読む『対談Q』 水野良樹×ジェーン・スー 第2回:神様から指さされているひとがいる。
渋公が即完になればいい。
スー:なんか私、ドームはやらなくていいんですよ。アリーナツアーもいらなくて、渋公が即完になればいいの。ちゃんと渋公の規模感を即完にしていくことが、すごく大事だと思う。
水野:これはねー、絶妙なところなんですよね。ライブハウス、コンサート会場あるあるの…たとえなんですけれど(笑)
スー:そうなの。ここが意外といちばん難しいの。
水野:NHKホールまでいくと、テレビ出ている感が出ちゃうのかな。
スー:そうですね。
水野:渋公ってどっちも片足が入っているんですよね。ライブシーンというか、本当に音楽好きなひとたちが作っている丁寧なコミュニティのなかに、片足をちゃんと入れている感じがして。だけど、そこだけに身をうずめているわけでもなくて。ちゃんと世間に開こうとしている。渋公というのはそういう場所。
スー:非常によくわかります。
水野:(誤解のないように)ライブハウスが悪いと言っているわけじゃないんですよ。ただ、そこに身をうずめるのを潔しとするタイプと、そうじゃないタイプがいるという話。そこでまた生きる道が変わってくるというか。
スー:ドームってやっぱり、背負える魂が生まれたときから決まっているひとたちの場所だと思いますよ。
水野:ドームはちょっと違う次元ですよね。
スー:全然違う次元。すごく覚えているんですけど、ジュディマリがアルバム『POP LIFE』の時に初めての東京ドームライブをやったんですよ。私そのとき現場スタッフでいて。で、YUKIちゃんが、「みんなもっと近くに寄って!」ってMCを思わずしたんですよ。あれだけやってきたひとでも、あそこに立つと遠く感じるわけです。
水野:すごい言葉ですね。僕、エピックに入って育成になったぐらいのときに、勉強のためにってYUKIさんのソロ武道館ライブに連れて行っていただいたんですよ。大変ラッキーなことに。「JOY」の頃ですね。当時、いきものはそれこそライブハウスでしかやったことないグループだから、武道館なんて夢のまた夢で。
スー:もうすごい、血湧き肉躍る武道館へ。
水野:で、ライブ観たら、YUKIさんが武道館で、「私が遠くへ連れてってあげる」って、オープニングでさらっとひとこと言って。その囁くように言った言葉に1万人がぐわーって熱狂したんですよ。これは魔法だと。やっぱりそういうところにいかないと。……何の話をしているんだろう。
スー:ライブハウスと人生。
水野:品の話に戻すと、それって、YUKIさんの欲望とか、YUKIさんがどうありたいかっていうところの次元を越えていると思うんですよね。で、YUKIさんも素のYUKIさんがいて。
スー:そうですよね。
水野:YUKIというアーティスト、ジュディマリというアーティストに対して、自分がどうあるべきか、多分、とんでもないレベルで考えていらっしゃって。そこに身を投じる覚悟がないと、ああはなれない気がする。
神様が突然、「YOU!」って来るんですよ。
スー:でもさ、ここはもう神様の選ぶところだと思うんですけど、その身を投げる行為が、吉と出るひとと凶と出るひとがいるわけじゃないですか。
水野:あぁー。
スー:私は絶対、凶と出るタイプなんですよ(笑)。今までレコード会社とかで見てきて、それはなんとなくわかる。私、凶のほうだって。だからやっぱり渋公即完を狙うひとになりたいんですけど。水野さんはどっちだと思います? 自分から乖離していく?
水野:いきものがかりは、乖離すべきグループでしたね。
スー:そうですよね。
水野:僕はそうじゃなかった。
スー:たしかアルバムのときに、初めて水野さんとお話して。「このひと、アーティストだけど、アルチザンだなって」思ったんですよね。いわゆる職人気質。職人としてのプライドはすごくある。で、吉岡さんは完全にプロフェッショナルアーティスト。表現者じゃないですか。表現者だけじゃなくて、そこにアルチザンがいるから、いきものがかりって有機的に回っていくんだなって、そのとき思ったんです。
水野:うん。
スー:でもそれぞれの持ち場ってあるじゃないですか。持ち場から拡張していくことが幸せなひともいれば、それが苦痛になるひともいる。私は後者なんですよね。やりたいことを少しずつできるようにはなりました。チャンスが増えてきたのもあるけど、「私なんかが」って思っていたのを、許せるようになってきた。ただ、さっき言った東京ドームってひとたちとは違う気がしますね。鍛錬で行けるところじゃないというか。
水野:やっぱりそうなんですかねー。
スー:多分、神様が突然、「YOU!」って来るんですよ。
水野:それはあると思う。
スー:そうしたら乗らなきゃいけない。ドナドナみたいな顔して(笑)。
水野:でも僕、ドナドナで連れていかれたほうだと思うんです。たまたま出会ったのが聖恵だったし、辞めちゃったけど山下だったし、3人でスタートしちゃったから。で、気づいたらそこにいて、「わぁ!」ってなっちゃったっていうタイプ。ジェーン・スーさんもいろんな方に会ってきてわかると思うんですけど、吉岡とか、神様から指をさされているひとっているじゃないですか。
スー:いるのよ!これスピリチュアルな話になるからしたくないんだけどさ、でもいるんだよ! 神様から指さされているひとがいるんだよ!(笑)
あっちの岸は危ないぞ。
水野:ここ数年すごく思うんですけど、独立していろんなひとに直に接していただけるようになって。吉岡が部屋に入ったとき、みなさんの表情が違うんです。
スー:わかる!あの子はすごく太い指をさされている。
水野:これ別に嫉妬とかじゃなくて、やっぱりすごいなって。ともすればわがままになりそうなことも、彼女が言うと、そうじゃないんですよ。
スー:協力したくなる。かなえたくなる。
水野:吉岡は別としても、これまで幸運にもお会いすることのできたスーパースターの方々って、みんなどこか同じようにそういう部分を持っていて。入ってきた瞬間にみんなスッ!ってなる。だけどそれに“ならなきゃいけないひと”たちもいるんですよね。
スー:そこきつくないですか? 私はそれダメなんですよ。
水野:でも、だんだんなっていません?
スー:いやいや、なれないです。私はアー担として、「このひとはここまでだ」ってめちゃくちゃ見えています。やっぱり”屈託のない愛され力”がないとダメなんですよ。で、”屈託のない愛され力”がついたら、私は書けなくなる。
水野:ああ、はい。なるほど。変な言い方ですけどジェーン・スーさんのこの本を読ましていただいたとき、やっぱりそっちになっていくんだなって思ったんですよ。というのは「カリスマにはなれない」って自制していたひとが、だんだんカリスマになっていくことを自分でも受け入れて、覚悟を持って、歩んでいくんだなって。僕もそっちにいくように頑張んなきゃいけないのかなって思った。でも今、「そうなっちゃうと私は書けなくなる」って聞いたときに、急にホッとしました(笑)
スー:てか、「ですよね?」と思いません? 自分が、神様と握手するか、悪魔と手を繋ぐかってあると思うんですよ。私は、「YOU!」って言われて行ったとしても、明らかに伸びしろがないのは自分でわかる。それはいい悪いじゃなく特性。かつ、向こうに行ったことで、書くものに説得力がなくなって、「神様だと思ったら、私、悪魔と握手していたんだ」ってなるのが見える。で、水野さんも絶対にこっち側だから。こっちでいいんです(笑)。
水野:(笑)。
スー:いや、やりたいことはやったらいいんですよ。素直になったほうがいいと思うんだけど。あっちの岸は危ないぞ。あっちは危険だぞ(笑)
水野:僕、そこでグジュグジュしているんですよね。でも、そのグジュグジュが大事なんだと、今すごく思うんです。
スー:めっちゃわかる。
水野:「お前そのグジュグジュをすっきりさせちゃいかんのだぞ」と。
スー:いかんでしょ。
水野:今日はそこに励ましをいただいて(笑)。
水野:で、無理やり繋げるわけじゃないけど、そのグジュグジュをまるでなかったかのようにするのは、品がないと思う。
スー:そうなの。だからグジュグジュし続けてないとダメなんですよ。そこがセットじゃないと、物語に奥行きがなくなるんです。
水野:「品」って、自分自身の在り方とか生き方とかに、どこか緊張感がないと保てないんだと思うんです。ジェーン・スーさんも常にご自身の今に対して、厳しい目というか、再確認する目を向けているじゃないですか。
スー:はい。微調整、微調整。
水野:「昔はこうだったけど、今の私はこうだ」とか、「いや私はこういうタイプの人間ではない」とか、自己分析の言葉がどんどん出てくる。それは、ずーっとそこに緊張しているし、ちゃんと意識を向けているから。その緊張感が大事なんだろうなぁ。
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