私的爆笑問題カーボーイの楽しみ方
note始めてみました。
敬愛する作家の西加奈子先生がエッセイ集にて国語辞典から引用されていた言葉をさらに又借りさせていただくと、『「随筆」とは「見聞きしたことや感じたことなどを自由な態度で書いた文章」である。』とのことなので、私もそのようなスタンスでボチボチやっていければと思います。一回で終わらないよう頑張ります。
簡単に自己紹介させていただくと、私は30代前半の男性で、TBSラジオで放送されている「火曜JUNK爆笑問題カーボーイ」という番組のネタ投稿コーナーに毎週メールを送り付けて、たまに採用していただいたりしています。あと、サッカーも好きです。
さて、第一回目の内容ですが、最近読んだ爆笑問題の太田さんと山極寿一先生による対談をまとめた『「言葉」が暴走する時代の処世術』という本の内容に、私が爆笑問題カーボーイを聴いていたり、ネタ投稿をしたりする上で常々感じていることとリンクする点がいくつかありましたので、そういった内容に言及しながら「私的カーボーイの楽しみ方」としてご紹介していければと思います。
≪作品の内容≫
「ICTの進歩やSNSの普及によりコミュニケーションの手段が、直接顔を合わせた対話からインターネットを介したテキストメッセージの交換という方法に変化しつつある現代社会。この変化は一見、コミュニケーションツールの発展のように感じるが、反面、SNSの炎上、引きこもり、「コミュ障」という言葉が多用されるなど様々な問題のきっかけにもなっている。この現象についてお笑い芸人の太田さん、霊長類研究家の山極先生という異なる立場の二人が語り合う。」
ざっとまとめてこんな感じの中身の本を読んで特に印象に残り、自分なりに思いをめぐらせた部分がいくつかあります。
まず、山極先生の「自動翻訳機を使って外国人に日本語のお笑いを通訳するとうまく伝わるのか」という問いかけから始まる会話。
この問いかけに対し、太田さんは、「『日本言論』のシリーズで誌面上での漫才も書くことがあるが、実際にやる漫才とは別物。実際にやる漫才には身振りで伝える部分や、漫才特有の『間』、観客との連帯感で生まれる笑いなどがあるので、機械を間に挟んでしまうとパフォーマンスのつながりが切れてしまう。」という主旨の返答をします。
ここでお二人が話されている内容は、私が日頃、ネタ投稿している時に意識している感覚に近いものでした。
爆笑問題カーボーイでは、送られてきたメールを読むのは太田さんです。なので、我々リスナーが「これは面白いぞ!」と思ってメールの文面にしたネタは、太田さんというある種の翻訳機を通して電波に乗せられます。
そして、改めて放送で自分のネタを聴いてみると、自分がネタを書いている時に思っていたほどウケなかったり、太田さんが文章を読みづらそうにされていたり、ネタのニュアンスが上手く伝わらなかったり、といったことが時折あるのです。
この現象は、単に私のアイディアが面白くないことや拙い文章力が原因なのかもしれませんが、太田さんと山極先生がおっしゃるように「メール」というツールを挟んでコミュニケーションをとる難しさも一因なのかもしれません。
そこで、自分が「これは面白いぞ!」と思ったことをいかにフレッシュな状態で太田さんを介して放送にのせるかを工夫する訳です。
爆笑問題カーボーイには年に一度、投稿者が考えた漫才のネタを太田さんに実演してもらうという機会があるのですが、こんな時は尚更、何としても上手く伝えなくてはと無い知恵を絞って色々考えてしまいます。
この工夫というのは別に大したテクニック的なことではなく
・「!」マークを二つにした方が怒ってる感じが伝わるかな?
・平仮名が続いて読みにくいかもしれないからカタカナにしてみようかな?
・ここで読点を入れたほうが間が伝わるかな?
・丁寧に伝えたいけど、あまりにも説明的になりすぎてないかな?
とかそんなレベルの他愛もないものです。
でもそんな試行錯誤が楽しいのです。
ここでのお二人の会話の中では、ICTを用いたコミュニケーションのネガティブな点に触れられていますが、私はネタ投稿には文章のみによるコミュニケーションという制限された環境だからこその面白さがあると感じています。
爆笑問題の太田さんという普通に生活していたらまずコミュニケーションをとることが出来ない人に、どうにかして自分が面白いと思ったこと伝えようと試行錯誤するその過程、そしてそれが思い通りに伝わった時の達成感が最高なのです。
この「制限された状態での表現の面白さ」については、本の中で山極先生も触れられています。
山極先生が以前、ドナルド・キーンさんとお話された際、キーンさんが松尾芭蕉の「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」という句は、「イ」を母音とする音が多用されていて、蝉の「ミィーン」という鳴き声が聞こえてくる、また「夏草や兵どもが夢の跡」にも「Oh!」という音が入っていて、感嘆の情が伝わるとおっしゃったそうです。
松尾芭蕉は、意図的に音を表そうとしたわけではないかもしれないが、俳句という文字数の限られた手法でいかに自らが現場で見た景色やその時の感情を伝えられるか試行錯誤し何度も作り直す中で、日本語話者ではないキーンさんにまでリアルに情景が伝わる手法に辿りついたのではないか、というのが山極先生の考えでした。
このエピソードは、上で書いたようなことを考えていた私にとっては、非常に強く共感できるお話でした。私も松尾芭蕉の領域に達するには、まだまだ修行が足りません。
また、上手く伝わらないパターンとは別に、自分がそこまで笑いを取ろうと思って書いたわけではない部分が、太田さんの読み方の巧みさのおかげで妙にウケてしまうというパターンがたまにあります。これも直接コミュニケーションが取れない環境下だからこそ起こるサプライズ的面白さだと思います。
太田さんのメール読みの上手さというのは、ラジオリスナー界隈ではわりとよく聞く話です。
この本の中でも太田さんのメール読みの上手さに通ずるような内容に触れられています。太田さん曰く、数々の役者の演技論を読み漁った結果、どの役者も演技をする上で優先するのは「感情」ではなく「型」だと書かれていたそうです。「感情」は自分の中だけにあるちっぽけなもので、それを優先させると独りよがりな伝わらない演技になってしまう。
反面、お面をつけて役者の表情を奪ってしまう能が古くからたくさんの人を楽しませてきたのは、伝統的に受け継がれてきた「型」を大切にしているからだ。より多くの人に共通する「型」に則って動けば、感情は自然に入り込むものだ。このように太田さんは話されています。
番組の名物コーナー「怒りんぼ田中裕二」では、リスナーから投稿された怒りのエピソードを太田さんが血管がちぎれそうな迫力ある演技で読まれるのが魅力の一つなのですが、この怒りの感情も、太田さんが「型」を大事にされているがゆえに伝わってくるものなのかもしれませんね。
ここまで、私なりの爆笑問題カーボーイの魅力、面白さについて長々と語ってきましたが、正直言いますと、最近、毎回が番組にハマり始めた時のように楽しめているというわけではありません。
太田さんが話すことはすべて笑える、すべて納得できるとは言えない回が増えてきてしまっているのは事実です。
これは太田さんがどうこうというより、私自身が少しずつ歳を重ねる中で、10代・20代の頃に比べて、自分なりの立場や価値観などが出来上がってきたからだと思います。
でも、だからと言って、爆笑問題が嫌いになったりはしません。
太田さんは以前、意見や思想が違っていても、その多様性を受け入れ、面白がる、楽しむべきだというお話をされていました。これは太田さんが、対話の力を信じ、たとえ対立する意見を持つ者同士でも分かり合えると信じておられる方だからだと思います。
なので、私もそんな考え方を見習って、太田さんとの感性や考え方の違いも楽しみながら、今後も聴き続けていくのではないでしょうか。そして、必ず伝わると信じてメール投稿にも精を出していきたいと思っております。
ちなみに今回、太田さんの話ばかりになりましたが、田中裕二さんという人物の面白さを最も堪能できるのも爆笑問題カーボーイです。聴いたことがない人はぜひ聴いてみましょう!
『「言葉」が暴走する時代の処世術』もとても面白い本ですので是非読んでみてください。
以上。
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