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ドイツ橋

大学4年生の夏休みにそれまでアルバイトで貯めたお金を使って2か月間を掛けて欧州12か国にリュックサックを背負って旅行してきました。ドイツでは有名なビールを飲むためにバーに行きますとそこに居合わせたオッサン連中にヤーパンと呼ばれて『次はイタリア抜きでやってやろう』等と言われて奢ってもらい、その場は大いに盛り上がりました。

これが初めての僕の海外旅行の経験でした。その後の人生で様々な国へ旅行する事になりましたが、どこの国でも地元の人達と語り合う事で自分の世界観は大きくなっていきます。

ドイツ橋

徳島の鳴門市に『ドイツ橋』というものがあります。石造りの眼鏡橋です。

第一次世界大戦の時、4700人ものドイツ兵が俘虜として日本に送られてきました。この時鳴門市大麻町に『坂東俘虜収容所』が建てられてここで953人の俘虜が2年10か月を過ごされたそうです。

収容所の所長は松江豊寿(とよひさ)さん。彼は戊辰戦争で薩摩・長州などの官軍に最後まで抗戦した会津藩の武家の出でした。それで戦争に負けた側の気持ちがよく分かっていたみたいです。

『ドイツ兵も国の為に戦ったのだから…』と理解を示しました。例えば収容所内で文化事業や商業活動が盛んに行われる事も許しました。そのお陰でマエストロが多かったドイツ兵達はバターやチーズの製法など様々な技術を残していきました。

とりわけ彼らが本国に戻る時に今までのお礼にと自ら楽器を作り、ベートーベンの『交響曲第9番歓びの歌』を演奏しました。これは年末になると定番のごとく演奏される曲ですが、この曲が初めて日本で演奏されたのはこの時でした。

ドイツ兵たちはこの所長と村人の温情溢れる処置に対する感謝の気持ちとして、この石造りの橋を架けました。それによりこの橋はドイツ橋と呼ばれて今でも残っています。

親日国

トルコやポーランド、フィンランドなども親日国として知られていますが、それぞれ歴史的な出来事があったみたいです。これは歴史を勉強する事で知識として広がっていきますが、実際に訪問する事や、その国の人々と係わりを持つ事でより深く理解し合えます。私にとっても今までの半生で様々な国の人達と関わる事ができて色々な思い出があります。

あとどれくらい生きる事ができるかは不明ですが自分なりに、精一杯生きて人間関係を深め更に親日国を広げていけたら人生に意味があり、幸せだなと思います。

ドイツ人青年とフンザ渓谷へ行きました

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