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読む『対談Q』 世武裕子さん(映画音楽家) 前編②

sHIROBAの公式YouTubeチャンネルで公開されている『対談Q』。こちらを未公開トークも含めて、テキスト化した”読む”対談Q

今回のゲストは映画音楽家の世武裕子さん。
10月28日発売の『OTOGIBANASHI』にて「哀歌」という楽曲をサウンドプロデュースしてくださっています。水野良樹とは、なんと同い年。はからずも同級生対談となった2人のトークは、笑顔が絶えない明るいトーンのまま、さりげなく深いところまでたどり着きます。



前回のつづきから↓


”勘”とか、”センス”とか、いろいろ考えたりとか

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水野:でも、僕は音楽的な教養が薄いから。たとえばコード進行の逃げ方とか、パターンとか、不勉強だからたくさん知らない。でも、ひとつ知ると、イメージは広がるというか。

世武:ああ、うん。

水野:今までの自分では(イメージにメロディを)当てることができなかったものも、技術が増えると当てられる。できる幅が増えていく。だから技術があるひとにコンプレックスがあるんですよ。自分がちゃんと勉強したら、もっと書けるんじゃないかなとか、憧れはあります。

世武:それはあるかもな。私は海外の学校を出ているじゃないですか。しかもフランスだから、なんかカタカナで良さそうじゃないですか。(※パリ・エコールノルマル音楽院卒業)。

水野:うんうん。

世武:だからすごく教養があるみたいに思われているんですけど、大して無いんですよ。さっきから、なんか、私のことを教養ある人サイドの感じで喋っているけど、違うよって(笑)

水野:いやいや。

世武さん_02

世武裕子さん(映画音楽家)
映画音楽作曲家。近年手がけた主な映画に『Pure Japanese』(松永大司監督/22)『空白』(吉田恵輔監督/21)『Arc アーク』(石川慶監督/21)『星の子』(大森立嗣監督/20)などがある。また、編曲家・演奏家としてもFINAL FANTASY Ⅶ REMAKE、Mr.Children、森山直太朗などさまざまな作品やアーティストを手がける。

世武:私もストラヴィンスキーとか聴いたら「こんなの書けたら、いつ死んでもいいでしょ」ってくらいに思うし。もちろん、ストラヴィンスキーがどう思って生きていたかはわからないし、いい曲を書けたら死んでもいいのかっていうと、人間としての生き方はまた別にあって、全然そんなことはないと思う。でも、そう思わせるぐらいすごい曲を書いている。

世武:私も、自分がやっていることには誇りを持っている…というか誇りもないのに、仕事は引き受けられないしね。やるからには120%やりたいって、どの仕事でも思う。でも同時に、じゃあ書きの天才かっていうと全然そうじゃないというか。

水野:ああ、そうなのか。

世武:わりと自分がどれぐらいできて、どれぐらいできないのかっていうのは、昔から冷静にあって。別に私ぐらい書くひとなんて、たとえば東京芸大出ているような子だったら、たくさんいるし。とくに優れた天才作曲家でもないんだけど…。

水野:うーん。

世武ただ、勘っていうか、「これに対して、今やるべきことがこうだな」という反射神経。正しいかどうかは置いておいて、この感覚に対して自分が出せるものはこれ!っていうのはあって、その自負はあるから。そこを最大限に利用して幸せになりたいと思っているんですよ。それが自分のスタンス。だから、どちらかというと水野さんが言っていることは、わかるんですよ。

水野勘とかって、なんで差が出るんですかね。たとえば、世武さんと同じような教養量とか知識量を持っているひとがたくさんいるっていうことまではわかるんですよ。

世武:うんうん。

水野:でも、なかなか世武さんにはなれないじゃないですか。世武さんにしか出せないものだったり、そのひとにしか出せないものだったり。勘の良さとか、センスの良さとか、そこで、差が分かれるのって何故なんだろうって。

世武:むしろ、センスとかって勉強してどうこうじゃないですしね。

水野:そうかぁ。

世武:今、映画音楽の講座で教えているんですけど。やっぱり「そこって、なんでそうなるの?」って説明できないことがあって。

水野:うんうん。

世武:でも私は教える立場で。生徒のみんなは「このひとに習おう」って来たわけだから、なるべく噛み砕いて説明できないかなとは、思うんだけど。

水野:難しいよね。

世武:「なんでその音をぶつけてきたの?」みたいなことって、他人に問われるまで自分では気がつかないし。問われたところで、(自分が)何が引っ掛かっていたかもわからない。こちらは「良し」として作っているから。

映画『空白』(音楽:世武裕子)


世武「イケている不協和音じゃなくて、イケてない不協和音だよね」みたいなことだって”主観”なんだけど、一方でも”絶対”でもあるというか。

水野:それは完全に”絶対”でしょう。

世武:「そこにファ#を入れてくるのは絶対にありえない」とか、自分の美学が許さないみたいなことがある。でも「そこにファ#があってもいいじゃん。なんで悪いの?」ってひともいるわけじゃないですか。

水野:(それを理解しあうのは)難しいなぁ。でも「これにこれを当てる」ということは「わたしは世の中をこう見ている」という視座が表現されていると思うんですよね。

世武:ああ。

水野:たとえばセリフがあって、役者の芝居があって、風景がある。そのシーンに対してパッと音が浮かんで「この音を当てるんだ」っていうのは、自分の価値観を提示しているというか…。アレ…?全然響いてない(笑)。

世武:ほう……いや、今ちょっとわかりかけた。すごい

水野:どっちやねん。(笑)

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世武:たしかに、『考えないで作っている』というさっきの話に繋がるというか。たとえば映画だと、いちばん初めにみんなで、ザックリ編集したやつを観るんですよ。で、音楽をどこに当てますかっていう打ち合わせをやって、持ち帰って「M -1」から書いていくのが映画音楽のやり方なんですけど。

水野:はいはい。

世武:打ち合わせの時点……というかその前に、まずみんなでラフ編集を観ているときに、もう「この映画はこの曲だから」っていうのが、私のなかでは出ているから。

水野:なるほどね。そうだよね。もう、見えてしまっている。

世武あんまり考えてない。当然のごとく、”ある”みたいな。だから音楽だけじゃなくて、モノの見方に関わっているから、私にしか出せない感じがあるってことですよね。

水野:僕は映画詳しくないですけど『ニュー・シネマ・パラダイス』の最後のシーンで、主人公がスクリーンを見て映る表情があってね。あれを先輩ミュージシャンから「あぁいう表情をライブでお客さんにさせたいね」ってよく言われて。あぁ、そうだなと思って観るんですけど。

水野あれを「泣いている」と見るか「笑っている」と見るかって、ひとによって違うと思うんですよ。何を言いたいかというと「泣いている」と思ったひとが提示する音楽と、「笑っている」と思ったひとが提示する音楽と、違うと思うんです。

世武:うーん…。

水野:そのひとが世界をどう見ているのか。世武さんはいろんなシーンを観たときに、私はこう見えているっていう音を提示しているんだろうなって……わたくし、そのように考えておるのですが、違いましたか…?

世武なんかいろいろ考えて大変だね(笑)

水野:あははは。

世武:そんな考えてやって…。たとえば泣いているのか、笑っているのかとか。すごいな。

水野:いや…うん、いや……。

世武:あ、なんか急に落ち込んじゃった(笑)すごい考えてるよね。

水野:いや…なんか…「同じです!」って言うのはおこがましいんだけど、「なんで、それそうなる?」っていうのはいっぱいあるわけですよ。自分でも。

世武:うんうん。

(前編③につづく)


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