滝原に宝篋印塔が?
源流プロジェクトが始まった頃から気になっていたことがあった。それは広川町誌に次の文章があったことだ。
上津木落合から下津木滝原に行き通う山路の傍らに、花折りさんと呼ばれる場所がある。広川上流に臨む山麓台地に位置する。そこに一基の宝篋印塔が遺存し、所刻記年銘や様式から、室町時代中期の石塔であることが判明する。かつては、路行く人の必ず供花合掌したところと伝えがあるが、いまその信仰も消滅寸前にある・・・と。
滝原区に「ほたるの湯」ができて何年かあとに、県道21号線の落合区から滝原に結ぶ広い町道ができたが、上記の旧道はその道路の広川を挟む対面にあり、今は鬱蒼としてまったく人通りのない忘れられた道になっている。
この細い道は、かつては岩渕、滝原区から落合区への唯一の生活道であり、小学校への通学路でもあったが、石塔の存在はまったく聞いたことがなかった。
そうして6月3日、運転免許の高齢者更新講習で「ゆあさドライビングスクール」にバイクで行った帰りに、ふと「行ってみよう」と思いついて、寺杣のNさんを誘ったら、一緒にいくというのでバイクのケツに乗せて滝原のほたるの湯に向かった。
かつての学童道は、滝原側からの入り口はイバラの太い枝がはびこって、侵入を拒んでいるようだったが、落ちていた枯れ枝で叩き折って入っていくと、かつての通学路が現れた。
狭い道は、倒木、落石、がけ崩れで荒れ放題だったが、ちょうど落合区との中間あたりで、路よりかなり下のところに、少しばかりの平坦な場所を見つけた。そして、そこに探し求めていた宝篋印塔が、無残な姿で横たわっていた。おそらく、倒木によって倒壊したものと思われる。
この後、落合区で最も近い位置に住むO家のKさんにお話を伺ったら「昔はおばあちゃんがお祀りしていて、あそこで餅投げもしたんよ」と、また「私らもコロナまでは、このあたりで他の神さんを祀る人らと合同で餅撒きをしてたんよ」とおっしゃった。
どうやら、O家が代々引き継いで何百年も大切にお祀りしていたことが分かった。一緒に行ったN氏は「これで気になっていたことが一つ解決した気分だ」と満足げに言ったが私も同感だった。
まがさん
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?