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長期間取り組んでも事を成し遂げようとする人の考え方

長期間取り組んで大きな物事を成し遂げるには大事な心のツボがあります。いくつかを紹介したいと思います。

シミユレーション能力

私達が仕事をしていく上ではその結果が見えてくるというような心理状態にまで達していなければなりません。最初は夢や願望であったものが、真剣にこうして、ああして、と何度も頭の中でシミュレーションを繰り返しているとついには夢と現実との境がなくなり、まだやっていない事までがあたかもやれたかのように感じられ、次第にやれるという自信が生まれてきます。これが『見える』という状態です。

こうした『見える』状態になるまで深く考え抜いていなければ前例のない仕事や創造的な仕事、いくつもの壁が立ちはだかっているような困難な仕事をやり遂げる事はできません。

『こういう計画があります。それはこういうふうにすれば出来るはずだから、それをヒントにして、後は自分たちで考えてやってください』と私はプロジェクトを託すようになりました。しかし、そのまま人任せにして放っておくのではなく、自分でも頭の中でその研究テーマを常に考えています。

そうやって、来る日も来る日も研究テーマを常に考えています。実際に行動はしませんが、頭の中で行動しています。そうやって、来る日も来る日も頭の中でシミュレーションを繰り返していますとその内にあたかもプロジェクトが成功したように思えてきて、頭の中にその光景が明確に浮かび上がってきます。

これが『見える』という状態です。この光景が『白黒』で見える程度ではまだ不十分であり、『カラー』でありありと見えてこなければ、考え抜いた事にはなりません。これが成功の秘訣です。

Vedas

印度の聖典ベーダに『偉大な人物の行動の成功はその手段によるよりも、その人の心の純粋さによる』と書かれています。つまり、このような手段、このような方法を取ったから成功したのではなく、それを行おうとした人の心が純粋であったから成功したのだと、神の英知にまでたどり着いた人が3000年以上も前に古代印度の聖典で述べています。

この事を考えると、稲森和夫さんの『動機善なるや、私心なかりしか』という京セラ・フィロソフィーに記してある事についても、理解を深める事ができます。この善は『純粋な心』と置き換える事もできます。即ち、その動機は純粋な心から発せられたものであるか否か。このように自問自答して、心に一点の曇りもないものかどうか、自らの行いを確認しなければなりません。

二宮尊徳

二宮尊徳は高いレベルの学問を修めた人物ではありません。子供の頃から大変な苦労を重ねた人で、後に鍬一つ、鋤一つで朝は朝星、夕は夕星を頂きながら田に出て働き、貧しい農村を豊かな村に変えていきました。その実績を買われて為政者らに尊敬の念をもって、迎えられ、多くの村の改革を行った素晴らしい人物と評されています。

尊徳は農作業をひとつの修行としてとらえ、自らの人生観を培っていきました。尊徳は人を評価するのに、その人の動機が善であるかどうかを判断基準にしたと『代表的日本人』には書いてあります。

尊徳は何の奇策も方便も使わずに、ただ懸命に努力を重ね、真面目に仕事に取り組みました。一点の曇りもない心で一生懸命に努力をするものには『天地もこれが為に力を貸してくれる』と信じていたのです。

動機が善なる事と心が純粋である事は大変大事であると言われています。私も動機が善であり、私心がなければ必ず成功できると確信しています。

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