現在に至るまでに何度も転生してきていると考える訳です。

しかし、先ほどもお話したように、時間は一直線の時系列で存在しているのではないので、いわゆる未来ではなく、過去に転生することもできるのです。

もちろん転生する先は、自身の精神的成長に応じて変化するのですが、原始時代へ必要な学びを求めて転生することもあり得るのです。

3,一瞬一瞬は連続してはいない

 繰り返しますが、時間は連続して存在している訳ではありません。

過去・現在・未来という直線的なつながりが存在するのではなく、今この瞬間にすべての時間が同時に存在しているのです。

ということは、つながっていないため、毎瞬毎瞬、まっさらでも良いということです。

過去がこうだったから現在がこうなり、未来は必然的にこんな流れになる・・・、などとつなげる必要はなのです。

映画は一つの流れが連続しているように見えますが、その元になっているフィルムは一コマ一コマが独立して存在しています。
それを回した時に、まるでつながっているように見える訳です。

実は私たちの現実も全く同じで、毎瞬は独立して存在しているのに、時間軸というイリュージョンにとらわれているため、まるでつながっているかのような体験をしているだけなのです。

ループ量子重力理論では10のマイナス44乗秒(1億分の1秒を10億分の1にして、さらに、10億分の1にして、さらに・・・またさらに・・・と4回やったというごくごく小さな隙間)、という空間と時間の最小単位(プランクスケール)があり、時空は飛び飛びの量子状態だと考えられています。

時間は連続していないのです。

では、なぜ錯覚するのかと言えば、そこには「記憶の連続性」という脳の錯覚が存在しているため、私たちはそのように感じているだけなのです。

脳の錯覚です。

例えば、目で見ている時に、眼球から入った光が網膜に写ります。

網膜には視神経がある部分があり、必ず見えていない部分というのが私たちの眼の中、視界にはあります。(図解)

それを「死角」と言います。眼科用語ではギリシャ語で「スコトーマ」と言います。

しかし、見えていない部分があるのに私たちはそれを普段認識していないのです。脳がまるで見えているかのように錯覚を起こしています。

脳科学的には、脳内の記憶を引っ張り出してきて、おぎなっているのです。

逆に見えている物も、見えていないかのように私たちは錯覚しているのです。

皆さんは実は自分の鼻の頭が視界に入って見えています。

ご自分の鼻の頭を意識してみてください。
ぼんやりと焦点は合っていなくとも見えているはずです。
しかし、普段はまったく認識していないですよね?

つまり、見えていないものを見ていて、見えているものを見ていないのです。

この錯覚は脳の機能であって、脳は今のあなたが重要だと認識しているものしか認識しない、意識の上にあげない、という機能にかかわっております。

なぜなのか?

脳という器官は人体の中で一番エネルギーを必要とする器官です。
一番カロリーを使うし、一番酸素を必要とします。

現代人の脳はそのほとんどを使ってない状態だと言われております。

なぜなら、脳のすべての機能がフル回転してしまうと人間のすべてのカロリーを一瞬で消費してしまうくらいエネルギーが必要になります。一瞬で絶命してしまうということです。

そのために、脳の基本的な在り方として、無駄なことはしないように、なるべくサボろう、サボろうとエネルギーを使わないようにしようとするのが私たちの脳なのです。

それが生存する本能として備わっています。

そこで、一度見たものは、いちいち見ないで脳の中の記憶を使おうとするわけです。

あなたが学校や会社に強いストレスを感じている場合、朝出かけようとする時に、いつも置いてある家の鍵が無くなるのです。財布が無くなって会社に行けなくなる訳です。

そして、ひょんな所から出てくる。見ていないのです。

私たちは自分たちの脳の中の記憶という情報を使って見ているように錯覚をしているのです。

つまり、あなたの心理状態によって見ている世界が違っている。

これからの私たちは脳の機能というものをよく理解し、それと付き合っていく、扱っていく必要があるのです。

これが現代の機能脳科学的にわかってきていることなのです。
視点を変えて話します。

統合をしている最中に、自分の動きが高い視点から観えたことがあって、上から観ると一連の流れの間にわずかな隙間があって、一つのフィルムに含まれる映像が少しづつ角度を変えて連なって見えたという話があります。

毎瞬はつながってなどなく、もし今この瞬間に波動を変えてしまえば、次の瞬間、全く違うフィルムへ飛ぶことも可能なのだとわかったと言います。

実際に、多重人格者にまつわるこんな話が記録として残されています。

Aという人格を表している時には身体に腫瘍が存在しているのですが、Bという人格に入れ替わった瞬間、CTを撮っても腫瘍は存在しないのです。
そして、またCという人格になった瞬間、風邪をひいているというように、全くバラバラなのです。

私たちは今まで、時間は連続して存在していると教えられてきましたし、それを当然のように信じて「使って」きましたが、そろそろその使い方をやめても良いのかもしれません。
なぜなら、その幻想・洗脳から抜け出したとき、私たちは「人生はいつでもやり直すことができる」ことに本当の意味で気づき、力を取り戻すことになるからです。

だから「こんなことをしてしまったら、もうダメだ」とか「人生はお先真っ暗だ」などと決して諦めないで下さい。

その現実を創り出すのに使った周波数を捉えて手放すことで、その先の新しい展開が必ず視界に入って来ることになるのですから。

4,目醒めとアセンション

 すべての現実は自分が選んで使っている周波数により外界のスクリーンに投影された映像であり、イリュージョンである。

ゆえに、この周波数を変えることですべてを変えることができる。

つまり自分自身がすべての原因であり、創造主であったのだということに気づくこと。
これが、いわゆる「悟り(目醒め)」と言われるものです。

「悟り」があって、さらにその先に「アセンション」があると言われております。

悟りを得ると、目の前で起きている(本当は自分が起こしているのですが)現実を見た時、「現実を何とかしなきゃ」と言って現実に対処しようとするのではなく、自分の周波数を上げることに意識を向けます。

現実という世界は、すべてが自分の内面を写し出す鏡であることを心の底から理解しているので、自身の波動・周波数に100%の責任を持っているのです。

だからこそ幻想から抜け出し、宇宙意識という大きな真我につながって、必要なすべての情報や可能性にアクセスすることができるようになる訳です。

そして、その意識から自由に望む現実をクリエイトしていくことになります。

そこに執着やこだわりは一切ありません。

自分が全てを創り出していて、現実はどうとでもできることを知っている意識で存在しているので、何よりも平和や調和、そして安らぎのバイブレーションで満たされているのです。

自分が創造主であることを想い出すこと。

これが悟りであり、目醒めなのです。

5,この世の中はイリュージョン

 ここまで話してきたように、あなたの周りで現実に起きていると思っていることは、スクリーンに映し出された映像に過ぎません。

だから、起きている(映し出されている)出来事にとらわれないでほしいのです。

出来事にフォーカスすることで、本来は波の動きであるはずの柔らかなものが、より強力に固まり、体感もさらに強くなることでリアル感が増してしまうので、ますますそこから抜けられなくなってしまうのです。

映画のスクリーンに映し出されているストーリーはただの映像なのに、それをまるで現実に起こっているかのように錯覚してしまう状態になるからです。

本当は、すべてはただの波動なのに、私たちは意識を向けるもの、強くフォーカスするものをより具体的にリアルに結晶化させてしまうのです。

つまり、パワフルな意識の力を使うことで、それが自分にとってリアルなものとなり抜けられなくなってしまうのです。

だからこそ、結晶化させることに使っている意識とエネルギーを自分に戻していくことが大切です。

 水は0℃になると凍ります。
100℃になると沸騰し、気化します。

それはただ、固まるところを0℃とし、沸騰するところを後から100℃と、計りの方を表記しただけですが

0℃で氷になっても温度がないわけではなく、もっと温度を下げていくと、さらにマイナス何度とかなっていく訳です。

マイナス273.15℃が絶対零度と言いまして、理論上、分子や原子の運動が完全に停止する状態となります。

つまり、エネルギーがない状態となる訳です。エネルギーが存在していない状態を絶対零度と呼んでいます。

これより低い温度は存在していません。これがエネルギーが0の状態です。

そこで、電子顕微鏡か何かで、あなたが絶対零度の水分子を観察いたしますと、なんと水分子が動いているのです。

エネルギーがない状態なのに

それは、観察者が「観察をする」という行為が、そこにエネルギーを与えてしまっている。

観察者の「観察する」という行為が素粒子に影響を与えてしまうという、科学的なところで言われる「観察者効果」です。

あなたがもし問題を抱えている場合、「問題だと認識するから問題になる」のです。

問題視しなければ、波動が固まる前にそれは消えていくことになります。

意識を向けなければ、結晶化は起こらないということです。

身近なところで、「あの人に言われた嫌な一言が頭から離れない」という状況を想像してみて下さい。

このような状態は、「嫌な一言を言われた」という出来事にずっとフォーカスし続けていることになります。

すると、今この瞬間には何も問題はないのに、厳然たる事実としてあなたの前に結晶化し、いつまでも影響し続けることになります。

では、どうすればいいのか?

現実を映像化するのに使った周波数を手放していくことです。そうすることで、問題はそこに留まり続けることが出来なくなるからです。

映画のフィルムを変えたのに、前の映像がそのまま映り続けることはありませんよね。

私がお話したことは、目醒めた先の未来には当たり前のこととして認識されることでしょう。

これからは決して特別なことではないのです。

6,今の自分を変えればすべてが変わる

 みなさんは、時間を飛ぶ経験をしたことはありますか?
はっきり意識したことはないかもしれませんが、あなたにも経験があるかもしれません。

友だちと6時に会う約束して、それに合わせて家を出たとします。

でも忘れ物に気づき、家に戻ったりしているうちに、すっかり遅くなってしまい、そのまま行ったら当然乗ろうとしていた電車には間に合いません。

ところが、どう考えても乗れないはずなのになぜか間に合って、予定通りに友人に会えたという話。

時間が連続しているという認識だと、遅れたら絶対に間に合わないという状況でも、時間は連続していないことを知っていると、偶発的にでもテレポートするような体験をすることがあるのです。

一瞬にして、別のパラレルワールドに移行してしまうとも言えますが

またある時、買い物をしようとしていたのですが千円足りなく、そのまま帰ろうとした時、フともう一度お財布を開いてみようという衝動に駆り立てられました。

すると、先ほどはなかった千円札が一枚だけ入っていたのです。

私自身もこのような経験をしています。そんなバカなことあるわけがないと思うかもしれませんが、地球の様々な観念や概念を手放していくと、あなたもこのようなことを体験し始めるかもしれません。

例えば、目の前にある物が突然消えて、また突然現れるという経験をするかもしれません。

なくしたはずの大切なものが、何度も確認したポケットからポロっと出てきたり、入れたはずのない買ったばかりのカバンかに入っていたり

もしパラレルを移行しているのだとしたら、このようなことは何も不思議なことではありません。

実際、私たちは無意識的に毎瞬パラレル・リアリティーを移行しているのです。

つまり時間も空間も実際には連続しておらず、あなたが発する周波数に見合うパラレルに、自然にテレポートしている訳です。

次の瞬間、今あなたがいる場所に大好きな芸能人が入って来てもいいのです。

何が起きてもおかしくないのが、目醒めて体験する制限のない世界です。

「事実は小説より奇なり」。実際どれだけ自由な意識になってもいいのです。

だからこそ、あらゆる可能性が視野に入ってきます。

この世界に確かな現実などなく、現実はどうとでも変化させることのできる柔らかなものなのです。

それがわかると、楽しくなってきませんか?

7,自分を変える=周波数を変える

 自分を変えるという事は、自分の発している周波数を変えることです。

嫌な出来事ばかり起きるという人は、嫌な出来事を映し出す周波数を発しているということです。

そうしたときに大切なのは、その嫌な出来事を何とかしようとするのではなく、それを映し出すのに使った周波数を手放すことであることは、すでにお話ししました。

周波数を変えることで、今まで映し出されていた映像に変化が生まれます。

そうして統合を進めていくと認識が拡がり、やがて自分の宇宙意識の中にあるパラレルワールドが視界に入るようになり、望む現実が起きているパラレルに意識的に移行し体験することもできるようになるのです。

つまり、あなたが想像できることは別のパラレル・リアリティーとして存在していますので、まるでテレビのチャンネルを変えるように周波数を合わせ、望む現実を体験することが出来る訳です。

実はこうしたことは特殊なことではなく、私たちは日々、普通に行っています。

不安になるという状態は、不安という周波数に自分の周波数を完全に一致させているということであり、それは恐怖であれ何であれ、どのフィーリングも同じです。

フィーリングは周波数であり、フィルムです。

私たちは感情というフィーリングをフィルムとして映像化し、その映像に強くフォーカスすることで、このことによってこんな思いをしていると、使ってるフィーリングをリアルに体感していただけなのです。

 ここでパラレルワールドの概念について、詳しくお話したいと思います。

私たちの想像でき得る限りのパラレルが存在しますが、わかりやすく説明すると、AのパラレルからBに移行したいと思ってテレポートするとき、自分の意識がAに存在している自分から抜け出てBにある自分の肉体に入っていくのです。

よく自分が変わることで人も変わる、と言われますが

まず、その人間関係を映し出すのに使った重たい周波数を外します。すると波動が上がったことで、その波動に見合ったパラレルにテレポートするのです。

移行した先のパラレルには、そのパラレルのバージョンの「その人」が存在していますので、当然変化している訳です。

あの人って、こんなに優しい人だったかしら・・・というように。

つまり統合することによって、より軽やかな調和のとれた波動へと変化したため、それを反映するパラレルワールドへと移行したのです。

実際、私たちは日常、無意識のうちにパラレル間をテレポートしています。

でも、いつもとそれほど変わらない行動をし、同じような周波数を選んでいるため、変化の幅が小さく、テレポートしていることに気づいていないのです。

こんなことは詭弁だと思いますか?

あなたが主人公です。統合し、目を醒ましていくことで是非体感していただきたいと思います。

悟り、目醒めていくことで、この星での存在の仕方が全く変わってしまうのです。

では、パラレルを移行するためのコツを改めてお伝えいたします。コツをつかめば簡単です。

そこに周波数を合わせ、あとはその周波数を感じられる行動・選択を常に行っていくだけです。

周波数を合わせる簡単な方法は、体感とともにイメージすることです。

軽く目を閉じ、深呼吸して気持ちを落ち着けます。

そして、自分が望む現実をイメージし、それを体験しているときにどんなフィーリングを感じるかを想像してみましょう。

もし、その時に喜びやワクワクを感じるなら、もしくは安らぎを感じるなら、それが「あなたが本当に望む本質」であることを知ってください。

それがわかったら、あとは望むことと関りがあるかないかに関わらず、とにかくその本質のフィーリングを感じることに行動し、出来る限りその感覚で自分を満たしてください。

大事なのはイメージしたときに感じた「フィーリング」です。

あなたが望んだことはそれを「実現している現実」ではなく、そこに持ち合わせている「安らぎ」というフィーリングなのです。

「実現している現実」の違いにこだわらないでください、あなたが欲しい本質はその「安らぎ」ですよね?それとも場面ですか?

それがわかったら、そのフィーリングを常に追いかけてください。その時に叶ってしまったイメージはもういらないのです。

叶ってしまっては、馬はそこから先には進みませんでしたよね?

自分の求める場面をイメージし、「目標設定」したら、その時の感じたフィーリングこそがあなたが求めている本質です。

ただの場面を求めていますか?それともあなたが感じるフィーリングを求めていますか??

あとは日常の選択・チョイスが訪れる度に、そのフィーリングを感じられる選択肢を選び続ける、追い続けていくだけです。

それが望むパラレルに周波数を合わせる簡単な方法の一つであります。

これを続けることで、ある時にピタッとチャンネルが合い具現化もすることになります。

つまり、望む現実を体感するとともにフィーリングをイメージし、あとは気分良く、心地よく過ごすことに最大限の意識を向けることで、次々と望むパラレルに移行することができるのです。

8、地球の周波数を捉えて外す

 地球の周波数を手放し、統合し続けている人は意識が本当に軽やかでクリアです。

疑い、不安、恐れといった一般的にできれば感じたくないと思われているフィーリングは、私たちが地球に降り立つために、本来の高い完全な波動を分離して生み出した地球の周波数です。

このような周波数を捉えるたびに外していくことで、意識は透明感を増し、望んでいることがすぐさまスクリーンに映し出されるようになります。

なぜなら本来の私たちにとって、自分が現実を創り出してるわけですから、望むことが形になることは自然なことだからです。

そこに疑いや自信がないなどの地球の周波数を挟んでいるので、望みがストレートに映像化されないのです。

例えば、結婚を望んでいるのに、自分には愛される価値がないのではないか、もう歳を取れ過ぎているし・・・

などという疑いや不安を間に挟んでいれば、当然映像はゆがみ、望みがそのまま映し出されることはありません。

疑いや不安というフィルムが余計な映像としてスクリーンに映りこむからです。

統合を続けていると、だんだん自分の意識と現実が連動しているのがわかるようになってきます。

ある時に、タクシーを待っていたのですが、なかなかやって来ませんでした。

そこで、その場で目を閉じて、タクシーが向こうの道から入った来て、スーッと目の前に止まるのをイメージしました。

そして目の前に止まるイメージがカチッとハマり目を開けた瞬間、すでにタクシーは目の前に止まっていたのです。

つまりイメージしたコース通り全く同じタイミングで具現化したわけです。

また、ある時のことです。友人と子供の頃の話をしていた時に「飛行船」の話になりました。

私が子供のころは、よく会社の宣伝などで大きな飛行船が飛んでいるのを見ていたのですが、最近全く見かけないね、という話をしていたのです。

実際もう何十年も見ていませんでしたので、久しぶりに見たいなと思ったのです。

すると翌日朝、家のドアを開けた途端、目の前の上空に飛行船が浮かんでいるのです。

そしてこの記事を書いている先週の日曜日、何年も見ていなかった飛行船が多摩川の河原の空を浮かび私の目の前でドラえもんの宣伝をしているのです。

「見たいな・・・」と思っただけでなのですが、もしくはこの記事を書きながらその場面を少し想像しただけなのですが、無意識のうちに周波数を合わせ具現化した訳です。

ものすごいタイミングです。しかし、今の私にそれは当たり前のように受け入れられ、宇宙を信頼している状態なのです。

ありとあらゆることを簡単に起こすようになります。

ただ、ここでもう一度しっかり認識しておいて頂きたいことは、目を醒ましていけばいくほどに、意識的に望む現実を創造できるようになりますが、

「現実を思い通りにするため」とか、「現実を変えるため」に目を醒ますのではないということです。

目醒めへと向かうには、まず現実を変えようとするのをやめること。

起きている出来事にとらわれるのではなく、その現実を映し出すのに使った周波数を捉えて手放していくことです。

自分の意識をどの周波数・チャンネルに合わせるかで、何を体験するかが決まります。

9,私たちはハイヤーセルフそのものである

 パラレルを選んで移行する視点は、ハイヤーセルフの視点であるとも言えます。

私たちが「自分」あるいは「自分の人生(今世)」と思っているものは、ハイヤーセルフの選んだ一コマに過ぎません。

つまり、たくさん存在する私たちの側面の中で、ハイヤーセルフが「今は」今世の自分に焦点を当てているということです。

だから「ここ」を体験している訳です。

私たちはよく、ハイヤーセルフとつながるという言葉を聞きますが、実際ハイヤーセルフとは私たち自身であり、それこそが「本来の自分」なのです。

そのことを思い出していくのが、悟りであり目醒めです。

さらに言うと、目醒めるというのは「ハイヤーセルフそのもので生きる」ことを言うのです。

そのためには現実を鏡として使って、今自分がどんな地球の周波数を使っているかを捉えなければなりません。

捉えることが出来れば外すことが出来るので、波動を上げてハイヤーセルフにさらに深く強くつながっていけるのです。

そのうち視点が上がり視野が拡がることで、次にどんな周波数を使って映像化しようとしているのかまでも観えるようになるので、映像化する前に外すこともできるようになるでしょう。

それまでは現実という映像を見ることでしか、無意識に入れていた感情というフィルムに気づくことが出来ないので、目醒めることを決めた意識にとっては、現実は本当にキラキラとした宝石のように見えるのです。

なぜなら、地球の周波数を捉えては手放すことで、着実に目を醒ましていくことができるのですから

そうした意味で、現実はとてもとても大切なものなのです。

仏教の世界では、これを「中観」という観念で話します。

この世は、全てが幻想であり、一夜の夢のように一瞬で消えてなくなるようなものであると、釈迦(ゴーダマ・シッダールタ)は言いました。

お釈迦様も、全ては幻想であり、自分の内面が写す現象であると気づいていたのですが、それを、その時代の人々にわかりやすく伝えようとしたのが仏教の教えです。

まだ、科学が進んでいない2600年前当時に素粒子の世界観など話しても誰も理解できませんから、お釈迦様は、量子力学の世界観を「空」という概念で説明致しました。

全ては幻想であり、「空」であると

それを「空観」と仏教の世界では言います。
そして、この幻想の世界、バーチャルリアリティーの世界を「仮の世である」と説いた概念が「仮観」です。

そして、この「空観」と「仮観」両方を持ち合わせた考え、概念を「中観」と言います。

「中観」とは全ては幻想であり、空であるとわかっておりながら、この仮の世をしっかり生きるという考えです。

もし、仮の世の中であるとして、それぞれが好き勝手なことをやり始めて、メチャクチャなことをすれば、世界はメチャクチャになりますよね。

ゲームの世界でもメチャクチャすれば、メチャクチャになってリセットです。

それと同じように、仮の世界だとわかっていながら、仮の世を正しく生きる、仮の世を良いものにするためにクリエイトするのです。

その考えを持ち合わせ、生きることが「中観」であり、この現実はとても大切な「悟りの場」であるという意味合いなのです。

私たちのハイヤーセルフが望んでいるのは、あらゆる時空間を体験することです。

可能な限り、さまざまな体験をしたいというのが、ハイヤーセルフの望みなのです。

それぞれのハイヤーセルフは、多次元レベルでたくさんの分身を作り、あらゆる経験を積んだのち、また一つに統合しようとしているのです。

そうすることで、さらにアップグレードさせられることになるからです。

私たちは、常に進化し続けようとするパワフルな存在であり、それが宇宙の本質なのです。

いつまでもこの話を続けていたいのですが、これでもだいぶ多くの話を致しました。

第9章はここまでとなります。

 もし、さらに深い世界観の話を学びたいと余裕ができてきたら是非私にご連絡ください。

この講座の卒業生様向けの講座をご紹介させて頂きます。

この度はどうもありがとうございました。

参考資料:「時間は逆戻りするのか」高水裕一 ブルーバックス
     「目醒めへのパスポート」並木良和 ビオ・マガジン

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?